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自#086|歩いていると、ごく自然に、意識を働かさなくても、ポジティブになれる(自由note)

 バックパッカーの斉藤政喜さん(59歳)のインタビュー記事を読みました。バッグパックと云うのは、金属製の枠のついた大型のリュックサックのことです。バッグパッカーは、バッグパックを背負って、自由に旅行をする人です。バッグパックには、キャンプ用具も入っているので、どこでも野営できます。ちなみに、欧米では、バッグパッカーのことをヒッピーとも言います。ヒッピー(hippie)と云うと60's後半のベトナム戦争に反対した反体制主義者と云うイメージですが、もっと幅広く、既存の制度・慣習・価値観を拒否して脱社会的行動を取る人々のことを言います。バッグパッカーは、まさに正真正銘のヒッピーだと言えます。

 斉藤さんのバックパッカーとしての原点は、一家離散した高校3年生の時だったようです。父親が事業に失敗し、家族は散り散りになり、東京でひとりで生きなければいけなくなったそうです。
「つらかった。でも自由だとも思った。生きるも、のたれ死ぬも自分次第だ」と、お考えになったわけです。失うモノが、何もない状況に追い込まれて初めて、自由を実感する、これはやはり、ある種の才能がないとできないことです。

 しかし生活の苦しさに押しつぶされそうな日々が続きます。その苦しい状況を救ってくれたのが、旅だったそうです。
「旅の途上ではみな平等で、どこに行くのも、何を食べるのも自由。多くの人と出会って、語らい、旅は祭りのようでした」と語っています。斉藤さんは、生まれた我が子や飼う犬や猫には、一歩、二歩、サンポ、南歩と「歩」のつく名前をつけています。つまり、斉藤さんの旅は、基本、歩く旅なんです。これは、山岳修験道の行者や、西行、芭蕉など多くの人が、辿って来た遊行の世界です。ある意味、ある種の日本人のDNAに刷り込まれているnaturalな生き方だとも言えます。高度経済成長が始まって、生産性や効率が重視され、社会全体が、目標に向かって驀進するような状態だったわけですが、遊行のDNAが刷り込まれている方は、そこから意図的に離れて行きました。バックパッカーは、実際は、沢山いたんです。ただ、バッグパッカーを、きちんとやり切られたので、斉藤さんはサクセスされたと言えます。何ごとも、やるなら徹底的にひとつのことを、極める必要があります。

 斉藤さんは、植村直己さんに憧れたそうです。つまり
「遠い辺境の地での冒険や探検にこそ、価値がある」と。が、自分には冒険家になれるほどの技術や体力はないと自覚され「身近なところに感動と発見がある」ことを知ったそうです。

 斉藤さんは、紀行文を書いて旅の楽しさを伝えようとしています。
「来年には還暦を迎えます。30年以上、旅を続けると、好奇心が枯れてしまうことはないですか?」と質問されて
「旅に飽きたり、書くのが嫌でやめてしまおうと考えたりしたことは、一度もありません。旅をしていると、気持ちがポジティブになり、アイデアが次々と浮かび、旅が次の旅を誘うのです」と、お答えになっています。

 私は、山登りは多少、経験しましたが、バッグパックを背負ったわけでもなく、バッグパッカーだったこともありません。何回か、野営もしましたが、基本は、山小屋で泊まっていました。ただ、歩く経験は、これまで何回かしました。一回目は、小5、6の時です。休日になると、片道1時間、往復2時間かけて、名勝の桂浜まで歩いて行ってました。自転車だと、時間は4分の1くらいまで短縮されますが、そうすると海沿いから離れてしまうんです。小5、6頃の自分には、海沿いの径(みち)を、往復2時間かけて歩くweek endが、きっと必要だったんです。

 二回目は、27、8歳の頃です。四万十川沿いを歩きました。河口の傍の小さな海辺に、知り合いの材木屋のマスターの家があって、そこまで、片道2時間くらいかけて、遊びに行きました。材木屋のマスターは、ログハウスを手作りで幾つか造っていて、そのひとつに泊まって、翌日の朝、車で職場まで送ってもらいました。つまり歩いたのは往路だけです。

 三回目は、小平市のK高校に勤めていた頃。K高校では7年間勤めましたが、最後の2年間は、帰りは歩いて帰宅していました。2時間くらいかかりました。歩いていたのは、玉川上水沿いの遊歩道です。

 健康のためとか、ダイエットのためとか、足腰を鍛えるためとか、そういう目的意識があったわけではありません。ただ、ある日、突然、歩いてみたいと云う衝動に襲われて、歩き始めるんです。過去3回の経験から考えみると、私は水辺の傍を歩きたいんだろうと思います。で、時間は2時間くらい。いずれも2年間で終わっています。それは、生活の環境が変わったからです。生活の環境が変わらなければ、水辺のほとりを歩き続けていたと思います。

 今、私は走っています。走りたいから走っているわけではありません。有酸素運動をして、体力をkeepすると云う目的意識を持って、走っています。できれば、走りを歩きに切り替えたいです。最近は、もう必要がないので行きませんが、以前は、八王子大和田のHard Offにしょっちゅう行ってました。途中、浅川と云う川を渡るんですが、その度ごとに、この川沿いを歩いてみたいと云う衝動に駆られていました。現在は、土、日、月の3日間が休みですから、コロナ禍が落ち着いたら、週末に一回くらい、浅川のような川沿いを歩いてみたいと思っています。

 私は根拠のない自信、根拠のないポジティブなメンタリティと云うものを、持ち合わせています。後ろ向きになったり、ネガティブになったりはしません。それは、まあ意識の働きで、ポジティブなエートスをkeepしていると言えます。が、歩いていると、ごく自然に、意識を働かさなくても、ポジティブになれます。アイデアは、浮かびませんが、脳のそこここに散らばっている有象無象が、いつの間にか、消え去ってしまっているような気持ちにすらなります。お四国八十八ヶ所巡りの海沿いと川沿いの道を、chiceして歩いてみたいと云うのが、老後のプランのひとつだったりします。

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