鮨はどういう料理か~高須賀の美食入門~

鮨で最も大切とされているのは「シャリとネタの一体感」だといわれています。よくいわれるこの言葉ですが、果たしてどのような意味なのかについて真剣に考察してみましょう。

歴史編でもみてきましたが、もともと鮨は保存食の一つでした。魚と米を組み合わせて「発酵させる」という行程から出発し、魚と米の組み合わせでいかに統一感を保ちつつ美味しく食べるかという事を追求していった結果が今の鮨なわけです。

東南アジアで発祥した「保存食としてのすし」と、数百年たって日本で生まれた「なれずし以降のすし」の違いは「どのような圧力をかけるか」かが非常に重要視されているという点にあります。

「なれずし」の時は発酵した臭いを抑えるためにキツく圧力をかけていたのに対して、その後すしの進化に伴って加える圧力がどんどん少なくなっていきます。現代のすしで圧力をかけている場面がどこになるかというと、職人が客に提供する際の「握る」ときになります。

初めに僕は鮨で最も大切とされているのは「シャリとネタの一体感」だ、と書きました。もちろん酢飯の温度や酢・塩のきかせ方、ネタの質や下処理等の準備段階としてのシャリとネタの相性調節が大切なのは言うまでもないのですが、最終的に職人が鮨を「握る」際に加える「圧力」こそがシャリとネタに一体感を生み出すのではないか、と思うのです。日本料理でも一見地味な刺身を引く事が実は高度な調理技術でありましたが、鮨では「握り」がそれに相当するといえるでしょう。

本当に「握り」で味が変わるのかいな、と僕も食べ歩く前までは思っていましたが、実際食べ歩いてみると面白いぐらい店ごとにおける握りの技術の差を感じるものです。なんていうか殆どの店は握りがユルすぎるか握りが硬すぎるかのどちらかで、どうも食べててしっくり来ないんですよね。もちろん個人の好みもあるのだとは思いますが。

ちなみに僕自身が握りの技術が傑出していると思った人が1人だけいるのですが、その特徴を一言で言えば「沈む鮨」になります。この方が鮨を握って客の前に置いた際、ネタがシャリに向かってズンと沈み込むんですね。彼の握った鮨は不思議な事にシャリが柔らかすぎず硬すぎず、口の中で統一感を感じます。

ネタ質ももちろん大切なのですが、最終的に鮨はやっぱり「握り」に行き着くよな、というのが個人的な雑感であります。

現代でも、どの職人が握ったかが非常に重要視される風潮がありますが、誰にでもできそうな「握り」という技術に鮨を鮨足らしめる最後のひと押しがあるというのは面白いものです。

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