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今日からエスコバル!

その木が植わっていたのは、どうってことない空き地の一角だった。
 僕は不動産会社の一社員。長野県熊沢市。一地方都市の建物と建物の間、細い私道を通った先の、だだっ広い空き地。
 不動産の常識として、通りに面してない土地というのは、大概価値がないものとして扱われる。地方都市の郊外ともなると、不動産の所有者が誰かわからないなんてことはザラで、それが建物まで及ぶと解体できない廃墟の出来上がりだ。この土地は、そうした廃墟に四方囲まれている。
 商業的にはなんの価値もない土地だった。

「前の所有者は、偉い学者の先生でな。何がいいんだかこんなところで一人暮らしで、見つかったときには床のシミになってたとよ」

 壮年の男性──土地の所有者であるこの人にとっては、縁もゆかりもない長野県の山近くにある街の、しかもほとんど価値もつかないこの土地に、なんの未練もないようだった。

「とにかく、建物が無いぶん税金が高くてかなわんよ。二百㎡だよ? 使いみちもないし、平米毎一万円でも──いや千円でもいいから、売り物にならんかね?」

 僕の心臓は早鐘を打っていた。僕の大学時代の専攻は社会学。卒業論文は違法薬物と経済の関係。必死に頭に叩き込んだ知識が、目次を見つけてページを開くようになだれ込んでくる。
 この木は、コカだ。南アメリカ原産。この葉を集めて希硫酸で処理して、ペーストを作って──ものすごい勢いで、早回しで映像を見るみたいに想像が膨らんでいく。
 違法薬物、コカインの原料。その原料となる木が目の前にある。

「二十万円」

 僕は思わず口に出していた。不動産会社の社員なんて言っても、旨味なんて何もない。夜遅くまで働いて、心身ともにすり減らすだけだ。

「二十万円で、この土地を売っていただけませんか?」

 僕にはできる。純度百パーセント、本物のコカインを作って、流通させられれば──日本初の麻薬王になれる。

続く