自#380「今、めっちゃ売れている『在宅ひとり死のススメ』を読みました。ガン患者なら問題なし。認知症も軽度なら、在宅ひとり死は可能だと理解しました」

          「たかやん自由ノート380」

 上野千鶴子さんがお書きになった「在宅ひとり死のススメ」を読みました。すごい勢いで、おひとりさまが増えているそうです。コロナ禍になるまで、私はスタバやエクセルのようなカフェには、結構、入っていました。
「喫茶店に彼女と二人で入って、コーヒーを注文することは、ああ、それが青春」と、70'sに吉田拓郎さんは歌っていました。喫茶店というのは、彼氏、彼女や、友だちと一緒に入って、おしゃべりをする所でした。70'sの前半、私は喫茶店でバーテンのバイトをしていましたから、この事実は、自分の目で見て知っています。いつの頃からか(多分、ミレニアムあたり)喫茶店、カフェには、一人客が増えました。コミュ障が次第に広がって、ボッチのboy & girlが多くなったことも事実ですが、結婚をしてない年輩の方のおひとりさまも、明らかに増加しています。結婚をしていても、どちらかが先に死ぬでしょうし、いよいよ団塊の世代が後期高齢者になろうとしていますし、おひとりさまは、増えることはあっても、減ることはもう考えられません。一億総ボッチ時代に突入するという大袈裟な言い方も、もしかしたら可能かもしれません。

 三世代、四世代の家族が一緒に暮らしていた、昔の日本とは、文化がまるで様変わりしています。結婚をして、子供を産んで、子育てをしても、子供が社会人になれば、家を出て、別に所帯を持ちます。私が暮らしている公団の賃貸住宅に住んでいる方は、基本、お年寄りばかりです。成人した社会人の子供が、同居しているというケースは、少なくとも、私が住んでいる号棟では、見かけたことがありません。80-50問題は、私の近所では、起こってないと想像できます。コロナ禍になって、生協が食材を運んで来る数が、一挙に増えました。高齢者専用の弁当屋も存在していて、その弁当屋の軽四も、しょっちゅう号棟の前に止まっています。訪問介護の車もよく見かけます。上野さんの本を読んで、「在宅ひとり死」を心がけている方も、それなりにいるんだろうと想像しています。

 大阪で耳鼻咽喉科の病院を開業している辻川さんというお医者さんが、門真市在住の60歳以上の高齢者500人近くを調査し、460名から回答を得て、「独居高齢者の生活満足度の方が同居高齢者より高い」というデーターを得たそうです。生活満足度を、ざっくり「幸せ」と言い換えたとしたら、ボッチ高齢者の方が、誰かと暮らすより、幸せだということです。

 私は、66年も生きて来たわけですから、これまでの人生で、いろいろな家庭を見て来ました。直接リアルに見た場合もありますし、教師として、間接的に家庭の様子を生徒や保護者に聞いて把握したケースもあります。数は、そう少なくはないです。結論を言えば、昔のホームドラマやディズニーのような幸せな家族、家庭というものは、限りなくrareだし、どこの家庭も、どこか何かしら問題を抱えているということです。人間は、完璧じゃないし、それが当たり前なのかもしれません。

 元々、まったくの他人である夫婦が、ずっと愛し合っていて、生涯、幸せに暮らすというのは、おとぎ話の中でしかあり得ない、夢物語です。恋愛や夫婦の愛は、どんな愛だって、いつかは冷めます。冷めてから、どういう風に二人の関係を維持し続けて行くのかということは、お互いの工夫、努力、忍耐の問題です。工夫、努力、忍耐のどれか一つでも欠けたら、夫婦は危うくなります。結婚という枠組みは、今やそれほど大きなものではありません。離婚を許されてないのは、今や天皇家だけじゃないかと、私は推測しています。

 辻川さんの調査によると、二人世帯の満足度が一番低いそうです。二人世帯というのは、夫婦二人のケースが多いと思いますが、片親と子というケースも考えられます。満足度が一番低く、悩みが一番多いのが、二人世帯だと報告されています。私は、子供の頃から、ボッチな生活でしたから、おひとりさまの満足度が低くなく、悩みも少ないというのは、自分の実感として判ります。教え子には、「結婚をして、子育てをしろと」と言っていますが、それは、子孫を残すことが、DNAに組み込まれたミッションだと確信しているので、言ってるだけのことで、ソロで生きて行くことが、不幸せだなどと、考えたことは一度もありません。ソロで生きて行く方が、断然、楽です。が、楽な方を選んではいけないと、本能的に理解しています。

 結婚して、家庭が円満だとしても、夫婦どちらかは、最後、一人で死にます。上野さんは、医療保険と介護保険を上手に利用すれば、在宅で死ぬことは、普通に可能だと仰っています。私も、母親を病院で死なせましたから、充分、理解していますが、費用は病院が一番、かかります。差額ベッドの金額が、大きな負担なんです。あとまあ、どこの病院も、医療はおそらく過剰です。医療行為をするのが、病院ですから、過剰になるのは、ある程度、やむ得ないとも理解しています。医療行為が嫌なら、退院して下さいと言われても、在宅でケアする覚悟もスキルもない家族は、当惑してしまいます。最近は、施設で死ぬ方も増えました。施設で死ぬ方は、昔は皆無でした。死期が迫って来たら、自宅に戻って死ぬか、病院に入院させるか、どちらかでした。老健施設などは、本来、自宅に戻れるように、リハビリ、回復を目指す施設でした。今は、老健施設も、特養も、病院と同じように、最後の死に場所になっています。

 脳梗塞で、身体が不随になったり、認知症になったりしても、在宅でひとりで死ねるのかは、正直、なかなか技術的に難しい問題です。上野さんは、元気よく、大丈夫だと、おひとりさまを励ましているわけですが、このヘンの技術論にもっと踏み込んだ、解説書を読みたいと考えている読者は、きっと沢山いると思います。

 団塊が後期高齢者になり、認知症700万人時代を迎えると、今、煽られています。一体、誰が、どういう意図で煽っているんだろうと、ついつい猜疑的になってしまいます。こういう恐怖を煽るメッセージは、常に裏でビジネスが蠢(うごめ)いています。結局、製薬会社が、手ぐすね引いて待ち構えているということなのかもしれません。精神病院だって、ベッドを埋めようとしていると考えられます。精神病院というと、「カッコーの巣の上で」の映画が脳裏に浮かびます。抵抗していた患者は、最後、薬の力によって弱らされて、生気を失ってしまいます。

 ガン患者は、ゆるやかに死んで行くので、在宅ひとり死は、普通に可能だと思います。認知症も軽度なら、多分、大丈夫です。私自身も、在宅で死ぬつもりですが、いよいよとなったら、結局、どこで死んでも同じです。死に差別は存在してません。

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