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58枚目 ARB「W」(1982年)/ワークソングを歌いはじめた硬派な社会派バンドの最初の到達点

ARBは2018年でデビュー40周年。10月にはドラマーのKEITHを中心に、EBI(b)、田中一郎、斉藤光浩、内藤幸也(g)という元メンバーたち、MAGUMI(Lä-ppisch) 、延原達治(THE PRIVATES) 、宮田和弥(JUN SKY WALKER(S))ほか、大勢のゲストが集まり、40周年を記念するライブが新宿ロフトで行われました。しかし、そこに石橋凌の姿はありませんでした。

ARBというバンドは、日本では珍しい社会派のバンドでした。レコード会社こそメジャーレーベルでしたが、ヒットらしいヒットはなく、ライブもじわりじわりと動員を伸ばし、デビュー10年目でようやく武道館公演を実現しました。メンバーチェンジも多く、それにまつわる深刻なトラブルも経験しました。そんな中で、ひたすらライブをこなし、アルバムも毎年リリースしてきました。言ってみれば、苦労人です。

とはいえ、売れることに否定的だったわけではなく、シングルのリリースは多く、ライブでの凌の衣装などを見ても、意外とその時代の流行を取り入れるなど、努力の跡が伺えます。ただ、音楽的には徹底的にコマーシャリズムを否定し続けました。

実は、ARBは意外にも、ミュージック・ビジネスの中で作られたバンドでした。77年、シンコーミュージックによって日本のベイ・シティ・ローラーズ、つまり、アイドルバンドをデビューさせようという計画の元に集められたメンバーによって結成。ほとんどのメンバーはデビュー歴があり、アマチュアだった最年少の石橋は、そこにオーディションを経て加入しました。ARBはめんたいロックの流れで語られることが多いですが、結成時のメンバーの中で福岡出身は石橋とギタリストの田中一郎だけで、結成は東京。めんたいロックとは違う流れの中で結成されたのです。

 アマチュア時代の石橋も含め、メンバーは皆フォーク出身ではあるのですが、そこへのこだわりがあるわけでもなく、結成当初は音楽的に目指すところがなかったんだろうと思います。デビューアルバムの「A.R.B.」(1979年)は、ロックとポップが混ざったような出来で、自分たちの音楽的な模索と事務所の意向が絡み合っていました。やがてアイドル路線にこだわる事務所との対立は決定的なものとなり、マネージャーと共に事務所を辞め、ARBは自分たちの事務所を立ち上げます。

結成時には音楽的な方向性が定まっていなかった彼らに方向性を与えたのはパンクでした。特にメインソングライターで、バンドリーダーであった田中一郎はクラッシュに強く影響を受け、ソリッドかつタイトで直線的なスピードチューンが増えていきます。また、田中の切れ味抜群のギタープレイは"カミソリギター"と呼ばれるほどで、非常にインパクトがありました。

対する石橋も声が太くなり、歌の強さは歌詞の説得力にも繋がったように思います。この頃の石橋の詞は、後に代名詞となる社会派の歌よりも、自分たちを取り巻く環境や壁を歌っていました。

田中の音楽的センスと石橋の存在感が拮抗していた時代、それがARBの最も良かった時代でしょう。田中在籍時のアルバムはどれも捨てがたい出来なのですが、その中で1枚挙げるなら5枚目のアルバム「W」(1982年)でしょう。初期ラインナップの中で、骨太でありながら、一本調子にならず、田中の音楽センスが程よく広がりを持たせた、バランス感覚の良さが際立った作品です。

KEITHが病気から復帰。バンドの人気も上り調子の時の作品で、田中の楽曲はパンクを超えて独自のポップセンスを確立し、ファンキーな「ウイスキー&ウォッカ」、トム・ロビンソン・バンドのような「ユニオン・ロッカー」といった名曲を生み出します。また、「クレイジー・ラブ」はあえてシングルヒットを狙い、歌詞を元サンハウスの柴山俊之、作曲を木戸やすひろに依頼。ならず者のラブソングを書かせたら、柴山の右に出るものはいないでしょう。

石橋の言葉のセンスや存在感も徐々に大きくなっていきます。「ウイスキー&ウォッカ」のダブルミーニングは、その名の通りの酒の種類と、混ざると危険な劇物同士という意味でしょう。この"ウイスキー"と"ウォッカ"は誰と誰のことなのか、気になるところでもあります。さらにアルバムタイトルの「W」はここから取られ、さらにこのアルバムあたりから意識し始めたと思われる"ワークソング"というキーワードにも重なってきます。その名の通り"労働"についての歌のことで、「ユニオン・ロッカー」と「Heavy Days」は、ワークソングの代表的な名曲です。「LOFT23時」は、ライブハウスの新宿ロフトを根城にしていた頃を歌ったもの。当時、終演後のロフトは、バンドマンたちの溜まり場になっていました。

しかし、次作「トラブル中毒」(1983年)の頃になると、田中の指向性がバンドと合わなくなり始め、諍いの挙句、田中はバンドを脱退してしまいます。代わりに元BOW WOWの斎藤光浩が加入するも、今度はトラブルを起こしたベースのサンジがクビに。バンド最大の危機の中、石橋の民主主義志向をよそに、実質的には石橋を中心とした体制に変わっていきます。田中在籍時は第1期メンバーと呼ばれ、以後、ギタリストが変わるごとにサウンドを少しずつ変え、第4期まで重ねることになります。

1990年の解散から1998年の再結成。そして2006年に石橋の脱退により再び活動停止(石橋は解散だとアナウンスしています)。その後、石橋とほかのメンバーは別の道を歩んでいます。誰よりもバンドとしての仲間意識を大切にしていたはずの石橋。もうARBとしてステージに立つことはないのでしょうか?

【収録曲】
A1 Whiskey&Vodka

A2 ユニオン・ロッカー

A3 Heavy Days

A4 二人のバラッド

A5 愛しておくれ
A6 モノクロ・シティ (MAN STAND UP,WOMAN YOU,TOO) 


B1 SIX,SEX,SAX
B2 エイリーン
B3 ロフト23時
B4 ハ・ガ・ク・レ
B5 クレイジー・ラブ



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