自#379「所有欲を持たない方が、人生は楽だと思いますが、それがfantasticで、面白いかと言えば、違います。ある種の悟りがないと、今、流行の断捨離は、生活のバランスを逆に崩してしまうと、私は想像しています」

         「たかやん自由ノート379」

 清貧の思想を体現されていたと推定できる樹木希林さんのインタビュー記事をまとめた「一切なりゆき」を読みました。私が高校生の頃、「時間ですよ」が放映されていて、ごくたまに見たことがあります。内田裕也さんと結婚したのも、このドラマに出ていた頃です。その頃は、悠木千帆という芸名でした。私が大学生の時、オークションに悠木千帆の芸名を出品して、2万200円で落札されました。2万200円なんて、はした金です。お金を稼ぐためのオークション出品ではなく、自分の人生のイベントのひとつとして、芸名を売却したんです。一種の断捨離です。

 私自身、中学2年の夏に苗字が変わりました。そもそも、私には戸籍そのものがなくて、14歳までは、根拠のない姓名で暮らしていたんです。14歳のある日を境に、苗字が変わりました。正式な名前を獲得したという言い方もできますが、それまでの自分って、一体何だったんだろうという、素朴な疑問は持ちました。芸名であっても、それを売ってしまえば、それまでの人生とは、何らかの隔絶が生まれてしまいます。悠木千帆さんあらため樹木希林さんになったわけですが、普通の人じゃないなと思いました。もっとも、内田裕也さんと結婚した時点で、通常のノーマルな女優さんとはまったく違う価値観、人生観で、生きている人だとは、想像できていました。内田裕也さんがロックなのかどうか、私には判りませんが、どう見ても、普通の人じゃなくて、アブノーマルな方です。二人で暮らすとして、二人とも普通の人じゃなかったら、一緒に暮らすことは不可能です。たとえば、ゴッホが、ゴーギャンと一緒に暮らすとかって、あり得ないイベントです。その危険性を見抜けなかったゴッホの弟のテオだって、普通じゃないです。普通じゃない人が、健全に息災に暮らして行くためには、普通の人が傍に必要なんです。普通じゃない二人が、恋をすることは可能です。sexだってできます。が、結婚して、一緒に暮らすことはできません。希林さんと、内田さんは、最初のほんの一時期を除いて、その後は、ずっと別居生活でした。希林さんは、「内田とは一緒に暮らせない」と、はっきり仰っています。それは、まあ、内田さんだって同じです。

 私も私の母も、世間一般の常識で見れば、普通じゃない二人でした(私は歳を取って、相当、普通になりましたが、根本のとこでは、やっぱり普通じゃないと自覚しています)。普通じゃない二人が、親子だということが、悲劇でした。一緒に暮らすことは不可能です。親子で一緒に暮らしたのは、小5の夏までです。その後は、ずっと別空間で生活していました。

 一緒に暮らせる相手ではないのに、希林さんは、離婚しませんでした。也哉子さんという娘さんが生まれて、娘さんをシングルマザーの子供には、したくなかったのかもしれません。たとえ一緒に暮らしてなくても、結婚という制度が、ファミリーを守ってくれるという側面はあります。これは、母親が結婚してなくて、私生児だった私には、皮膚感覚で制度のありがたみが理解できます。差別されて、排除された経験がないと、当たり前の制度のありがたみは、多分、理解できません。

 普通の家じゃないファミリーで育った也哉子さんは、普通の人ではないです。希林さん、内田さん、也哉子さんの家族三人が、全員、普通じゃないとかって、ヤバすぎるだろうと思ってしまいます。当然、希林さんと他哉子さんは、普通の母子ではありません。そこには強烈なねじれがあります。希林さんの孫の伽羅さんは、希林さんのことが、大嫌いだったそうですが、その気持ちは判ります。母に代わって、祖母を憎み倒すって感じだったと想像できます。

 内田他哉子さんと、中野信子さんの対談記事を読むと、普通じゃない人たちが醸し出すオーラが、read between linesしなくても、そこら中に溢れていると感じます。この二人は、たまに対談するから、わきあいあいといった雰囲気で、しゃべれるんです。二人とも普通じゃないので、シェアハウスとかで一緒に暮らしたら、たちどころに行き詰まります。

 希林さんは、他哉子さんに、ほとんど何も買ってあげなかったそうです。所有欲を持つことは、良くないと希林さんは考えていたわけで、これはこれで、立派ですが、それを子供に押しつけるとこが、やっぱり常軌を逸脱しています。そんな普通じゃない育て方をする特別なファミリーの子供が、普通になる筈はないです。

 希林さんは「性格のいい男はいると思うんですけど、性格のいい女はいないですね」と、語っています。「男の『たち』は、浄化するとっかかりがあるという気がするけど、女の持っている『たち』というのはすさまじく、女というのは根本的に蠢(うごめ)いている感じがする」と云う風なことも仰っています。

 ドストエフスキーは「女を本当に理解できるのは男だけだ」と、「カラマーゾフの兄弟」の中で、述べています。私が本当に理解しているのは、故郷にいる親友のHです。何年会わなくても、どんなに離れていても、私はHを理解しています。それはHの方も同じです。自分を理解してくれている人間が、世界のどこかにちゃんと存在しているということは、ハピネスの基本じゃないかとすら思います。私は、愛娘を理解しています。ドストエフスキーのセリフが、子供を持つことによって、ようやく判ったという気もします。解るというのは、全面的にすべてが、未来永劫に渡って解るということです。ションコネリーとジーナローランズが夫婦役で出た「マイハートマイラブ」の映画の中で、ジーナローランズが「恋愛をすれば、相手のすべてが一瞬にして解る」と語っているんですが、恋愛の解るは、愛が冷めたら解らなくなります。恋愛の解るは、解ったと思い込んでしまう一種のイリュージョンのようなものです。

 普通じゃない家庭に育った、普通じゃない他哉子さんは、本木雅弘さんという、まったく普通の常識のある男性と結婚します。普通じゃないファミリーの子供が、まったく普通じゃない人と結婚して、さらにグレードアップした、普通じゃないファミリーを作り上げると云った、負のスパイラルに突入するということは、起こりにくいと思います。普通じゃないファミリーに育った方は、普通じゃない辛さを知り抜いています。より安全な、自分にとってsafetyなものを求めるのは、人間本来の防衛本能のようなものです。

 希林さんは、たまにCMで見かけるくらいでしたら、好感度抜群ですが、一緒に暮らしたら、地獄だろうなと「一切なりゆき」を読んで、リアルに感じました。何故、この本が、80万部も売れたのか、私にはさっぱり理由が理解できません。多くの普通の人は、日々、自分にとって都合良く誤解しながら、幸せに生きていると云うことだろうなと、勝手に想像しました。

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