自#381「私のような割とぷあぷあゆるい人間でも、大学時代に勉強しなかったことを反省しています。坐禅だって、座れる時に徹底的に座ることが、幸せだし、bestの過ごし方です。勉強は、勉強できる時にやっておくのが、やっぱりbestです」

           「たかやん自由ノート381」

 水月昭道さんがお書きになった「高学歴ワーキングプア」という新書を読みました。「フリーター生産工場としての大学院」という副題も添えられています。13、4年前に書かれた本ですが、現在も状況は、さほど変わってないと想像できます。「大学院重点化というのは、文科省と東大法学部が知恵を出し合って練りに練った、成長後退期においてなおパイを失うまいと執念を燃やす、既得権維持のための秘策だった」と表紙のカバーに端的に説明してあります。まあ、そうだったんだろうなと、理解できます。世の中の建前には、裏があります。法科大学院という新プランは、東大法学部閥のオーバードクターの就職先確保という側面もあったでしょうし、大学院重点化施策は、東大をはじめとする旧帝大中心のオーバードクターの受け皿作り、そして少子化時代に突入しても、大学の収入が減らないようにする施策でしたし、マスターやドクターを増やし、高学歴社会を目指そうとする文科省の狙いとも合致していました。文科省のお役人の方々の天下り先の充実といった目的も、おそらくあります。共通テストとともに実施する筈だって、英語の四技能試験が、制度として確立すれば、文科省の天下り先は、さらに拡充していたと思われます。獲得できそうだった利権が、直前で、ぽしゃってしまった感じです。

 ただ、私は、文科省が天下り先を確保しようと努力することは、別段、間違っているとも考えてません。霞ヶ関のエリートたちの仕事量は膨大です。働き方改革などとは、まったく縁のないblackな世界です。給料が、そう高いとも言えません。天下り先の確保など、そう目くじら立てて問題にすることでもないと、思っています。

 文科省が、大学院重点化の施策を打ち出した時、オーバードクターの就職先確保という裏の目的は見えていましたが、大筋として、間違ってない正しい施策だと、納得しました。アメリカと較べると、日本の学歴は低すぎます。国連とか、国際公務員の職員には、大学卒だけではなれません。大学院を修了して、ようやくある一定レベルの学業をマスターしたとみなされます。もっとも、日本の場合、大学でたいして勉強してないという大問題があります。

 私自身、大学時代に勉強してないので、卒業生や教え子に、「もっと、きっちり勉強しろ」といった説教じみたことを言う資格は、爪の先ほどもないし、実際、言えません。言い訳はしたくないんですが、我々の学生時代は、大学で勉強することは、正直、求められてませんでした。大学側は4年間のモラトリアム時代に、何でもいいから、好きなことに熱中してくれというスタンスでした。今と昔とは時代が違います。今は、大学時代に、ある程度、専門的な勉強をしておくことが求められています。できれば、ダブルメジャーで、二つくらいの得意分野があることが、望ましいという風潮です。英語やプログラミングは、この二つのメジャーとは、別個に実力をつけておく必要があります。

 今の大学生は、我々の頃の大学生より、賢いし、動きもはやく、要領もいいと感じています。が、根性や勇気、進取の精神は、昔の学生の方がありました。単純な比較はできません。ですが、企業が大卒の人たちに求めているものが、正直、大きすぎるだろうとは、思います。企業側にしたら、即戦力になれる人に来てもらわないと、グローバルな競争社会では、生き残れないと考えています。即戦力にならない年寄りの社員を、いっぱい抱えているので、新たに入って来た新人に、過剰な期待を抱いているとも言えそうです。

 水月さんは、大学院時代のハードな生活について語っています。主任教授のとこに弟子入りするのは、つまり徒弟、丁稚のようなものです。研究室の雑用もあれば、学部の4年生の面倒も見て、先生のアシスタントとして下働きもします。その間に、自分自身の研究も進めて、論文を仕上げなければいけません。弟子入りした徒弟、丁稚でしたら、食事も住むところも提供してもらえますが、大学院生は、学費を払って、無償の労働をしているんです。どう考えても、blackな環境です。このblackな環境に置かれても、一頭地を抜くような論文を書くことができれば、将来、確実に浮上して行けるだろうと想像できます。

 日本の企業は、博士課程修了者を、さほど歓迎してないそうです。自分自身で、ものごとを考えることのできる人間を、求めてない会社が、沢山あるということです。相変わらず、言われたことをきちんとやれるYes manを求めている感じがします。そんな状況だから、国際競争に敗れて、今、日本は沈みつつあると、言えると思います。

 イギリスは、沈みつつある国家の状態を客観的に把握し、沈みを少しでも緩やかにするために、エリートたちは奮闘してるってとこがあります。日本国の沈みを、少しでも緩やかにするために、業種によっては、多少なりとも伸ばして行けるように(サブカルチャーに関しては、やはり世界の最先端の国だと思います)若い人たちだけでなく、どの世代も、知恵を出し、努力すべき時代に突入していると感じます。

 人生に行き詰まったら勉強をする、これは基本のセオリーだと私は思っています。勉強をしている内に、次に向かう方向が見えて来ます。文科省が大学院を拡充してくれたお陰で、お金はかかりますが、大学院で学び直すことができます。学部の勉強と違って大学院は、学びの方法(情報収集の方法、文献の読み方、情報整理の仕方、情報発信の方法・・・等々)をマスターすることができます。学びの方法さえ会得すれば、ネット上の教材を使って、いくらでも学びを積み上げて行くことが可能です。英語をマスターすれば、世界のトップレベルのオーソリティたちの講義を聞くこともできます。

 大学の4年間では、人間力が、まだきちんとついてなくて、不安だから、モラトリアムを延長するという方々が、大学院に進学することは、悪いことではないと思います。学部時代と違って、大学院時代は、かなり大変ですが、会社のblackな生活とは、その本質が違います。自分自身の研究テーマを抱えていますから、忙しい生活の中で、論文をきちんと書き上げれば、学力も人間力もつきます。学力と人間力がつけば、社会のエリートには、スタートが遅くてなれなくても(博士号を取得できるのは30歳くらいです)何をやっても、逞しく生きて行けます。

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