自#375「感性を磨く努力は、幾つになってもするべきだと思います。木登りをしてみたいんですが、勝手に登っていい手頃な樹木が周囲にありません。次善の策としてボルダリングの施設でもいいです。ストレス解消も兼ねて、下にマットを敷いたボルダリング施設は、今や学校現場では、必要不可欠なんじゃないかと、私は勝手に想像しています」

          「たかやん自由ノート375」

 協生農法で、新たな農業に取り組まれている船橋真俊(ふなばしまさとし)さんのインタビュー記事をアエラで読みました。船橋さんは1979年生まれですから、現在、42歳です。クヌギの木に登っている姿の写真が掲載されています。子供は、誰だって木に登りたがるものですが、大人になっても、子供のように木登りができる船橋さんの感性は、大人たちの常識やcleverな知恵、処世術などの有象無象には、毒されてないように見えます。

 船橋さんが手がけている協生農法は、化学肥料も農薬も使用しません。perfectなオーガニック農法です。木、昆虫、動物などを総合的に活用して、生態系全体の働きによって、植物を育て、収穫をします。開墾をしたり、耕したりして開発されてしまった大地を、もう一度、自然の状態に戻して、そこで採集できるものを、農作物として収穫するという農業スタイルです。

 私は、小学校の5、6年の頃、自然に囲まれて生活していました。海にも山にも、公共事業のコンクリートの塊は、一切ない、authenticな自然の中で、日々、遊んでいました。船橋さんが目指しているものは、直観で理解できます。化学肥料や農薬を一切使わなくても(いや使わないからこそ)生態系が機能して、自然はゆたかな恵みを育んでくれます。つまりあるべき自然に、人間の力も使いながら、戻そうとされているんだと想像できます。弥生時代に入ると、米作りが伝えられ、大地は開発され始めますから、それ以前の縄文時代のような自然を取り戻そうとする運動なんだろうと、勝手に解釈しました。

 船橋さんは、東大の農学部で獣医学を専攻し、ウィルスを扱う分子生物学を学びます。ところが、ウィルスは、実験室で解析をしている間も「進化」して、ゲノム配列が変わってしまいます。外的要因があれば、ゆらぎは大きくなります。外的要因を動かないものにガチガチに固めて、ある一定の研究成果を導き出すというやり方は、流動している現実の命のある世界を、把握できていません。船橋さんは、命のある生命そのものを追ってみたいと考えるようになります。

 船橋さんは、大学院(マスター)で、数理科学を履修し、フランスのエコールポリテクニーク大学院に留学し、複雑系物理学を学びます。複雑系の科学が、発生生物学、脳科学、社会ネットワークなどの応用分野に展開し始めていた頃です。船橋さんは、生きとし生けるもの同士の複雑な関係性を含む「多様な全体」と向き合う覚悟をします。生態学では、生き物同士が一緒にいることで、それぞれ利益のある共生関係が無数にあると知られ、農学でも、一種類の植物を植えるより、数種類の植物を混生させる方が、バイオマス(生物体の量)が増えると言う報告もされています。そうした多様な生態系の関係性を拾い上げて知見にし、食料生産を向上させるのに、複雑系科学を使うマネジメントは有効だと、船橋さんは確信します。あとは、何をどう具体化していくのかです。

 フランスで博士論文を書き上げた頃、三重県伊勢市の桜自然塾の大塚隆さんのブログに出会います。大塚さんは、野人です。海に潜り、野に分け入り、身体と理でものを考え、独自で理論を体得し、すでに生物多様性を高めながら、持続可能な食料生産を実践されていました。船橋さんが辿りつけなかった「解」をすでに導き出し、実践されていた方がいたわけです。パリの大学院に在籍していて、パソコンでブログを読んで、今まさに求めているものにdirectに出会える、ネット時代ならではの「発見と急転」だなという印象を受けました。百尺竿頭の最後の一歩を、ネットの力で踏み出したと言っても、決して過言ではないと思います。ネット世界の醍醐味のようなものを、あらためて感じてしまいました。

 船橋さんは帰国し、大塚さんの元を訪ね、大塚さんから、様々なことを学びます。大塚さんは、銛で魚を突く方法も教えますが「お前は殺気が強すぎる。殺気を消せ」と指導したりします。そうすると船橋さんは、水中で「僕はここにいません」という殺気を消す方法を立ちどころに会得します。大塚さんがやっていることを、協生農法と名付けて、協生農法を世界に波及させる研究機関として、ソニーCSLを探し出して入社し、アフリカの最貧国のひとつブルキナファソの荒廃した大地で、協生農法を実践します。150種余りの多種多様な野菜や果樹を現地で調達し、定植したそうです。すると、わずか1年で植物が満ち溢れたジャングルに変貌します。ブルキナファソは、赤道近くにあり高温です。生態系がそれぞれ、生かしあって支えれば、乾地であっても、豊富な生命が出現するんです。その昔のタッシリナジェールの遺跡のある地は、緑の大地だったというlegendは、リアルだったんだと、私なりに納得できました。

 船橋さんは、木登りだけでなく、ウィンドサーフィンでも、インスピレーションを受けまくっているようです。「板と帆のジョイントと、両手両足との接触点と、関節が五つあるようなもの。四つのずらせる関節を使って、板と帆の動きに反映させ、波と風という複雑な二種の物体をマネージメントする感じ」と船橋さんは語っています。ウィンドサーフィンをしている時に、数式のアルゴリズムや事業戦略を思いつくこともあるようです。

 小6の夏、自力で筏(いかだ)を作って、海に乗り出した時のことを思い出しました。波に揺られる感じが、何とも言えず、fantasticでした。中学時代にヤンキーにならず(まあ、ヤンキーな中坊だったことを後悔はしてませんが)あのまま、筏少年だった自分を発展させていたら、人生はまったく違ったものになっていたとは思います。感性を研ぎ澄ましていれば、小5、6の頃のモノと人との出会いには、人生の方向性を導き出すヒントがきっと隠れているんだろうと想像できます。

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