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中国の信用システムは何を解決してきたのか 書評:アントフィナンシャル

リード:みすず書房のアントフィナンシャルは、他の本と一線を画すぐらい出来が良いので、ぜひ読むべき。この本に書いてあることが頭に入ると、馬鹿記事も見分けられるようになるよ。

以下本文:
山形浩生(hiyori13)さんと最近出たアリババ他中国企業の本を推薦し合う(ほぼ、一方的に教えてもらっている)なかでイチオシとなったのがこの本。

テクノロジーや中国に対する偏見や早とちりに満ちた中国テック情報が氾濫する中、この本は「ベストセラーの専門書」を目指して北京大学デジタル研究所の執筆チームが、2003-2017年4月までの十年余にわたって丁寧にまとめている。
生き生きした豊富なエピソードと、年表や相関図といった全体像の両面からアリババとアント・フィナンシャルの活動を、ひいては中国の金融サービスが抱えていた問題と解決策を把握し、別のケースに置き換えて考えることができる。

生々しいエピソードで構成されるストーリー

・中国の金融サービスは、一貫して上位20%以内の富裕層を想定してサービスを構築してきた。アントフィナンシャルは常に「これまで金融サービスを使えなかった80%のためのサービス」を志向してきた
・2003年頃のアリペイ決済は銀行振り込みがバックグラウンドにあり、1日4000-6000件の振り込みに対して、銀行のフォントリストにない名前のアンマッチが多く起こり、サイトのトップにいつも「迷金のお知らせ」を出して送金主を探していた
・2008~2009年のアリペイの決済開始→完了率は、間にいくつも銀行ごとに違う画面を挟み、40%~60%ぐらいだった。2010年にアリババ側で統一したインターフェースを備えたスピード決済を備え、現在は95%を超えている。スピード決済が原因で0.001パーセント以上振り込み失敗が起きた場合、銀行の方から接続を止められる。(銀行との提携条件に入っている)
・テンセントのほうがよりユーザ数は多いため、2015年頃のアリババも一時期SNS的な機能を多く取り入れようとしたことがある。(ここで紹介されているジーマ信用の圏子など)しかし、
 -財布の中身を人に見せたくないというユーザのマインド
 -SNSと違い、決済データは「何に使ったか」からより深い行動を取れる
などから、決済によりフォーカスして包括的なサービスを作ろうと原点回帰した
・2013年に中国政府と金融セクターがQR決済への懸念を表明し、規制の動きが出てきた。中国政府肝いりの銀聯は先に関係各所へのオーソライズを行ってからシステム開発をする方法を選んだが、アリババは開発を続けた。
・2011年までのアリペイはオラクルのDBを中核に置いたシステムで構築され、1000件/秒の速度だった。2012年以降はバックエンドもクラウド化された独自のシステムになり、2016年時点で12万/秒の決済力を記録している。
・政府が出す「信用失墜被執行者リスト」は、あまり有効に機能せず、借金を重ねて詐欺的に会社を潰してカネを持ち逃げした人がさらに借金をすることをうまく防げず、結果として必要な人にお金がまわらない社会を作っていた。複数のリストを繋げるジーマ信用の仕組みは有効に機能し、それまで逃げていた人が借金を返すようになった。
・クレジットカードは中国の庶民と無縁のものだった。
・結果として豊富な前金が用意できる人しか借りる行為ができず、金持ちと貧乏人の間の格差が固定しやすかった。

こうしたエピソードからは、アントフィナンシャルがどんな問題を解決してきたのかが明快に語られる。
社名となっているアントフィナンシャルの「アリ」は、これまで金融サービスを享受できなかった貧しい庶民を対象にサービスを提供しようとしていることを示している。
淘宝をはじめ、ジャックマーの生み出したサービスの多くが、これまで商売ができなかった人に、技術革新を通じて商売するツールを与え、国営企業や政府がケアしていない層からビジネスを絞り出してきた。(記事冒頭の写真は、淘宝メイカーフェスティバルのもの。これもあたらしい商売を推奨するフェスだった)
何かと中央集権と思われがちな中国だが、昨今の経済発展を支えたのは多くの起業家たちが盛んに経済を回すような新しい仕事を始めたからだ。
淘宝をはじめ、ジャックマーの生み出したサービスの多くが、これまで商売ができなかった人に、技術革新を通じて商売するツールを与え、国営企業や政府がケアしていない層からビジネスを絞り出してきた。

豊富な数字、エビデンスと図解

アツいエピソードに満ちた本書は、同時に豊富な数字や図解に満ちたわかりやすい本でもある。データベースのアーキテクチャ変更前後、ソフトのリファクタリング前後で処理能力がどう変わったか、決定がいつ行われてそれはどこでアナウンスされているかといった明確なソースとわかりやすい図式化、そして所々で挿入される写真が、内容をさらにわかりやすく生々しくしている。
また、「アリババはフィンテック企業でなくてテックフィン企業」のようなスローガンに対しては、社内のエンジニアの割合を付記として載せている。
「手作業で行われていた事務処理がIT化とビッグデータの活用でコストが大幅に下がり、結果としてより小さいビジネス・これまで活用されていなかったシーンで金融サービスが行われるようになった」というのが本書全体を貫くストーリーだが、その場合のコストがいくらに減ったのか、何が可能になったのかについて、とてもわかりやすく書いてあるのが本書の魅力だ。

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アリペイ決済フローの図。こういう図がわかりやすいのもありがたいところ

目の前の問題に対応していく

本書全体を通じて何度もインクルーシブファイナンスという言葉が語られる。井賢陳CEOは2016年のレポートでこう語る。

あなたの隣の家のおばあさんと銀行の頭取が、同じように良質で、便利な金融サービスを受けることは可能でしょうか?これが「平等」ということです。
面倒なパスワード管理や、現金、身分証、パスポートにさえも別れを告げ、どこへ行っても自分の「顔」とその背後にある信用データだけで簡単に決済をすることは可能でしょうか?これが「自由」のあるべき道です。

中国に限らず、サービスやシステムによる問題解決を考察するとき、「具体的にどういうシステムが作られていて」「それまでのやり方がどう変わったか」を、なるべく手を動かして確認することが求められる。公式発表やスローガンはどれも美しいが、そこに実態が伴わないことはあまりに多い。
本書の執筆チームはアントフィナンシャルの行く末について「変わり続けることだけが変わらない」と表し、ひたすら具体的に「何をどうやり、どう成果が出た」だけを記す。ショッピングモールに試験的にアリペイを導入するために浙江省のモールにエンジニアが張り付いた、そういう泥臭い開発の工程を具体的に説明する。
予測が成り立つとしたら、あくまでそうした試みの上であるべきで、それはインターネットプラス研究所の考え方に通じるアプローチだ。
最後にもう一カ所、未来について語った井賢陳CEOほかの言葉を引用する。

「アントフィナンシャルが他の企業と異なるのは、多くの企業では総じてまず戦略をしっかりと練って、それから5年、10年と前進していくのに対し、アントフィナンシャルにとって戦略とは汲み上げるものであって、先に決めてしまうものではない、という点です。」アントフィナンシャルが成長戦略を調整するたびに、外部ではさまざまな解釈がなされる。陳亮(パブリックコミュニケーション部総経理)は「みんな考えすぎだ」という。「この業界は2年先のことを予測するのも困難です。ただ、はっきり言えるのは、我々は常に方向性を修正し、ピンとを合わせていかねばならないということです。」

おわりに

中国語でないと情報収集が難しいアントフィナンシャルについて、北京大学の専門化チームが執筆した本書は、間違った情報の多いアリババ・ジーマ信用・アントフィナンシャルについて正確で詳細な情報に触れられるすばらしいチャンスなので、なるべく広く読まれることを期待する。

最近の中国テクノロジーサービスについては、
ー技術(スマホやインターネット、AI)
ービジネス上の仕組み(金融とかハードウェア製造とか)
ーそれまでの中国社会
ー具体的な調査
のどれか(またはすべて)に欠け、かつ偏見がトッピングされたトンデモ記事が多い。言論統制が厳しい中国でも、経済関係と技術関係についてはかねてからあまり検閲が行われず、むしろ中国国内からよいアウトプットが出てくるのが期待できると思われる。
たとえば、手前味噌だが拙訳のこれはすごくよい記事だった。ご参考までに。


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