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読書録:ゼロから新しい教育を考えた本。 成績云々を気にする人の本ではない。「ライフロング・キンダガーデン 創造的思考力を育む四つの原則(ミッチェルレズニック著)」

今の教育とゴール含めて違う、創造性を育むための「新しい教育

既存の教育とは違うゴールを目指す、「新しい教育」について書いた本。
僕個人のこの本での最大の気づきは、「書かれている新しい教育は既存の教育の上位互換じゃなくて、ゴールそのものが違う」ということだ。
「MITのえらい先生が書いたんだから英語や数学の成績が上がるだろう」みたいな話はまったくないので期待してはダメ。

本全体のテーマはこれだ。
「優秀な成績Aを取るA学生に対して、新しい何かを作るのがX学生。このX学生を生むにはどうするか」
そして、そうしたX学生を生む新しい教育は、Project,Passion,Peers,Playの4原則からなる。

著者のレズニックは、MITのライフロングキンダガーデンプロジェクトの発起人で、同プロジェクトはレゴマインドストームやスクラッチなどの広く使われているツールを生んでいる。大御所の本なのでもっと古い本だと思ってた。2018年なのでびっくり。

この本はそのレズニックを中心に、「創造的なX学生を生むには単にツールを使うのではなく、教育に関する考え方やアプローチ、ゴール、つまりは社会ごと変えないとならない」として、ライフロングキンダガーデンプロジェクトの背景や思想が書いてある。

もちろん、思想がわからなくてもツールは使える。ジョブズやゴードンムーアが誰だか知らなくてもスマホは使えるし、オープンソースソフトの開発者でストールマンの本読んだ人は半分もいないだろう。

とはいえ、STEMがバズワードになってる今、僕はそうした取り組みの一環としてこの本を読んだのだけど、大変にビックリした。本書は科学、技術、工学、数学のどれについても語っていない。つまりSTEMとはまったく関係ない。
本書の主張はもっと過激で、「押しつけでテスト勉強になる既存の教育はダメだ、新しい創造的な教育に変えよう」というもの。

紹介される「創造性を生み出す考え方やアプローチ」は違和感ないし、実際にマインドストームもスクラッチも素晴らしいツールだと思う。
・人間は自発的に行動したときにいちばん多くを学ぶ、大人も子供も関係ない
・そのために低い床と高い天井、無用な苦労なく始められる敷居の低さと、やればどこまででも高度化できる高い天井が必要。
・また、「広い壁」として、特定の目的でしか使えないようなツールでなくて、どういうこともできる方向性の広さが望ましい
・成果物が他人のアイデアの土台になるような、シェアができることが望ましい。
・おぼえることが少ないのが望ましい。成果物を見たら使い方がわかり、それを土台に作り始められるようなものが望ましい
・それはツールだけで解決するものではなく、ワークショップの運営ほか様々なことに及ぶ
・究極的には社会ごと創造的になるのがよい
などはいずれも「言うのは簡単で、やるのは難しい」ことだが、レズニックたちが作り出したレゴ・マインドストームやスクラッチはどちらも一定の成功をしている。また、こうした考え方はメイカー関係では常識になりつつあるが、レズニック達がいわば「本家」なのも間違いない。「創造的なことは大事で、何かしらの環境で創造性は伸ばせる」が常識になったとしても、まだ答えが出尽くした分野でなく、どういう実践が行われているかに注目され続けるべきだろう。

ただ、僕自身が本を読んでいてビックリしたのは、随所に出てくる「A学生から背を向けないとX学生になれない」という考え方と、既存の教育や計画主導のアプローチに対する粗雑な指摘だ。おそらく知能や発達に対してなにかの誤認があり、普通に間違いなんじゃないかと思う。

たとえば文中にA学生大好き国家のシンガポールがX学生養成に手を広げ、学生にマインドストームでロボットを作らせだした話が出てくる。彼はシンガポールの学生に応用的なリクエストを出し、学生が見事に修正した様子をみて、「創造的な学生に育ってる、素晴らしい」と感動したあとに、学生たちが放課後だけロボットを扱って、授業ではきちんとテスト勉強をしてることを「テスト勉強は創造性を阻害する」と嘆く(目の前でそうでない例をみてるはずだし、ここでレズニックと話したシンガポール学生、間違いなくシンガポールの平均よりもさらにAばかりのはずだ)
また、たとえば創造的な人としてファインマンが挙げられているが、彼はテストの成績もいいし彼ワナビーも明らかにAの数は「ファインマン・ワナビーじゃない人」より多いだろう。Aの数だけにこだわる考え方に限界があるのはわかるが、「Aを取ろうとする行為がとにかくだめ」となるのがなぜなのかはよくわからない。著者のレズニック、「まったくAが取れない学生」とは、そもそも会話が成立しなさそうだもの。
他にも全般的に「A学生になろうとするとX学生ではなくなる」的な指摘が出てくるが、それらは普通に間違いだと思う。MITメディアラボの人たちを含む多くの研究者はA学生でもあるだろうに。
「自分から興味を示してヤル気にさせて因数分解や公式や掛け算九九をやるのはOK、押しつけるのはNG」というのはわかるのだけど、やってみてから好きになる、嫌いなものの印象が変わることはよくある。僕はそうした素直さ、精神の可塑性も創造性の一部、または別種の美徳だと思うし、実はA学生とX学生は、かなり共通点が多いと思うのだ。
そうした、「反復練習は大事で、努力だけが人間を作りますよ」テーマの「非才!」は、本書と共通するところも相反する所もあってオススメ。

もちろん、ガリ勉批判が粗いことは本書の価値をいささかも落とすものではない。スクラッチのソフトやコミュニティの価値を落とすものでもない。AppleのジョブズやGNUのストールマンはメチャメチャなことも言っているがプロダクトは素晴らしい。クリエーターの仕事は正しいことを言うことでなくて良いものを作ることだ。大御所に何でもロバストな正しさを期待する風潮のほうが間違っている。
同時に、センター試験改革みたいな話でこういう人たちを呼ぶのもだいぶ間違っている。似たような構図は人工知能の専門家をシンギュラリティ云々みたいな番組でコメントさせるみたいな場所でよく見られる。

また、もしもマインドストームやスクラッチが「テストの点を上げるツール」として扱われている誤解が多いなら、それは悲しいことだ。僕はそういう誤解がどれぐらい多いかわからないけど、ゼロでは絶対にないと思う。また、補章で阿部先生が指摘しているように、本質をよく理解せずにマインドストームやスクラッチを使ってカタにハメた教育を行っている事例は多くあるだろう。
また、「A学生を生む行為だけが勉強」と思ってる人は今も多いだろうから、そういう人がレズニックの考え方に触れることは悪くないと思う。

僕自身はこれまで書いてきたとおり、STEMと「新しい教育」の関係についてよくわかっていなかった/誤解していたので、本書はいくつもの「なるほど」をもたらしてくれた。
「なるほど、この人たちは新しい学校について考えてるけど、今ある学校には興味がない」
「なるほど、彼らに評論家的な'いろいろ見て最善を判断する'という視点は期待してはいけない。あくまで自分たちの作品しか考えてない」
「なるほど、ここで提唱する新しい教育は、たとえば英語や数学の成績を上げてくれない」
つまり、本書を読むことで「創造的な教育」が、今の教育とまったく別の(互換性のない)ゴールを目指すものであることがしっかりとわかったわけだ。上位互換ではない。そして、もちろん「創造的な教育」は今求められている大事なものだ。

随所に出てくる「計画を立てるより先に手を動かして修正していくアプローチは有効」については異論ない。
「既存の教育のダメさを見つける」という教育システム研究者みたいなのは、レズニックの仕事としてもこの本としてもメインディッシュではないし、その話をたくさんするのはクソリプだろう。(僕は勝手に期待していたので、そこが一番ビックリしたんだけど。)そういう「今の学校をどう改善する(スクラップビルドではない)」みたいな話はこの本がオススメ。

クリエーターとしては本書みたいなゼロベース再構築でいい気がするし、そのぐらい心を固めなければ良いものは作れない。スタートアップの社長は、自分たちの会社が唯一無二だと信じてなければやってられないし、僕もイベント運営や原稿書きなどの創造性を伴う(マニュアル通りに行かない)活動をしてるときに、「こんなの他の人もやってるから僕がやらんでもいいのにな...」と考えてたらやってられない。
そういう「創造性と客観性,科学性」みたいなものを考える一つとしてもこの本は面白かったんだけど、本としてはどういう人にオススメなんだろう?
たぶんこの本読むより実際にスクラッチ触るほうが著者たちの意図に沿う気がする。

以下はネタバレ含む抜きがきメモ,

■第一章 創造的な学び
X人を生む創造的思考とは何か

-学校は一方的に知識を伝達する放送型だが、幼稚園は子供同士で遊ぶから違う
-積み木などの遊具は自分の手で世界を再創造する試み
-このへんはアラン・ケイやミンスキーの本にも似てて、ルールなくて構造体作って何でもできるマインクラフトやレゴブロックみたいなのが善, お仕着せのルールがあるシムシティやRPG,漢字ドリルみたいなものは悪で一貫してる。実際は全然違って、暗記やドリルで公式を反復練習するのも、教育の重要名要素だと思うけど...
-発想して作って思考してを繰り返すのがクリエイティブラーニングスパイラル
-クリエイティブ四要素はプロジェクト,情熱, 遊び,仲間,)
-どんな場面のどんな小さい思いつきでも創造性
-技術について、テクノロジ愛好家は、授業を表層的にゲームに変えればいいみたいな話に陥りがち。テクノロジ嫌いは、自分が知ってるテクノロジは認めるけど新しいものは認めない(ピアノはOKでシンセはNGみたいな)ダブスタ。

(正直この辺の、『スクラッチは良いけど他はこういう理由でだめ』という話はよくわからない)

美談として子供がスクラッチで共同作業してRPGを作ったことが紹介される。
そのRPGは単にプレイするだけの子もいたはずだけど、それは創造的行為でドラクエは違うのはなんでだろう。

■第二章 Project
-メイカーはX人
-メイカーは素晴らしい
-ものを作る遊びは良い, マインドストーム
-子供向け人気絵本の「ウォリアーズ」を題材に、「出版社がそのシリーズをオンラインゲームにしたものはダメ、子どもたちがそのシリーズを題材にスクラッチで開発したものは創造的でこの2つは対極」という話がまたでてくるけど、なんでだろう?
このへんの「他人が作ったら消費財の押しつけ、スクラッチコミュニティが作ったら創造的なシェア」という区分けはよくわからない。
あと、ここで子どもたちがウォリアーズシリーズを二次創作するのは知財的にNGだと思うけど、著者たちはスクラッチシリーズやレゴシリーズに対するほかからの知財侵害にはどう対応してるのかしら。そういう無邪気なダブスタはほかにもありそう。

■第3章 Passion
-低い床と高い天井, 広い壁 始める前の約束事や準備は少なくて、高度なものが作れる。かつ、どんなものでも作れる。似たようなものしか作れないプラモデル的なのはよくない
-興味を持ってるときが一番知識が見につく。
-簡単か難しいかよりも、興味を持てるかどうかが重要。ヤル気でやってるときは難しいことでもむしろ面白い(hardfun)
-ゲーミフィケーション, 報酬の設計は悪くないけど、報酬に気を取られて創造性が台無しになることはあるので、スクラッチコミュニティでは目立っては、やってない
-パーソナライズ 悪いものではないけど、想定シナリオから外れるとより悪くなるしよく外れるので難しい。チュートリアルよりサンプルプロジェクトの推薦のほうが良いのでは
-ここに関しては「自由と規則のバランスが大事」など、断定的でないし、作者自身試行錯誤をしてる様子が伝わってくる


■第四章 仲間
-創造は一人でやるものではない、直接関係なくても触発されることはある
-オープン性 他人が自分より優れたものを発明することを奨励する
-ビジュアルプログラミング言語のスクラッチだが、リミックスという機能でソースの共有や再利用が行われている
-シェア/リミックスの機能はコミュニティ内でも論争を呼んでいるが、オフにできない
-オンラインコミュニティにおける気遣いの文化
-気遣いや敬意は、単に気持ちいいだけでなくて、お互いの創造性のために必要
-メンターと教師の違い
-実際は完全押しつけも完全放任もだめで、うまくきっかけを与えるとか一緒に考えるなどのメンタリングは大事
-専門知識に関する葛藤と矛盾 自力で微積分を発見したりすることはないので、何らかの働きかけは必要

■第5章 遊び
-遊びには創造性、好奇心、実験が必要(というか著者はそういうものだけを遊びと定義している)
-遊びには制限するタイプの遊びと構築させるタイプの遊びがある
-レゴのコンピュータゲームはレゴと違ってスコアを競うゲームになったので失敗してるがマインクラフトは素晴らしい
-ティンカリングは計画駆動と違う, 多くの優れた科学者にはティンカリングの側面がある
-コンテキストが好きなドラマティストと、構造が好きなパターナーという区別
人が数学や科学に失望するのはそこにコンテキストが抜けてるからじゃないか
-違うスタイルが混ざることが大事,ティンカリングだけでもプランニングだけでも問題は解決しない
-It Looks Like Fun, but They Learning?
エクスプロラトリウムの人たちが書いた論文 面白そう
-シンガポールでマインドストームでロボットを作る学生のところを訪問したところ、彼らは創造的思考者として成長していた
-マインドストーム学生たちはアフタースクールだけでやってたことに衝撃を受けた
-標準テストへの批判,それは人間の本質的な能力を捉えない
-ポートフォリオみたいなもののほうがいい評価につながるのでは MITではそうしている
-K-12(センター試験みたいなテスト)みたいなものへの注力は教育者や研究者、保護者の優先度と実践を歪める
(この話はよく出てくるけど、具体的にそれで創造性の何がどう傷つくのかのエビデンスは出てこない。この本で著者が例に出す創造性高い人、成績も普通に良さそうだし)
-レズニックが海外の研究について話すイベントに(たぶん向こうの金で)呼ばれたんだけど、会議サボってアンネフランクの博物館見にいった。彼女の遊び心こそが新しい教育だから来て良かった
みたいなエピソードあるけど、そういうの書いちゃう神経はよくわからん。単に別の日に行けばいいだけだし。偏見だけど、こういう人は他人がそういう傍若無人をやるとすごく怒る老害仕草をみせがちだけど、大丈夫かな。

■第6章 創造的な社会
-学習者のための10のヒント(プロトタイピング的な内容)
-親のための10のヒント
 単なる放置でなくて働きかけは重要、きっかけを与えるとか、様々なツールを与えるとか
-デザイナーと開発者のための10のヒント
異なる人を集めて、自分たちがユーザーとなるようにデザインする

■補章 創造的な学びの経験
-先生同士の国際的な会議の紹介
-阿部先生による、実際にスクイークやスクラッチ等を使って行われたワークショップの紹介
これは子供の反応も具体的に書いてあって面白い。実際のワークショップで、本質を見失ってカタにはめないための注意もすごくわかりやすい

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自分の中で整理がついてまとめたものは、何かしら記事やレポートにするけど、「まとまるまえのものや小ネタをすぐ見たい」という要望を聞いて、フォトレポートを始めることにしました。

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