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サウナよりも「フィンランド」そのものがきわめて面白いと感じた理由

サウナ好きとしてフィンランドへ通うようになってから(コロナを挟んで)7年になる。フィンランドは行けば行くほど新しい発見がある。だからぼくは定期的に足を運び、時には仕事としてフィンランドを訪れることもある。

フィンランドの本質を突き詰めた先のひとつに「自然」という表現が頭に浮かぶ。フィンランドの暮らしに深く入れば入るほど、人々の暮らしには自然との距離がものすごく近いのだということを強く実感させられる。大国・日本に住み、かつ都市部で育ったぼくたちからは想像しがたい感覚に思えた。

ぼくの中で、フィンランドは「着飾らない国」という印象だ。写真映えするサウナは数える程しかないし、エンタメやモノなどの娯楽も限られている。一方で、近隣の国では先鋭的なサウナやパフォーマンスが登場し、日本のサウナシーンもフィンランド外の、それらの国から大きな影響を受けてきた。

でも、どのサウナが一番面白いかというと「フィンランド」一択と答える。

Marimekkoによって設計された「マリサウナ」のイメージ

フィンランドといえば「建築」や「デザイン」の先進国でもある。世界的なブランドとして名高い、あのMarimekkoもサウナを手掛けていた事実はご存知だろうか。フィンランドの自然さえも舞台にし、デザインとランドスケープを融合させた表現以上に、クリエイティブなものはないとぼくは考える。

そして自然というのは、目に見える四季や景観だけではなく、そこで過ごす人々の在り方、日常から着飾らず、他人に干渉しすぎないスタンスそのものも、自然という表現に含まれるものだと思う。何より、外からの目を気にして背伸びをするより、自然体でいることの方が生き様として格好良く映る。

フィンランドのサウナが放つ一見シンプルな表現は、まるで何世紀も語り継がれる書籍のように、限りある言葉であっても、きわめて豊かな印象と情報量を読者に与える。その入口として、サウナはきわめて有効なツールであり、フィンランドでは人々にとって当たり前のものとして定着している。

それでもなぜ、フィンランドのサウナ、いや、フィンランドそのものが面白いと感じているのか。もはやサウナの話題から離れてしまうかもしれないが、この記事では、ぼくの個人的体験も交えながらお伝えしていきたい。

フィンランドがきわめて面白いと感じた理由

先にフィンランドの印象についてあれこれと触れてみたが、あらためてフィンランドと聞くと、どんなものが真っ先に思い浮かぶだろうか。ムーミン?オーロラ?それとも幸福度ランキング…?また、北欧家具やインテリアのアイテムにおいても、フィンランドのモノは常に身近なものとして存在する。

サウナ好きとしてフィンランドに足を運ぶと、公共サウナをハシゴするあまり、フィンランドのモノをついスルーしてしまいそうになる。そしてサウナはサウナの世界として独立していて、フィンランドのモノやライフスタイルには結びつかないと、勝手ながら初期はそう思っていた。そのはずだった…

しかしフィンランドのサウナには、フィンランドのモノやライフスタイルの本質がすべて凝縮されていた。フィンランドのインテリアやデザイン思考は、サウナでも例外ではなく、それぞれが分断していないものだった。これは公共のサウナではなく、人々の暮らしに触れ初めて気付けたことだった。

思えば、ぼくたちはインテリアとは何か、デザインとは何かという認識さえも曖昧だ。この問いが抜け落ちてしまうと、日本でどれだけ本場のサウナを再現しようとも、インテリアやデザイン思考が抜けたまま片手落ちのものが出来上がる。そしてライフスタイルとは、という問いにも答えようがない。

思わず家に飾りたくなるデザインタオルも、サウナではむしろどんどん使うことを推奨される

フィンランドにおけるデザインの例に、目で見るだけでなく身体で体験するものだと認識されている。その秀逸なデザインからつい、まるで額縁に飾ってしまいたくなり、日常使いするのを躊躇ってしまうが、むしろ逆で、デザインタオルを浴室などでガシガシ使われることを想定してモノは作られる。

日本でデザインと聞くと概ね、これまで見たことのないようなクリエイティブなガワにするという印象が先行してしまうのはぼくだけだろうか。他にはないサウナを作ろうと思うと、フォトジェニックなものが出来上がりがちで、一方、日常的に使われる機能性はどこまで考慮されているのだろうか。

フィンランドにおけるすべてのデザインとモノには、必ず機能性が両立している。インテリアも例外ではなく、人間の生活行動や導線を前提にモノがデザインされている。フィンランドのインテリアで「チェア」の存在というのは切っても切り離せないものだが、チェアひとつを例にとっても面白い。

日本でも知られているArtekを筆頭に、フィンランドにはチェアの選択肢が無数に存在する。日本のサウナでは、インフィニティチェアと呼ばれる機能性重視のチェアが普及しているが、フィンランドでは、不揃いなチェアが観賞用ではなく、日常的に使われていることに気付き、視界がパッと開けた。

サウナとデザインの掛け合わせを想像できるようになると、クリエイティブな世界が広がる

サウナを入口にし、フィンランドの果てしないクリエイティブな表現に触れられる面白さ、これは他のヨーロッパの国であってもそうそう得難い、世界有数のデザイン先進国だからこその醍醐味だとも思う。しかも大自然さえも表現の舞台にしそれらは着飾っておらず嫌味がないところも素敵なのだ。

このフィンランドの面白さに触れずして、旅から戻れないとぼくは思った。

ブレイクタイムは究極の創造性へと行き着く

一方でフィンランドのミニマムなライフスタイル、また、働き方に触れてみたときに、実は没個性な印象を受けてしまった時期もあった。幸福度ランキングの印象もあるフィンランドだが、日本と違って情報やモノが少なく、人々の過ごし方も似通り、退屈でやることがない…ということも感じた。

しかし情報やモノから自由になるために、ミニマルでシンプルなメリハリをつけることは、物事をクリエイティブに考えるようにするための必要条件であるということにのちに気付かされた。何より、人の目を気にし過ぎず、日々の暮らしや自然の恵みに感謝できる余白の尊さに心を惹かれていった。

フィンランドのオフィスや学校にお邪魔し、フィンランド人に囲まれながら仕事をしたこともある。そこで強く印象に残ったのは、1日の就業時間に必ず「ティータイム」があること。そこでは皆が手を止め、たわいのない会話を皆で交わす。このひとときに、日本との過ごし方の違いを鮮明に感じた。

「フィンランドのサウナ室は騒がしかった」と言い帰国するサウナ好きは後を絶えないが、サウナ以前に、フィンランドではこのたわいのないコミュニケーションに命を注ぐ。そしてその余白を楽しむために、ドリンクは必需品となり、コーヒーとビールは世界トップクラスの消費量を誇る。ドリンクと会話がないブレイクはあり得ない。それはきっと、ライフスタイルにおける余白とコミュニケーションをマストと考える意識の違いが、きっとある。

フィンランドにあるオフィスの一例。シンプルながら発想力が豊かになる空間だ

情報やモノに制約があるからこそ、クリエイティブな豊かさと多様性のための余白が生まれることもある。日本では何か物事を動かそうとするたび、最初は人の目であったり、それがビジネスシーンになるとお客様や他社とかを気にし過ぎてしまうことがある。しかし結局、そんなものは関係ないよな…と思うことがあり、そこでふと、フィンランドのひとときを思い出すのだ。

なぜ人々は火を燃やすことに憧憬を感じるのか

「焚き火が好きなんですよね」と火そのものに心を惹かれる日本人は一定数存在すると思う。火の揺らぎをただ目にしているだけでふとしたアイデアが生まれるような気がするし、普段あまり会話が弾まない人達とも焚き火を囲めば、これまで交わせなかった会話と交流が生まれるかもしれない、と。

フィンランドを訪れると、ホテルやレストランなどで暖炉を目にする機会が多く訪れる。そして公共のサウナでも、ただでさえ薪でサウナを温めているのに、休憩スペースにはよく暖炉がある。そして半裸で椅子に腰かけながらたわいのない会話に華を咲かす。7年間で、ぼくが何度も見てきた光景だ。

火という自然の恵みを堪能しながら、時計もスマホもない空間でぼーっとする。都会暮らしなら、ふだん意識的に自然と繋がろうと努めた機会がどれだけあるだろうか。そして自然というのは自然体の意味も含まれるが、暖炉では見知らぬフィンランドの人から声をかけられる。それも、自然体で…

フィンランドの人々は、サウナでは驚くほど自然体だ。他のヨーロッパの国々と比較すると、親しくなっても向こうからぐいぐい来ない彼らが、サウナではものすごく積極的になる。まるで二重人格なのではないかとこちらが驚くほどだ。ぼくは頭でっかちな方なので、その理由をつい考えてしまう。

でも最近気付いたのは、その空間、場の司る力というのは侮れないなとも思った。フィンランドのサウナがどのような空間であるのは、冒頭の書籍でアカデミックに解説されているが、サウナはまるで森林浴をしているように息がしやすいし、ロウリュもまるで粉雪のようにやさしく、居心地がいい。

フィンランドのサウナで驚かされるのは、自然光の恵み、室内を灯す人工的な照明が限りなく少ないこと。たとえるなら朝目覚めて、カーテンを開けると太陽の光を浴びつつ、セロトニンがどばどば出てくるあの感じ。暖炉で火の話をしたが、陽のもたらすエネルギーが人間には不可欠なのだと感じた。

トレンドの隣で変わらず佇むフィンランドの姿

本当はぼくを含めて、身近な人達で気付いたこの面白さを世に出すつもりはなかった。というのも、日本のサウナ好きにフィンランドの話をすると「温度はどれぐらいだったか」や「どれだけととのう体験ができたか」を聞かれることばかりで、フィンランドそのものの話をする雰囲気ではないから…

20年前から盛り上がってきた、日本における北欧文化のトレンドによって、北欧のライフスタイルに惹かれる日本人も数多い。そして数年前のサウナブーム、フィンランドを訪れる人々の足は絶えないけれども、いわゆる北欧好きとサウナ好きは分断されており、両者は決して交わらない認識だった。

ぼくはサウナの道から入り、フィンランドそのものの面白さに気付き、シンプルながらも奥深い、豊かなクリエイティブとアイデアの世界に完全に魅了されてしまった。だから次の旅ではサウナ以上に、フィンランドのデザインやライフスタイルに触れていきたいし、その旅を続けようと思っている。

日本にいる数多くの北欧好きにも、きっとフィンランドの本質や面白さをとらえ直せる。だから思い立ってこの記事を書いたのであり、サウナ好き向けの内容ではない。そして、北欧好きもサウナ好きも分断されるものではないと確信した。なぜなら、ライフスタイルであろうとサウナであろうと、その裏に流れるフィンランドの本質や思想は同じということに気付けたからだ。

どれだけ月日が経っても、トレンドが移り変わっても、ぼくたちが知るフィンランドは着飾らず、ありのままの自然体を、まるで白夜の日の湖のように、いつだって変わらずにゆらゆらと佇んでいる。その情景が忘れられなくて、今年もぼくはフィンランドを訪れるのだ。

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