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自#074|本当に大切な人が、亡くなった時、死はリアルな体験として、自分に迫って来ます(自由note)

 解剖学者の養老孟司さんと、エッセイストの内田也哉子さんの対談記事を読みました。内田さんが、養老先生の自宅にTELをして、養老先生は、電話機のとこまで椅子を持って来て座り、そこから電話による対談が始まっています。対面だと喋りにくいことでも、電話だと、さらっと喋れてしまう、そんな話題もあるだろうと思います。

 内田さんは、一昨年、お母さん(樹木希林さん)を亡くされて、初めて、死と云うものを目の当たりにしたと仰っています。内田さんが、42、3歳の時です。内田さんが、小さい頃から、母親の希林さんは、知人の葬式があると娘を一緒に連れて行って「よく見ておきなさい」と、死体を見せたそうです。人の死を見せることによって、人間も自然のシステムの一部であって、いつかは必ず死ぬと云うことを解らせる、一種の英才教育のようなものだろうと推測できます。が、知らない人、自分と関係のない人、自分と切実な人間関係のない人の死は、テレビや映画の死と同じで、少しもリアルではないんです。自分にとって、本当に大切な人が、亡くなった時、死はリアルな体験として、自分に迫って来ます。それはリアルな恐怖です。自分が死ぬことも怖いし、大切な人が亡くなったことも、怖いことなんです。悲しいと云った感情は、抱きません。まず、怖さが先に来ます。悲しくなるのは、死んでから、少し時間が経過して、落ち着いてからです。42、3歳だったら、人生の場数も踏んでますし、そんなに怖くもないだろうと云う気もしますが、内田さんは「正直、怖い、物理的に怖かった」と率直に語っています。

 希林さんは自宅で亡くなったんですが、それは、死を自分の家族に見せるためだったと、内田さんは述懐しています。年齢が若いほど、親しい人の死は応えます。内田さんの一番下の息子さんが、その時、8歳で、その後、1年間ほど、精神が不安定になったそうです。私も敬愛していた叔父が、小1の時に死んで、叔父の死の恐怖から抜け出すのに、1年間くらいはかかりましたから、これは解ります。死を自然なものとして、受け止める訓練のようなものです。今は、ほとんどの人が、病院で死んで、死に水を取ると云うことも、なくなりましたから、死を切実でリアルなものとして、受け止める機会が、限りなく少なくなってしまっています。

 福祉施設に侵入して、20人近くの人を、何ごともなく殺せるのは、死がリアルではないからです。死がリアルなものになれば、よほどのことがない限り、人は殺せません。

 養老先生は、父親が亡くなった時、4歳だったそうです。周囲の大人が「お父さんにさよならを言いなさい」と、養老少年を促したようです。確かに、こういうお節介なことを言う世話役の大人が、昔はいました。が、父親の死の意味が、まったく解らず、呆然と立ち尽くしている4歳の少年は、さよならが言えなかったそうです。言えなくて、当たり前かなと云う気がします。が、養老先生は、さよならが言えなかったことを、後悔されていて、あの時、さよならが言えなかったので、人にまともに挨拶できない大人になってしまったと自己分析されています。そうなのかもしれないし、or notなのかもしれません。

 養老先生は、現在、82、3歳です。2、3年前に、東京農大のキャンパスを歩いていた時、学生に「養老先生じゃないですか?」と言われて「そうだよ」と答えたら、「(まだ)生きていたんですか」と、学生に驚かれたそうです。確かに、「バカの壁」で、一世を風靡して、流行語大賞も取り、今や完全にlegendの中に入ってしまっている大先達です。もうずっと前に亡くなられていると、思われても、やむ得ません。

 私だって、中学時代の同級生の女の子たちは、どっかでもう、とっくに死んでいるだろうと、多分、思われています。legendは、別にありませんが、そう長生きはできないだろうと云う雰囲気で、中学時代は過ごしていました。

 養老先生は、宅急便が届くと、荷物をまず良く拭いて、その後、手洗いもきちんとしているようです。次亜塩素酸ナトリウムor 界面活性剤の入った中性洗剤を使って、消毒or殺菌をされているわけです。本業は、解剖学者ですから、これくらいのことは、当たり前なのかもしれません。

 養老先生のお住まいは鎌倉ですが、箱根でも生活しているようです。箱根で過ごすのは、虫が沢山いるからです。今の若い人は、虫が嫌いですから、考えにくいと思いますが、虫が大好きで、虫の中で暮らしたいと思っている大人は、結構、いるんです。私も、まあ嫌いではありません。私の部屋の中でしたら、カマキリやカナブン、クモなどが生息しても、構わないと云うことになっています。リビングにカマキリが入って来ると、子ども達が嫌がるので、女房が、私の部屋に移動させます。カナブンが夜中に飛んで、うっとおしければ、窓の外に出しますが、私に迷惑をかけなければ、放置します。虫が生息しているのも自然です。

 養老先生の虫は、趣味です。「虫では食えません。むしろ、虫のために働いています」と仰っています。自分の好きなことで食って行くのは難しいと思います。私は、長年、バンドの部活の顧問を務めて来ましたが、生徒たちには、「音楽は趣味で続ければいい」と、ずっと言って来ました。音楽が本当に好きで、それで食って行こうとすると、いろいろ大変なことが起こります。結局、食って行くために、音楽をやるようになってしまうんです。ある時期は、それでもしょうがないとも思いますが、音楽に本当に純粋に向き合える、若い頃に、売れる音楽、儲かる音楽のために、苦労するのは、やっぱり、ちょっともったいないかなと云う気はします。音楽を本気でやりたかったら、公務員を目指せ、まあこれが、昔から言い続けている私の持論です。

 コロナ前は、人が沢山集まり過ぎていたと養老先生は、仰っています。去年の今頃、上野の都美術館で開催されていたクリムト展に行った時、まさに私も、人が集まり過ぎていると痛感しました。入り口のとこで、警備員さんにリュックは前で抱えて下さいと、注意されました(ロッカーは全部使われていて、ロッカーを使用することさえ、行列待ちでした)。リュックを前に抱えて、会場に入りました。朝の7時台くらいの中央線の車両の中のような、混雑ぶりでした。お土産売り場のレジが、長蛇の列でした。クリムトのクッキーなどを買うために並んでいるんです。どうして、クリムトがクッキーなのか謎ですが、ビジネスですから、売れたらそれでOKなんです。東京国立博物館や西洋美術館のような、人が沢山集まっていた美術館は予約制になりましたから、まあ、そこは、コロナのお陰で、改善されたと言えます。

 テレワークで仕事ができる人も、現実、沢山いますし、都会を離れて田舎で過ごすのも、ありだろうなとも思います。

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