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「朝が来る」を読んで考えた。子どものころの優越感とか、血のつながりとか。

昨日、読み終わった小説。「あらすじ」を読んだときは、共感なんてすることはないだろうと思っていた、中学生でお母さんになった女の子を見ながら色々思うことがあったので、残しておきます。

※辻村深月「朝が来る」ネタバレ含
(本の感想というより自分語り寄り。)


優越感ってどうして湧いてくるのか。

私もそういう類の感情は10代のころ、常に持っていた気がする。
今よりも物凄く強かった気がする。
だってさ、誰も私のことを褒めてくれないから。

「自分は他の人より凄い」と思い込むこと、言い聞かせることでなんとか自分を保っていたんだ。怒られてばかりでは壊れちゃうでしょう?

レベル3くらいの雑魚キャラの私に、うちの母はレベル30くらいの能力を望んでいた。

だから私が経験値を積んで、頑張ってレベル4になっても、レベル30には到底及ばないから褒められるわけはない。むしろ怒る。お前はそんなことで満足しているのかと。先はまだまだ長い、長すぎる、とウンザリしているようだった。
自分の中では頑張ったつもりで、確かにレベルも上がっているはずなんだけど、そんなことでは認めて貰えなかった。

ひかりのお母さんと一緒だ。自分の掲げる目標には程遠い自分の娘を見て、こんなのじゃ全然ダメだと思っている。ひたすら自分の理想を押し付けて、娘の本当の姿なんか全く見ちゃいないんだ。ずっと、高~い山のてっぺんを見ている。麓なんて全く視界に入らない。

お前はダメだ、と言い続けられていたけれど、私は高校生のころくらいから、私はもう大人なんだと思っていた。
あれこれとうるさいことを言われているけど、そんなこと言われなくても私はしっかりしていると思っていた。

しかし、全くそんなことはなかった。なにを根拠にそんなことを思っていたのか今の私には全く思い出すことができない。
大人たちも、そんな私のことをバカなヤツだと思っていたことだろう。今の私なら、母が昔、私に対して言っていたことの意味がよく分かる。

でも。だからと言って、あの頃の母のことを許せるわけではない。
頑張りが認めてもらえないのは悲しいことだ。頑張ったのに、怒られるだなんて、傷つくじゃないか。私にだって心があるんだぞ。

ひかりが、ちょっとステキな彼氏をつくって、家族の知らないところで色んな経験をして、「お前たちは知らないけど私って凄いんだぞ」なんてことを思っているのを見て、バカだなぁと思いつつも、その気持ちが痛いほど分かって私は胸が苦しくなる。

本当のことを言うと、自分で自分を褒めたって何の慰めにもならない。他の誰から褒められても足りない。両親に凄いねと私は思われたかったし、言われたかった。認めてもらいたかった。褒めてもらいたかった。

そうやって期待しながら、私は「今日先生に褒められたよ」などと母に報告する。だけど、母は妙な表情を浮かべて、私を悲しい気持ちにさせる。

もうひとつ。血のつながりについて。

うちの父は私と血がつながっている。
けれど子育ては全くせず、養母に任せてばかりだった。

覚えている技は「はねる」程度の、雑魚キャラである私を育てる自身がなかったようで、「育て屋」である母に任せ、ちょっとレベルが上がって「使えるようになってきたかな」と思うと、「なんだお前。ろくな技持ってないな。」と文句を言ってくるようになった。育て屋に預けたっきり忘れていたような存在の私に。

何様のつもりなんだろうと思う。
もし、父と私の血が繋がっていなかったら、こうはならなかったのではと思った。血のつながりがある存在であるから、自分は親だという思いから、今更になっても偉そうに注文を付けてくるのではないか。

でも、父は養子である私の妹の結婚についてもグチグチ言っていたようなので(直接は言えないので、母に。ずるいやつ。)、もしかしたら戸籍上で繋がっているからかもしれない。この人は、まわりまわってやってくる自分への責任を回避しようとしているのだ。
私や妹のために言っているわけではないと思う。決して。

⋆ ⋆ ⋆ 

どんなに小さなことでも、成長したことに対して敏感な大人になりたい。

私だって強くて格好いい「ギャラドス」が大好きだけどさ、
「ボロのつりざお」で釣り上げた「コイキング」を、攻撃もできない頃から大事に育てて、進化させるっていうのが昔からのこだわりなの。

その方が愛情が湧くから。
「たいあたり」を覚えたときと、進化の音が鳴ってコイキングが光に包まれたあのときは、感極まる瞬間だった。

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