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薬剤師→宮古島で倉庫テント暮らし


以前知り合いから、
「変わったね、おかべくん」と言われたことがあります。

髪型は変わったし、多少は焼けた?かもしれないけど、

内面的な部分だったら、この半年近くで経験したことが影響したと思う。


以前からは大きくかけ離れた環境だったからこそ、生き残るため変わらざるを得なかったのかも。

宮古島は今、物価が高くなり、バブルのようになっています。

食べ物も高ければ賃貸も東京並み。
食べ物が高いことを考慮するなら、生活するには東京の時よりも厳しいと言える。


消去法で “住み込み” という形でスタートした宮古島生活だが、世間によく聞く「リゾバ」ではない。

今の施設を紹介してくれた方も、まさか住み込みするとは思っていなかっただろう。

そもそもが “住み込み” を想定していない施設なので、

倉庫のような空間でテント生活、クーラー無し、夜は電球、水シャワー(壁なし)、トイレはコンポスト(掃除付き)、物価が高いので食費にも気を使う生活がスタートした。


僕が来たのは2月、最低気温16度の中での水シャワーも経験した。
強風も相まって声も出なかった。

極めつけには、
コンクリートの部屋でテーブルの上で起き、寝起きでふらついて、パイプ椅子とコンクリートの間に指を挟んで「骨折」なんて笑えない状況にも。

何度も、地面がフローリングだったら、椅子がパイプ椅子じゃなかったら、と考えた。


とまあ、ここまではただ愚痴を書いてるようにしか見えないけど、ちゃんとプラスの面もあった。

それはおそらく今後の人生においても、
今の環境は “経験できない” という点。

今まで無駄に家電や家具にお金をかけて、衝動買いを繰り返す生活では経験できなかった、

「当たり前のモノが『ない』生活」

虫が入らない空間の快適さやクーラーの涼しさ、蛍光灯の明るさ、温水シャワーの心地よさ、

トイレが流れるなんて発明した人を称えたい!し、
清掃してくれる人には感謝しかない。。


今の職場は福祉事業もしている。

自分は「幼児保育と高齢者介護」は人を選ぶと思っていて、

自分は絶対にやらないと思っていた。

が、今は送迎をはじめ、色々と関わることになり、この前は利用者さんのオムツの処理もした。

当の本人も気にしてないし、仕事内容的には義務でもない。

出会った頃だったらオムツの処理は絶対にしなかった。

ただすでに数ヶ月の付き合いにもなり、

自分の中で、

「おそらく翌日まで便がついた状態だろうな、本人は気にしてないけど」

「でももしかしたら少し不快に感じてるかも」

「どうすっかなこれ」

・・・
・・・・・

「考えるの面倒だしやってみるか。。」

と、絶対にやらないと決めていた “お世話” もしてみた。

正直気持ちのいいものではないし、今でも率先してやりたくはないけれど、

自分の成長を感じる “挑戦” ではあった。


案外自分で決めつけていたことでも
「環境次第、状況次第ではやれる」もんだなって。

えらいじゃん自分と。


この宮古島での半年は、決してキラキラしたものではなかったけれど、

自分の中の「当たり前」が色々と覆される経験にはなった。


薬局で断片的に高齢者と関わっていた時には感じなかった “老い” の侵蝕もその一つ。

半年で見る見るうちに弱っていき、
だんだん歩けなくなる人や、中には急に亡くなる人も。

自分の半年との変化の違いに驚愕した。


ふと、実家の祖母が85歳になったと聞いて、

好んで食べてもなかったおはぎを食べたくなったり、実家の餃子のレシピを教わりたくなった。

当たり前が「ない」ことになってしまうのが急に怖くなった。


この半年間は、

当たり前が「ある」ことの感謝や、
逆に「ない」ことになる恐怖、不安を知る期間だった。

それが良くも悪くも自分や、その他のメンバーにも影響したと思う。

今は金銭的にも厳しいし、施設の運営のこともある。

だけど、急だけれど、

一度実家に帰り家族に会ったり、知り合いの顔でも見ておこうと思った今日この頃でした。


色々増やすことは満たされるし、楽しいけれど、無くしてみることで浮き彫りになるものも多いと思います。

まあそれでも、これまでの生活は人におすすめしませんけれど笑


宮古島倉庫テント生活半年目 報告書

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