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創業ストーリー (表版)これまでの話

前書き

2014年2月8日、22歳の大学2年生の冬、43年ぶりの大雪の中、私は有明コロシアムにいた。人生初の挑戦であった「大学バスケオールスター」は中止となり、10ヶ月かけたイベントは一夜で真っ白になった。残ったのは虚無感と900万円の借金だった。

高校時代、私は3度のインターハイに出場したが、事情もあって進学はバスケで、ではなく一般受験を選択した。バスケを辞めることを決意し、2年間の浪人生活を終えて、第一志望の大学に進学したのだが、やりたい事が見つからず、高校時代の友人、ライバルたちが大学4年となった年に一緒に何かしたいと思ったのが、このイベントをしようと思ったきっかけだった。

このイベントにも出場予定だった幼馴染がプロとなり、何気ない会話の中でセカンドキャリアへの不安を聞いた。“借金を抱えた学生”だった私に対し、幼馴染はプロとして既に稼ぎがある社会人だった。彼は「一緒になんかやれたらいいね」と言った。なんとかしたいと思ったと同時に、何もできない虚しさと悔しさが込み上げていた。

幼馴染と、プロスポーツ選手と一緒に何かやるにはどうしたらいいのか。セカンドキャリアでなく、現役中に一緒に何かやりたいという思いがあった。そのためにはスポーツに関わる会社をやれば現役も引退後も一緒に何かできると思った。

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最初は仲間集めから

大学バスケオールスターのイベントがきっかけで出会ったのが共同創業者となる宮代だった。偶然にも宮代の友人がこのイベントの出場予定選手だったため、観戦予定だったのだ。宮代とはイベント中止の返金対応をしている時に知り合い、イベントの半年後、偶然にも会って話すことができた。宮代はトレーナーとして既に独立していて、18歳の時に作った当時200名の関西トレーナー会の代表をしていた。

宮代は夢であったJリーグのガンバ大阪のトレーナーになるためにガンバ大阪と提携している専門学校に入学したのだが、入学前の面接で「ガンバ大阪にいけるよ」と言った面接官と、入学後に「ガンバ大阪に入るのは無理」と言った担任が同じ人だったことでショックを受けた。心が折れそうになった経験から似たような境遇の同世代を集めて、一緒に学ぶことができる環境として関西トレーナー会を作った話をしてくれた。

その半年後に、宮代からトレーナーを辞めようと考えている話を聞いた。その理由を聞くとサポートしているマイナー競技の選手が、実家を売却したお金でトレーニング費を宮代に払っていた事や同世代のほとんどがトレーナーだけでは食べていけず、その道を諦めてしまっている現状を知り、お金の課題を解決したいからサポート側に回るという話だった。100社にスポンサーアタックしたが1社も取れなかったそうだ。

当時、私は借金を返すために、ベンチャーで働きながら学び、スポーツで起業することを考えていたので宮代に私の考えている自身のビジョンの話をした。「スポーツの夢の国を作りたい。1兆円の企業になったらこんなことができる!俺は選手のパフォーマンスに関わることはできないけど、お金の課題を解決するビジネス面を考える。だから一緒にやらないか?」

アメリカで見つけた理想の会社の姿

大学4年生の時に私はアメリカのシリコンバレーをこの目で見たいと思い、サンフランシスコとラスベガスの短期インターンに参加した。そこで訪れた企業がGoogleとZapposだった。オフィス環境や働き方に感動し、スタートアップの在り方、そして「企業文化」の重要性を肌で感じ、作りたい会社の理想が固まった瞬間だった。

靴はEC(ネット販売)では売れない、実際に履いてみないと足に合うかどうか分からないというのが当時の常識(当時は靴のECに挑戦した多くは撤退していく状況)だった時代に、Zapposは「返品無料」を打ち出した。その常識を破り、実際に実現できたのはZapposの企業文化があったからだ。

何をやるかよりもどんな組織がそれをやるか、スポーツ業界の常識をやぶるには『スポーツの夢の国を創る』ことができると信じられる企業文化を作ろうと決意した。

スポーツに何かしら影響を受けた人たちの多くは、スポーツの夢の環境といえば、スポーツメーカーのNIKEやアメリカのIMGアカデミー、スペインのレアル・マドリードといったビッククラブや施設を思い浮かぶ人が多かった。

あくまで施設やハード面の話だ。世界一のチーム、スポーツ企業、アカデミーを理想とし、競技そのものに情熱が集中しがちだが、私はスポーツを広く捉え、理想を実現するためにカルチャーや理念を体現することに圧倒的コミットすることこそ最も重要だと思っていた。


会社として『スポーツの夢の国を創る』をAscendersのビジョンとして掲げ、夢の国とは何なのか?理想系とは何かを明文化した。この時の想いと明文化した内容は今でも変わらない。ビジョン実現のために最短距離で実現するには何をすべきなのか。スポーツの会社のHARD THINGS(ハード・シングス)がここからスタートした。

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Ascenders創業期

2016年、大学を卒業してすぐにAscenders株式会社を設立した。Ascenders(アセンダーズ)の意味はAscend「上昇する」er「人」s「複数形」から『上昇する人たち』である。社員だけでなく全てのステークホルダーが上昇(成長)できる環境であり、Ascendersの提供するサービスを通じてユーザーの上昇(成長)を手助けしようという意味を込めた。

事業のアイディアはいくつかあったが、株式会社化する前から宮代とやっていたコミュニティ事業を大きくしていくことにした。スポーツの夢の国を創るために先ず必要なのは、ビジョンに共感して一緒に成長できる仲間だという認識があったのでピッタリだった。

当時はオンラインサロンという言葉も世の中にはほとんど浸透していなかったが月額15,000円という決して安くはない金額で70名近い仲間が集まってくれた。会費で学習機会と環境を提供し、人脈作り、案件紹介などでコミュニティ内の人に還元していった結果、100名を超える会員が集まり、1年目を終えた。

自分たちのできることベースかつ、ビジョンに合うという理由で始めたこの事業はスモールビジネスであり、このペースでやっていてもアメリカでインスピレーションを受けた企業のようにはなれないと思っていた。

アプリに挑戦…そして挫折

IT企業になる!アプリをやろう。この決断が最初の危機に陥ることになる。投資するほどの余裕は当然なかったので、創業支援融資を受けることにした。1年目から黒字化だったこともあり審査が通り、念願だった自前のオフィスを借り、アプリ開発を始めた。この時はバーンレートも気にせず仮説検証やMVPを創るなんて事は全く考えず「絶対いける」という浅はかな考えで始めた。

予算も多くはなかったので、エンジニアもデザイナーも海外で見つけ、英語でやりとりをしながら最初のアプリはなんとかiOS/Androidの両方でリリースできたのだが、その頃には資金がなくなっていたので、できたアプリを引っ提げて資金調達に動いたのだった。


一部の投資家からは「面白いね」と評価を受けたが、人生で初めてピッチというものを経験したこともあり、結果はボロボロだった。当時はITベンチャー界隈のカンファレンスに参加したり、VCや先輩経営者との壁打ちを増やしていたが調達には繋がらず、大半は「スポーツに絞る理由がない」「市場が小さい」と言われた。

ある投資家、VCから言われた「橋本くんのビジョンは素晴らしいと思うけど、なぜこのアプリやっているの?」という質問が決め手になった。市場規模やPMFするかなんてやってみないと分からないと心の中では思っていたこともあり、会社を大きくする為にI Tサービス事業に手を出したが、「稼ぐためだけならスポーツである必要もないし、君がやらなくてもいい。君たちの強みを活かしてビジョン実現のために橋本くんにしかできない事やってほしい」という言葉が胸に刺さった。すぐに開発チームに「アプリを辞めようと思う」と報告した。

この頃、資金は底をつき、アプリをリリースして僅か数ヶ月でクローズした。しかし、この時出会ったエンジェル投資家とVCが後に、Ascendersへの出資を決めてくれ、再び挑戦することができたのだ。あの時「君たちにしかできない事やってほしい。応援している」と言ってくれた人たちだ。こうしてビジョン実現のために自分たちにしかできないことで、スポーツで稼ぐという決意を新たに持って3年目を迎えたのだが、さらに苦悩の日々が始まった。

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会社存続の危機へ

この3年目、4年目はスポーツベンチャーの難しさと自分たちの力不足から、会社存続の危機に陥ることになる。大きな収益を生み出すためには売上を上げるだけではなく、高い利益率も維持しなければならない。それをスポーツという領域でどう実現するのか。

さらにAscendersにしかできない強みを活かしてどうポジショニングをとるか経営戦略も考えなければいけない。コミュニティ事業を成長させつつ、あらゆる仮説検証をやってみて、次の柱となる事業を考えた。

今回は全く関係のない0からサービスを作るのではなく既存のコミュニティ事業を活かすことのできるサービスを考えていた。トレーナーと栄養士が多く所属していたので専門家と求める人を繋ぐマッチングサービ、スポーツのD2C 、スポーツチームと企業のマッチング、選手のマネジメントなど、自分たちの強みを意識して思いつくことは色々とやってみたが、どれも大きな結果に至らず、大抵が課題が見つかり辞めることになった。

市場規模がない、需要がない、戦略に強みがない、独自性がない、競合が出てきたら勝てない、労働集約、レバレッジが効かない、業界特有の壁など理由は様々だったが、スポーツに特化すればするほど難しいことだらけだった。

売上数十億円規模の会社を何年かかけて実現することはできる。売上数百億の企業をつくるには?自分たちのビジョン実現に必要な規模になるには?そのやり方だと限界がくるのもわかっていた。ビジョンに辿り着けるか否かについては成長のスピードと実現可能性とで連動すると思っていたので手段を悩み続けた。

シード期の投資を受けたくても新しいプロダクトもない。そんな危機的な状況になった。コミュニティ事業は少しずつ成長しているものの、仮説検証を繰り返していても回収するまでに至らず、融資の返済などで資金がなくなり追い込まれていた。なかなか資金調達がうまくいかず10ヶ月ほど経って、あと2ヶ月で潰れるという状態まで来ていた。個人で数百万の借金をして、支払いを何人か遅らせてもらうことでなんとか生き延びていた。

ファイナンス

VCに言われることは大体同じだった。スポーツ市場の「市場規模がない、需要がみえない」は全員に言われることだった。市場があるとされる領域の参入障壁は大きい。課題解決をしてもマネタイズが難しい、お金が回っていない。IT業界の目線からだと業界を絞るとかなり難易度が高く、当時は受け入れられないことが多々あった。何よりビジョンに沿っていないこと、繋がらない事は絶対にやらないと決めていたのでどうやったら大きな成長ができるのかに頭を悩ましていた。

一番重要なのは市場が伸びるタイミングが来た時、その波にのれる準備ができているべきだと考えていたので、2020年の東京オリンピックで国内のスポーツ市場の大きな成長に備えて、自分たちの強みを活かしたスポーツ業界特化の採用プラットフォーム「MERCI」をリリースした。まだトラクションは出始めたばかりだったが自分たちの強みとこれまでの培ってきたネットワークを使って、採用事例やチーム数も順調に増えていたのでスポーツ界には必須の専門人材の市場を抑える戦略を説明し、なんとか資金調達にも成功した。

MERCIも半年ほど運営したところで、これまでの仮説検証したサービスと同様の課題が出てきた。このサービスをどうするかを考えていたタイミングで競合が何社か出てきたのだ。そしてMERCIの趣向や戦略を変更しようと模索している中で、より専門職に絞った事業にシフトしていこうと考え戦略を立て直した。

思いつくことは色々と検証してきた結果、知見が少しずつ溜まっていたことが強みになっていった。この2年間で打ってきた手数ではスポーツの領域においては日本一やってきた自負があった。2019年末に2社のVCに入ってもらいシードラウンドをクローズした。あくまで評価されたのはコミュニティ事業の成長とビジョン、業界での知見、ポジショニングだった。


資金調達を終え、2020年は東京オリンピックの年、きっと勝負の年になるだろうと決意を固め、飛躍の1年にしようと意気込んでいた。年明けすぐに数百万をかけてコミュニティメンバー300名を集めてサミットを開催した。メンバー全員に「今年は勝負を仕掛ける。力を貸してほしい」と伝えた。しかしその計画は大きく修正を余儀なくされることになる。


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Ascenders第2創業期

新型コロナウィルスが広まった。緊急事態宣言を受け、多くのスポーツの現場は停止していった。スポーツ界は史上稀に見る未曾有に陥り、この年、市場の活気は回復せず、スポーツ業界全体としては苦しい状況に陥ることになった。

世界が大きく変わり、社会、日常の当たり前が変わっていく中、少なからずリアルに依存していた会社の状況を変えるためにも、過去と現在を見つめ直し、ビジョン実現のために何をすべきかを考えた。そして創業からやっていたコミュニティ事業を辞める決断をした。私はすぐに社内にコミュニティ事業で得た知見を最大に活かした新しい事業を始めたいと伝えた。

特にこの事業に最も想いを持った宮代と深夜まで話し込んだ。私は1人になっても新しい道を歩んでいきたい。宮代は400名の仲間を裏切るなら自分はこのタイミングで辞めると。Ascenders内は事業を移行するにあたって組織として不安定な時期が数ヶ月続いた。フルリモートになり直接のコミュニケーションの機会が減っていたのも原因だった。

合宿やミーティングを重ね、納得する形を考え、新しい事業を始めることを400名のコミュニティメンバーに一人ひとり個別に説明した。結果想像以上の人数が一緒にビジョンを追ってくれると言ってくれた。最高の仲間たちだった。

リブランディング

これからの時代のあり方やスポーツ界の未来を思い描いていくなかで会社がどうあるべきか、Ascendersはどうやって社会に影響を与えていくかを考え、リブランディングを決意した。

創業5周年となった2021年6月9日、初のリブランディングを実行。ロゴを変え、新しい3つのサービスを公表した。コミュニティ事業から派生した2つのサービスと、新規事業としてアプリに挑戦することにした。今回は目的と段階をしっかり踏み、仮説検証を進めながら開発してきた。これまでのAscendersの知見と使命を持って挑んでいくつもりだ。

会社メンバーもこれまでなかった開発、クリエィティブチームを、ビジネスチームと多様なスポーツの専門職のチームを作った。個の力を最大限に引き出せるチームとなり、社名の名の通り、全てのステークホルダーが上昇(成長)できる環境づくり、Ascendersの提供するサービスを通じてユーザーの上昇(成長)を手助けするサービスを提供していく。Ascendersの第2創業期がスタートした。

スポーツの夢の国を創る、Ascendersの夢の国への旅路はまだ始まったばかりだ。

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スポーツの夢の国とは

スポーツの夢の国とは?多くの人が疑問に思うことだろう。創業の時から言語化、ビジュアル化を続けてきた。スポーツの夢の国とは端的に表現すると、内に向けて言うなら「スポーツで夢を持つ人たちが集まり、夢を叶える場所」であること。外に向けて言うなら「スポーツのあるライフスタイルを実現する」ことである。

スポーツの夢は多種多様だ。できるだけ多くの夢を実現するのに目指すのはスポーツの総合商社、スポーツの総合型アカデミーと言う形だった。スポーツ領域におけるあらゆる商いをして、多種多様なスポーツで働くを実現する。スポーツの総合型アカデミーは競技問わず、全ての人が成長できる場所だ。そこで働く多くのスポーツの専門家たちが抜群のチームワークを発揮し、Ascendersのコアバリュー『主体性をもとう。仲間を勝たせよ。当たり前を世界基準に』を体現し続ければ必ず実現できると信じている。

アメリカで出会ったGoogleとZapposはオフィスというより街そのものだった。Ascendersはオフィスもスポーツ研究所もアカデミーも1つに集めた街をつくる。宿泊施設や商業施設など、5年間でこの目で見てきた世界各国の世界のスポーツ環境を参考に設計していきたいと考えている。

この壮大な計画は完成まで何十年とかかるかもしれない。人生をかけた私たちのミッションでありAscendersがそれを担うものである。もし時間がかかっても、その先も同志を持った仲間が引き継いで時代にあった形でスポーツの夢の国と言える世界を具現化してくれると思っている。きっとスポーツの夢の国を実現する会社には1兆円以上の企業価値はあるだろう。

Ascendersはスポーツの会社としてスポーツの価値を証明しなければならない。そのためにはスポーツの価値を世の中に広め、スポーツにお金も時間も使われる社会にならなければいけない。人々がスポーツにお金や時間を投資することは、スポーツを通じて得られる感情に向き合う機会が増えるということだ。

そしてスポーツのあるライフスタイルとはスポーツに関わりたいと思う人がスポーツに理想的に関わることができる社会だ。私たちはスポーツのある人生「Sports is my Life」と言える人が溢れる世界を実現するのだ。


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橋本 貴智

自分にしか発信できない、スポーツに関わる全ての方にとって役立つ情報をGiveし続けたいと思います。

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Ascenders株式会社 代表取締役『スポーツの夢の国を創る』/一般社団法人Japan sports Hub 代表理事/元八王子高校バスケ部主将インターハイ3回/センター試験3回出場 偏差値28→77 早稲田大学社学卒 https://note.com/ascendersinc