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自#151|外側に開かれた茶室(自由note)

 武者小路千家の次の家元になられる千宗屋さんのインタビュー記事を読みました。千利休の血筋のお茶の家元は、三つあります。千宗旦(千利休の孫)の次男の宗守が、京都武者小路に分家して開いた流派を、武者小路千家と言います。表と裏、武者小路を合わせて、三千家です。武者小路千家の家元は、代々、宗守を名乗るので、宗屋さんが現在の第十四代の家元の跡を継げば、十五代家元として、宗守を襲名します。

 私は若い頃、お茶を習っていました。茶道がブレイクしたのは、江戸時代ですが、お茶室空間の雰囲気は、近世江戸時代の物質文明の豊かさは、微塵も感じさせません。京都にあるお茶室も、見学できる有名なものは、だいたい見ましたが、どのお茶室も、質素で素朴で、地味な印象を受けました。鎌倉時代に日本に入って来た禅の影響を、かなり受けています。鎌倉時代は、まだ、経済的には貧しかった時代だと思いますが、日本がまだ貧しかった頃の雰囲気を、少なくともお茶室は、今にいたるまで伝えています。お茶を趣味として嗜む人は、別に貧しくはないのかもしれません(ある程度、資産がないとお茶室を造ったり、お茶道具を揃えたりと言った贅沢は、不可能です)。が、お茶自体を楽しむことは、貧しくても可能です。身分の上下、貧富の差などまったく考慮せず、一期一会の喫茶を堪能できるのが、本来のわび茶の精神だろうと想像できます。

 武者小路千家には、官休庵と云うお茶室があります。表千家ですと不審庵。裏千家ですと今日庵。どれも、とんでもなく質素で、わびさびたお茶室です。が、茶室を造った頃の質素・わびさびを維持するために、莫大なお金をかけて、メンテナンスをし続けていると推測できます。

 宗屋さんの幼なじみの三島邦弘さんは「千くんの家は、広いので子供の頃に、かくれんぼや鬼ごっこをするのが楽しかった」と述懐しています。お茶室の屋根に登ってお弟子さんに叱られたこともあるそうです。今や繊細なガラス細工のような壊れやすいお茶室です。モンスターのような子供に屋根の上に登られたら、それはやっぱり困ります。

 宗屋さんは、まだ家元ではなく、次期家元ですから、割合、自由に動けます。文化庁から文化交流使節として、アメリカに派遣されて、一年間、ニューヨークを拠点に、全米各地やヨーロッパにまで足を運び、茶道を通じた交流に努めたそうです。

 臨済宗相国寺派管長の茶人でもある有馬頼底さんは「あなたは、一生懸命な勉強家で知識が豊富。ただ、あまり知識で太り過ぎてしまって実践が伴わない人間もいるものです。そうなって欲しくない。禅は体験の宗教。知識よりも体験だ」と、かつてアドバイスしたそうです。禅=茶道ではありませんが、根底の部分では、相通じているものがあります。体験するためには、海外に行くのが、一番、手っ取り早いです。沢木耕太郎さんの深夜特急が人口に膾炙していた頃、デリーの安いゲストハウスには、沈没していた日本の若者が沢山いました。私の教え子も、バンコクのカオサンの安宿で、結構、沈没していました。沈没は、ある種の引きこもりですが、自宅で引きこもるのとは、やはり体験のレベルが違います。海外では、衣食住をとにかく自力で、どうにかしなければいけないと云う意味では、たとえ沈没しても、外国での生活は、そこら中、体験だらけだと言えます。

 宗屋さんも、一年間の海外派遣で、体験の幅を一気に広げたんだろうと想像できます。宗屋さんは「異なる環境の中で暮らして、いろいろな方と交流しましたが、外国にいる日本人や外国人が、本当にお茶に対して、一生懸命なことに驚きました。きちんと着物を着て、お菓子も手作りし、できるだけ伝統的なお茶をやろうとなさっています。環境に恵まれているはずの日本人は、もっとちゃんとお茶をやらないといけないと痛感しました」と、語っています。私は、お茶を習っていた頃、二人の先生に師事しました。稽古は、週一でしたから、200回やそこらは、お茶を体験しています。お茶事と云う、最後らへんに濃茶が出るイベントにも、4、5回、参加しました。濃茶の席では、懐石料理が出ます。その料理は手作りですが、お菓子は、お菓子屋さんに特注で作って貰っていました。手作りの菓子が、茶席で出たことは、一度もありません。が、まあ、外国ですと、和菓子屋が存在してないので、手作りで作らざるを得ないのかもしれません。東京でも、結構、あちこちに和菓子屋があります。お茶の文化にも支えられて、和菓子屋は生き残っているんだろうと想像できます。

 京セラ美術館の庭にある聞鳥庵と云う茶室で、宗屋さんが、お茶をサービスしているスナップ写真が掲載されています。ちなみに、聞鳥庵は、モンドリアンと読ませています。きくとりあんでは、解りぬくいので、外国人のためにモンドリアンにしたんだろうと思われます。が、モンドリアンだと、誰しもが(外国人だと特に)「ブロードウェイ・ブギウギ」を連想してしまいそうです。この聞鳥庵は、池の上に建てられていて、全面ガラス張りです。つまり、外の自然にdirectに直結しています。狭い閉鎖的な茶室に引きこもるのではなく、外側に開かれた茶室を目指すと云う京セラ側の意向も汲んで造った茶室だろうと想像できます。ガラス張りですから、実際の点前を、多くの方が、外側から見学することができます。お茶の醍醐味のひとつは、美しい点前を拝見できることです。美しい、みごとな点前でお茶を点てられる方は、そう多くはいないと思います。私は、100人以上のお点前を拝見しましたが、点前がとびきり美しいと感じたのは、最初に師事した先生だけです(めったに見せて下さらなくて、3回くらいしか見てません)。美しい点前を、積極的に観客に見せることも、これからの茶道の世界では、多分、求められていることだろうと想像しました。

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