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四角いマットの人食い狼(4)

 一週間ほどしてから、ゴッドプロレス側は緊急の記者会見を開いた。帝国プラザホテルの鶴の間──様々な芸能人が華やかな式を執り行ってきたこの場は、まるで戦いを始める前のようにピリピリとした空気が支配していた。

「ハラダ選手! 説明してくださいよ!」

 日本スポーツの記者が気勢をあげる。

「言ったとおりですよ。自分は明日からリブレに移籍して、そこのベルトを獲ります」

 天井に手がくっつくのではないか、というほど高く、記者たちは手を掲げ、フラッシュを瞬かせた。
 神プロ若手のエース格の電撃移籍。それもリブレという業界でも五本の指にぎりぎり入るか入らないかの団体だ。
逆ならば、シンデレラストーリーともいえるだろうが、これでは都落ちと言われても仕方がない。
 プロレスラーは実力以上に泊がモノを言う世界である。有り体にいえば、ナメられたらおしまいなのだ。
 ハラダのレスラー人生に大きく影を落とすであろうことに疑いの余地はない。記者の誰もが思った。

「で、ではやはり、リブレのヘビー級チャンピオンのローン・ウルフ選手に挑戦するということなのでしょうか?」

「相手が何分持つかわかんないすけどね。でも、一つだけはっきりしてるのは──リブレの王座を獲ったら、ウチの社長……アトキンス神野がベルト賭けて俺とやってくれるって言ってくれましたから」

 記者たちの動揺が、一石を投じるように広がるのに時間はかからなかった。
 あのアトキンス神野が、ベルトを賭けてやる、と言いきるのには大きな意味がある。
 彼はここ数年、本気を出したことなどない。どれほど優位な試合でも、余裕をもって相手に花を持たせてやることができた。
 もちろん、試合は盛り上がる。客もアトキンス神野を見に来る。そうして積み重なったのが、彼の不敗伝説であり──神格化であるともいえる。
 ベルトを賭けて、若手実力ナンバーワンのハラダとやる。日本プロレス界の頂点を極めた彼がそういうのであれば、半分ハラダを後継者に定めたようなものだ。彼が玉座を降り、同じ四角いマットの地を踏み、自らの地位を賭けて戦うことはそれほどの重みなのだ。
 ハラダはそうした神野の君臨を苦々しく思っていることを隠さない、プロレス界でもそういない人物であり──それがファンからも許される人間でもあった。

「しかしこれはねェ……左遷もいいとこだ」
 
 男は今どき黒革の手帳に万年筆で直接字を書き付けていた。蛇ののたくったような汚い字。背中越しから見えるその頭をつるりと剃り上げている。
 梶山イツキ。月刊バトルなるプロレス専門誌における神プロの番記者であり、業界の事情通でもある。

「なんでです? ハラダを敵として認めたんでしょ?」

茶髪混じりの若い男──梶山の部下である小原は、デジカメでハラダの写り具合を確認しながら尋ねた。

「バカ。そこまで言うなら、さっさとやらせりゃいいんだ。それを条件つけて団体追い出して──神野が考えが変わったやらねえっていやそれまでじゃねェか」

 それに、リブレにはあの男がいる──。
 リブレのヘビー級チャンピオン、ローン・ウルフは相変わらずの活躍ぶりだった。美しい空中殺法に、ヘビー級に見合わぬ高速殺法は以前にも増してキレが良くなったと評判である。
 しかし梶山を含む記者や一部のファンの間では──『以前の彼と比べても』キレが良すぎている、と囁かれている。
 しかしそれでもなお、神プロのエースとリブレのスターでは、実力で言っても差が出るだろう。神プロの一線で活躍し、神野の喉元に食らいつくのは、それほどに難しいことだ。

「ハラダの実力なら、そりゃ十二分に渡り合えるし──はっきりいえばベルトを獲ることくらい容易いだろう。……だからわからん。リブレ側がよくこの話を受けたもんだ。……ローン・ウルフが隠し玉を持ってるのかもしれんな」


 ハラダは実力者で、明らかな侵略者で──そして簒奪者となるだろう。リブレとて、そのくらいわからないはずがない。
 何かがある。梶山は親指についた万年筆のインクを舐めた。