見出し画像

さようなら、テープノリ

コクヨのテープノリを破損してしまった。

2015年に購入して、詰め替えもしてきたのだけれど、ここのところスムーズに動かなくなっていた。テープを引く時に力を入れるようになり、プラスチックのパーツを破損してしまった。
ケースが駄目になっただけなので、詰め替えを買えばまた使えるのだが、文房具というのは年々進化しているので、新しいものを買うのも良いのかなと考えている。後半になって回転が悪くなったのもストレスではあったし。

割と物持ちが良いので、使い切ったり破損したりすることはあまりなく、新しいものとの出会いがなかなか無いのは、文房具好きとしては悲しいところなのだが、使えるものを破棄するのはなかなかストレスになるほうだ。
今回も、まだ使える部分があるのに破損してしまったので、ちょっとした罪悪感はある。無念ではあろうが、成仏してもらいたい。

使えなくなったものをとっておくというのは、ゴミ屋敷の第一歩であるので、勢い良くゴミ箱に入れてしまおうとするのだが、もだもだしてしまうのが「こいつは再利用できないものなのか」という感情だ。
別に環境運動活動家でもないし、ストローは紙よりもプラスチックのほうがいいし、レジ袋を無料でくれる店のほうが大好きなタイプだが、文房具のプラスチックを捨てることには二の足を踏んでしまう。
レジ袋やペットボトルよりも質や量が良いのでは? という感覚が邪魔をするのではないか、と推測している。自分の心の話であるが。

調べてみれば、ロフトなどで文房具の回収をしているようだが、回収ボックスがあるのは都会の店舗だけのようだ。使用済みカイロの回収をしていないかと探した時も、都会だけだったが、人口密度で考えるとそうなってしまうものなのだろう。
意識がもっと高ければ送料を払って回収しているところに送るのかもしれないが、そこまでの意識はないので、送料分の文房具を買いたい欲が上回ってしまう。
なんとも中途半端な感覚を持っていることよ。

己れの意識の低さを噛み締めつつ、中途半端さに罪悪感を覚えながら、ゴミ箱に捨てるしかないのだ。
文房具が好きな人たちは、別れの時をどう感じているのだろう。使い切るからには少なからず愛着はあるものであろうから、心惜しく思っているのだろうか。はたまた新たな出会いに心躍らせるものなのだろうか。
文房具に限らず、消費活動には別離はつきものだ。手放すのが嫌なのであれば、何も所有しないのが一番良いのだろうし、愛着を持たないのが良いのかもしれない。

などと、感傷的になりながら酷暑の空を眺めている。
長い間お疲れ様だよ、テープのり。
一応、本体は取っておくつもりだ(未練)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?