自#378「大量に生産し、大量に消費するのが、今の社会の仕組みですが、自分らしい工夫をして、どこかでこのサイクルから、多少なりとも、逃れる努力は、やっぱり必要だと思います」

         「たかやん自由ノート378」

 中野孝次さんがお書きになった「清貧の思想」を読みました。広辞苑で「清貧」を引くと、「行いが清らかで、私欲がなく、そのために貧しくしていること」と説明しています。格調高い感じです。中野さんは、この格調高い生活を実践された、過去の偉大な人物を紹介しています。西行、兼好、光悦、芭蕉、大雅、良寛・・・等々。まあしかし、そんな偉大な方は、取り敢えず、さて置いて、産業革命以降の大量生産、大量消費社会に抗う節約、倹約と云ったsimpleな徳目で考えてみます。

 私は、さほどお金を使わない質素で倹約な生活を、実践して来たと自負しています。洋服とか美味な食べ物にお金を使う習慣は、二十歳くらいの頃からなかったと記憶しています(もっとも美味な酒は、20代を通して飲んでいました)。人身事故を起こしたことがきっかけですが、20代の後半、車に乗ることをやめました。持っていたカローラと、車よりももっと値段の高かったカーステレオを、ともに処分しました。まだ、四万十川の河口の町に住んでいた頃です。車に乗らないようになってからは、当時親しくしていた材木屋のマスターの家まで、2時間かけて、歩いて出向くようになりました。チャリで行く方法もあったんですが、より不便な歩きの方を選びました。質素と倹約を貫くためには、少々、不便なことも、耐え忍ばなければいけません。

 その頃、当時の価格で、100万円くらいのオーディオセットと、3000枚近いレコードを持っていました。質素と倹約とはほど遠い、プチブルジョワ的な個人所有です。何かひとつくらいは、贅沢な所有物があってもいいと、都合良く考えていましたが、36歳の時、火事に遭って、オーディオセットもレコードもすべて失いました。それだけでなく、家財道具はことごとく焼失したんですが、自分にとっての喪失感が一番、大きかったのは3000枚のレコードです。モノを所有することに、こだわってはいけないと、大きな摂理に諭されたしまったような思いもしました。喪失感はあったんですが、何かふっきれたような爽快感もありました。

 その後、CDを買い集め、今は、1800枚くらい、ストックがありますが、少々音が悪いのを我慢して、サブスクを利用すれば、1800枚のCDは、もう不要です。テクノロジーの進化によって、実質的な断捨離がすみやかに、行われてしまっているわけです。サブスクの利用をするしないは別として、1800枚のCDに、こだわりはありません。この先、耳が遠くなって、聞く機会がないと判れば、Book Offの営業さんに来てもらって、二束三文で処分します。

 授業の最後にエンディング曲を流し、エッセーのようなプリントを配っていました。36年間続けて来たこのルーティーンを、今年度からやめました。エンディング曲の方は、ともかくとして、プリントの方は、どう考えても紙を無駄遣いしていると、ここ10年くらいは、内心忸怩たるものがあったんです。熱心に読んでくれるのは、クラスの一人か二人です。そのrareな一人か二人のために、全員分のプリントを印刷して配るとかって、費用対効果的にも、効率の悪すぎるactivityです。とにかく、紙を大量使用しています。世界史の用語を書いて覚える時、プリントの裏を使って貰えばいいと、自分に言い訳をしていましたが、紙にシノイキスモスとかディアドコイなどと何度も書いて、覚える生徒も、もう少数派になってしまっています。アマゾンの熱帯雨林のジャングルを購入して、地球環境を少しでも守ろうとしているスティングに対しても、申し訳ない気がします。文章は、noteにupして、多少なりとも読んでもらえているので、それでもう充分だと判断し、授業の最後のプリントを廃止しました(エンディングとプリントはセットだったので、同時に両方やめました)。プラスαなしで、授業の中身だけで勝負するという当たり前の境遇に、フルタイムの教員時代を終えて、非常勤講師になってから陥ったわけです。非常勤講師は、使い捨てのコマだという嘆きが、新聞の声の欄に出ていました。私は、使い捨てのコマだと、割り切って仕事をしていますから、別段、意に介してませんが、使い捨てのコマであっても、より良い仕事をしなければいけないと自覚しています。フルタイムの教員時代より、より良い授業をするという負荷を自分にかけています(年寄りになると、積極的に負荷をかけないと、あっという間に退化してしまいます)。

 J高校でバンドの部活を立ちあげて、機材などを努力して揃えたわけですが、同好会なので、予算は一切貰えません。ハードオフで、安いアンプやその他の機材を買って来て、それを使っていました。壊れたら、修理して使用しました。初代のKくん、二代目のR、三代目のTくんと、修理のできるリペア部長がいました。二代目のRは、リペア副部長だったんですが、その押しの強さで、実質リペア部長でした。練習で使っていた教室の一画にリペア工房を開設していました。リペアのための工具やパーツなどを、数多く揃えていました。アンプも楽器も修理できる、他校の追随を許さない、本格的なリペア工房でした。毎年、ESPさんに来てもらって、リペアの講習会を開催していましたが、ESPの先生に、すばらしい工房ですと、褒めてもらったことがあります。同好会で予算もなく、都立ですから、部費もそう高額な金額は集められず、そういう貧しさの中で、生徒が創意工夫していたんです。アンプや楽器をきちんとリペアして、リサイクルして使う、それなりの黄金時代を築き上げたと自分では思っています。その後、同好会から部に昇格し、予算も貰え、機材も次第次第にstockされて、だんだん豊かになると、気持ちも緩んでしまいます。そうこうしている内にリペアできる生徒が、いなくなってしまいました。新校舎ができて、移転したんですが、保管場所が確保できず、リペアのためのパーツを全部、廃棄しました。禍福はあざなえる縄のごとしって感じもします。が、順風満帆でいいことばかりだと、人は成長しません。部活を支えていた顧問の私がいなくなり、残った生徒は、苦労するだろうとは思いましたが、いろいろ大変な苦労をすることで、成長します。そこへもって来て、コロナ禍が追い打ちをかけました。コロナ化で、もしかしたら、とんでもなくスケールの大きい人材が、飛び出して来るのかもしれないと、勝手に期待したりもしています。

 誰の人生も、そうそう思い通りにはならないものですが、経済的に充分に恵まれているよりも、恵まれてない方が、より大きなchanceをつかみ、ハピネスに近づけると云う気は、やっぱりします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?