自#353「大学1、2年の頃、紀伊國屋書店で、バイトをしてました。エロ本とか、それほど好きでもないんですが、書庫では、プレイボーイやペントハウスなどは、さすがに見てましたね」

         「たかやん自由ノート353」

 大学1、2年の頃、吉祥寺の東急デパートの9階にある紀伊國屋書店で、アルバイトをしていました。大学生になったら、本屋か古本屋で、バイトをするつもりでした。志望動機は、本が好きだからです。新刊よりは古本の方に関心がありましたが、古本屋のバイトは募集がなかったので(当時は、古本屋の丁稚になって、プロの古本屋を目指すというコースしかなかったと思います)当時、住んでいた井の頭公園の傍のアパートから、徒歩、5、6分の東急デパートの9階にあった紀伊國屋で、大学時代のバイトライフをスタートさせました。

 今は、どこの大型書店もごく少数の正社員と、圧倒的多数のバイトorパートで、店を運営していますが、私が学生の頃は、本屋の定員の大部分は、正社員でした。当時の吉祥寺の紀伊國屋書店の正社員は20名くらいで、バイトは二人でした。二人とも男子です。バイトの主な仕事は、力仕事です。本屋には、毎日、大量の本が送り届けられます。荷物を運んで来るトラックは、デパートの地下二階の駐車場にやって来ます。私の仕事は、台車を押し、9階から業務用エレベーターに乗って地下二階に行き、届いた荷物を、引き取って書店の奥の書庫に運び込んで来ることです。本は段ボールに入っています。重さは15キロ~20キロくらい。中2の頃、運送会社で50キロのセメント袋の積み下ろしをやっていましたから、そう重くもないんですが、20キロ弱と言えども侮らず、取り扱う前には、ストレッチをし、きちんと腰を落として持ち上げていました。66歳の今に至るまで、腰を痛めてないのは、中2の頃、50キロのセメント袋を運んで、重たい物の運び方を学習したからだと、思っています。

 社員さんは、ほとんど女性でした。男性は、店長と、店長代理の二人だけ。当時、一般のOLさんは、寿退社が当たり前でしたが、本屋は、経験と知識がないといい仕事ができないので、既婚の年輩の女性も沢山いました。段ボールから本を取り出して整理するのは、社員さんの仕事ですが、取り出し易いように、テーブルの上に乗せ、カッターで丁寧に切って(本を破損したら弁償です)段ボール箱を開けておくくらいの配慮はしてました。たとえ20キロ弱とは言え、慣れてない人が、それを不用意に持ち上げていたら、腰を痛めます。

 返品の書籍を段ボールに詰めて、それを地下の駐車場に持って行くのも、バイトの仕事でした。途中で、相方の男の子は、いなくなり、私一人になりました。が、一人でも普通にこなせる業務量でした。本屋の雰囲気は、牧歌的で長閑。が、新宿本店勤務のある社員さんは、本店の忙しさは、まるで戦場だと言ってました。今も多分そうだと思いますが、新宿紀伊國屋本店は、日本で一番、本が売れている書店でした。配送される書籍も、返品のそれも、吉祥寺店とは較べものにならないくらい(50倍くらい?)途方もない量だった筈です。

 レジ打ちをしたことは、一度もありません。接客は、社員さんの仕事です。基本、書庫で返品の書籍の箱詰めです。毎日、大量の返品の本が出ます。主に雑誌です。そもそも、東急デパートの9階の本屋に、雑誌を買いに来る客など、ほとんどいません。雑誌は、駅ビルの本屋で買います(当時は、まだコンビニは存在してませんでした。セブンイレブンの1号店が豊洲かどっかに登場したのは、私が大学3年の時です)。たいして売れもしないのに、雑誌は大量に配本されます。たとえば、新聞は大量に廃棄されることは承知しているのに、廃棄を前提として、新聞を印刷し、必要以上の部数を販売店に送り届けています。私が、以前の学校に勤めていた時、駅前のツタヤでDVDを一本借りると、毎日新聞の朝刊をプレゼントしてくれましたが、それは、新聞販売店が、廃棄するのは忍びないので、ツタヤに横流ししていたんです。新聞が必要以上の部数を刷るのは、公称部数を維持するためです。まあ、同じようなことが、週刊誌のような雑誌でもあって、公称部数維持のために、大量に刷って、送って来たんだろうと想像しています。

 接客は、しないことになっていましたが、学習参考書の棚の担当の社員さんに「お客さんに質問されてる。アドバイスしてあげて欲しい」と、頼まれました。世界史の参考書を買いたいが、どれがいいかという質問でした。世界史は、当時も今も、参考書は不要です。基本は、教科書をきちんと読むことです。教科書をきちんと読むために、山川の小辞典(当時は本当に小辞典。今は中辞典くらいの大きさになっています)を座右に用意して、適宜、それを引く、これが、世界史学習(受験勉強であれ、教養学習であれ)の王道です。が、棚を見ても、山川の小辞典が見当たりません。教科書は、現在は、山川の詳説世界史Bが、ベーシックなスタンダードですが、当時は、そこまで山川の教科書の権威は、確立してませんでした(私が学校で使っていたのは、学校図書の世界史Bです)。質問をしているのはお母さんで、娘さんも一緒にいました。まあ、無難な返事をしなければいけないと思って、取り敢えず、山川の用語集と、一問一答集を薦めました。が、この二冊は、学校で買わされたと言ってました。だったら、教科書準拠の問題集を、単元が終わる度にやればいいですと説明して、山川のベーシックな問題集を、お客さんにpushしました。

 大学1、2年時代、主に長期休暇の時(当時の早稲田は、一年中、長期休暇だらけでしたが)紀伊國屋でバイトをしましたが、接客は、これ一回だけです。学参の棚の並べ方は、中学受験とかは判りませんが、大学受験に関して言えば、お茶の水の三省堂に較べると、まるで素人の仕事でした。大学受験の参考書を買うのであれば、やはりお茶の水の三省堂に行くべきです。餅屋は餅屋です。人文系の哲学・思想系だったら、池袋のリブロ。演劇や映画、美術系でしたら新宿紀伊國屋。絵本なら銀座教文館。それぞれ得意分野があります。当時は、ABCもジュンク堂もまだ存在してません。1997年に、大阪から池袋に乗り込んで来たJunk堂は、理工系の専門書が充実しています。それは、関西圏の国立大学の理工系が充実していて、それを反映しているんです。水準の高いお客さんがやって来るので、それに合わせて、書店の棚のレベルもupするんです。

 ちなみに書店のバイトの時給は、高いとは言えません。社員さんの給料も、サービス業の中では、下の方です。本が好きだという人が、本屋には当然、沢山いるわけですが、そのやり甲斐で、搾取している業種だと言えます。アニメもマンガも、音楽も演劇も、ごく一握りの上の層の方を除けば、やりがい搾取系のblackな仕事です。大学3年で某大手進学教室で、試験監督のバイトを始めましたが、本屋のバイトの倍近い時給だったので、驚きました。が、書庫で、単純な作業をしていただけですが、本屋の雰囲気は、好きでした。教員になって、司書教諭の資格を取りましたが、これは本屋のバイトの延長線上のchallengeのようなものだったなと、私は思っています。

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