教#078源氏物語⑧

       「たかやんノート78(源氏物語⑧)」

 私が高校生の頃、アンアン、ノンノが発売されました。ジャンル的にはファッション雑誌でしたが、装苑のように洋服に特化していたわけではなく、若い女性をターゲットにして、旅行や食べ物、美容、芸能と云った様々な分野を扱った、新感覚の雑誌でした。アンアン、ノンノが観光地の特集をすると、若い女性達が落ち寄せて来ると云う社会現象が起こるようになりました。
 同じようにジーンズ着た アンアン、ノンノ抱えた
 若いお嬢さんたちが、今、シャッターを切った
これは、さだまさしさんの「絵はがき坂」(オランダ坂)の歌詞のフレーズですが、長崎のオランダ坂に限らず、この現象は、萩でも、津和野でも、倉敷でも、京都でも起こっていました。

 私は、大学生の時、せっせと京都、奈良を歩いていました。奈良は、修学旅行のシーズン(主に秋)を除いて、そう人は多くなくて、落ち着いていました。京都は、春夏秋冬、観光客があふれていました。アンノン族だけではありません。アンノン族が集まることによって、一般の観客も押し寄せるようになりました。

 今朝は、富田渓仙さんが描いた、嵯峨八景の絵を見ました。富田さんは、大正の初め頃から嵐山に住んで、嵯峨の絵を描いていました。嵯峨には、嵯峨天皇の離宮であった大覚寺、斎宮が伊勢に下向される前、一年間、お暮らしになる野々宮。光源氏の嵯峨の御堂のモデルと言われている清涼寺など、著名な名跡がたくさんありますが、著名な観光地になったのは、アンアン、ノンノのお陰です。平安貴族は、嵯峨の西に極楽浄土があると信じていました。大正時代の富田さんの嵯峨の絵を見ていても、何となくそれは、信じられます。が、私が大学時代に嵯峨を訪れた時は、たとえば、大堰川に架かる渡月橋などは、三条大橋と変わらないくらいの混雑ぶりでした。源氏物語の世界に入って行くためには、千年くらい時間を巻き戻す必要があります。与謝野晶子の現代語訳を読んでいるくらいでは、せいぜいアンノン族が、登場する前あたりまでしか、時間は巻き戻せません。源氏物語を、15ヶ月もかけて、2回、通読しましたが、それは、時間を巻き戻す努力をしたと云う一面もあります。

 時間を巻き戻さなくても、今と変わらないものは、沢山あります。ファッションに対する水準の高い美意識は、変わりません。いや、今、以上だと思います。さすがに糸を撚ったり、布を織ったりはしませんが、染色は、身分の高い女性たちや女房が、自らの手仕事で、布を染めます。基本は絹染めです。ほんのちょっとしたことで、色合いは大きく変わってしまいます。紫の上は、すぐれた染色の技術を身につけていました。自分自身でも染めますが、女房たちを動かす必要があります。売れっ子のマンガ家とそのアシスタントたちと云う関係と似ています。毎晩、徹夜で、ほとんど修羅場と云った忙しい日々も、大きなイベント(祭りとか引っ越しとか)の前にはやって来ます。時々、超忙しい修羅場があるからこそ、めりはりと緩急があって、より生きがいを感じると云うことは、間違いなくあると思います。

 空気を読む、世間の物笑われにならないように努力をする、周囲に批判されないように気配りをする、ひとことで言って、協調性と云うことだと言えます。突出した個性は、歓迎されませんし、出る杭はやはり打たれます。過去に実力主義時代だったと言えるのは、まず戦国時代。織田も徳川も、吹けば飛ぶようなちっちゃな大名でした。秀吉は庶民です。まさに下剋上。戦国時代を通して、カーストは、シャッフルされ、新たな支配階級が生まれました。明治維新も、薩長の下級武士たちが成し遂げましたから、徳川家を中心とした支配階級は、没落しました。実力主義の第三の波は、まさに今、やって来たと感じます。旧態依然とした生活スタイルに固執していたら、取り残されます。with コロナ、post コロナに向けて、ICTを自由自在に駆使して動ける、真のグルーバルな世界市民が求められいます。

 光源氏が活躍する中古の時代は、摂関政治が完成しています。政治的変革と云った観点から見ると、まったく無風です。半世紀後くらいに、末法の時代に突入するので、それはそれで、人々に暗い影を落としていますが、いくら人間の英知を結集しても、末法からは逃れられません。末法は人知を越えたカタストロフィーです。個々人は、二世(現世と来世で二世)を共にするパートナーと出会い、連れ添えるように、せいいっぱい努力すべきなんです。

 不易流行の「不易」の最たるものは恋愛です。万葉の昔も、光源氏や頭中将の時代も、月9の今も、恋愛の本質は同じです。恋愛は、illusionです。illusionにrealityを持たせるための歌であり、服装であり、髪の美しさであり、こまごまとした気配りであると言えます。

 手元にある古典の辞書で、「見ゆ」と「見る」とを引いてみました。「見ゆ」はヤ行下二段の自動詞。「見る」は、マ行上一段の他動詞。見るは、現代と同じように、視覚を働かせて物事を認めることです。ところで、女性は、軽々しく、男性に見られることは、許されません。夫、父親、子供以外の人に、見られることはNGでした。宇治の大君と中君は、二人とも薫に顔を見られてしまいます。もう、それだけで、男女の関係があったことと同じだと見なされてしまいます。顔を見られる=行き着くとこまで行っちゃってしまったと云うとこはあります。現代にも、深窓の令嬢と云う言葉があります。軽々しく見られたりしない方がいいと云う考え方は、現在まで残っています。いつでも、どこでも会える、見られると云う女性は、軽々しくて、重みに欠けると、考えてしまう傾向は、やっぱりあります。

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