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西森さんの自由帳

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私の書きたいことをテーマを絞らず自由に書いた文章をまとめました。
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2021年2月の記事一覧

自#324「補聴器の値段が、片耳、最低10万円から50万円まで。これって、あまりにも高す…

         「たかやん自由ノート324」  朝日新聞の声の欄で、「補聴器が高すぎる」…

西森さん
3年前
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自#323「受験も仕事、まあ老後ライフも、根拠のない自信を持っている者勝ちって気はし…

         「たかやん自由ノート323」  認知症に関する記事を読みました。危険信号c…

西森さん
3年前
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自#322「長田弘さんの全詩集を買うかどうか、迷っています。五千円くらいします。週刊…

         「たかやん自由ノート321」  創刊99周年を迎えた週刊朝日が、過去に伝え…

西森さん
3年前
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自#321「刑事ドラマを放映していると、どれも「科捜研」に見えてしまう。これって、ス…

         「たかやん自由ノート321」  創刊99周年を迎えた週刊朝日が、過去に伝え…

西森さん
3年前
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自#320「音楽系のアーティストになることを、教え子に勧めたことは、過去に一度もあり…

          「たかやん自由ノート320」  2月に真打になられた落語家の桂宮治さんの…

西森さん
3年前
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自#319「本当に死ぬほど忙しいなんてこは、今の私には、残念ながらもうないんですが、…

          「たかやん自由ノート319」  アエラで食事との飲み物の記事を読みまし…

西森さん
3年前
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自#318「温故知新、過去と向き合うことによって、未来の次の一歩が、見えて来たりするものです」

          「たかやん自由ノート318」  タレントのサヘルローズさんのインタビュー記事を読みました。サヘルさんは、7歳まで、イランの孤児院で過ごし、8歳の時、里親と一緒に来日し、その後は、日本で暮らします。サヘルさんは、まったくの孤児で、両親の存在は不明ですし、いつ生まれたのかも、正確なことは判りません。  私が子供の頃、孤児院という言葉はもう使ってなくて、養護施設と言ってました。私が生まれたのは1954年です。翌年の1955年は、いわゆる55年体制(自由民主党

自#317「気持ちがいくら若くても、身体は歳とともに衰えます。気持ちの若さと、身体の…

        「たかやん自由ノート317」  プロボディビルダーの横川尚隆(よこかわなおた…

西森さん
3年前
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自#316「5、6年前だったか、ビットコインで、結構、稼ぎましたって言ってた高校生がい…

         「たかやん自由ノート316」  評論家の佐藤優さんと、GMOインターネットCE…

西森さん
3年前
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自#315「芭蕉と蕪村を較べてみると、蕪村は明るくて、近代に直結していますが、芭蕉は…

         「たかやん自由ノート315」  小児科医の細谷亮太さんのインタビュー記事…

西森さん
3年前
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自#314「高齢になっても、脂っこいものが好きで、大食。しかも、女好き。それでいて長…

           「たかやん自由ノート314」  渋沢栄一の記事を週刊現代で読みました…

西森さん
3年前
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自#313「キングダムを読んで影響を受け、その後、結構、漢文を読みました。儒家はやっ…

           「たかやん自由ノート313」  週刊現代で、「捨てたもの、やめたこと」…

西森さん
3年前
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自#312「何ができるのかを考え、優先順位をつけて、順番に仕事を片付けて行きます。が…

         「たかやん自由ノート312」  20代の後半、四万十川の河口の土佐中村で、4…

西森さん
3年前
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自#311「昨日も聞いた、今日も見た、早稲田の杜に青成瓢吉が出る、と云う前説で、人生劇場を、早慶戦に勝った時、応援団が歌っていたんですが、今でもやっているかどうかは、判りません」

          「たかやん自由ノート311」  中野翠さんが「あのころ早稲田で」の中で、紹介していた「突破者」(とっぱもの)と云うドキュメンタリーを読みました。「突破者」の著者は、グリコ森永事件の犯人に一時期、擬せられていた宮崎学さんです。宮崎さんは、京都の伏見に拠点を置いていた寺村組というヤクザの組長の息子です。小中学校の時に、勉強を見てくれた家庭教師の影響で、マルクスの「共産党宣言」やレーニンの「何をなすべきか」と云った本を読みます。共産党宣言の「共産主義者は、自ら