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55枚目 D'ERLANGER「LA VIE EN ROSE」(1989年)/ヴィジュアル系のターニングポイント〜ヘヴィメタルとポジティヴ・パンクの狭間で

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ヴィジュアル系のルーツと呼ばれるバンドはいくつもありますが、現在のような女性的な美しさをベースにした感性へと舵を切ったのはどこだったのでしょうか。キーワードは<エレガント>です。

美しさを求めるという意味での最古のヴィジュアル系バンドは、1980年にデビューしたプログレハードのノヴェラでしょう。スラッとした細身の長身に長髪の美少年(青年か?)というルックスは、"少女マンガから抜け出してきたような"と形容され、実際に多田かおるの「愛してナイト」に登場したバンド、ビーハイヴのモデルとなりました(余談だが、「愛してナイト」の単行本の巻末には、無名時代のXのYOSHIKIが"林よしきくん"と写真入りで登場している)。しかし、そのメイクはまだまだケバケバしく、グラムロックやグリッターロックからの影響が濃く見受けられます。そこに見られる女性像は、場末のショーガール的なもので、美しく見せるものとは違いました。ただ、キーボードの永川敏郎はもともとが女性的な顔立ちで、写真によっては本当に女性なのではないかと思うようなものもありました。

ところで、プログレ周辺には、それとは違ったヴィジュアル的な感性もありました。それが<女装>です。例えば、アウター・リミッツのヴァイオリン奏者、川口貴は、ケバケバしさを求めない普通の女装をしていました(蛇足だが、キーボードの塚本周成は、現GACKTバンドのバンマス)。プログレの中にはクラシックに影響を受けたシンフォニック・ロックと呼ばれるものがあり、例えば、"ヴァイオリンを弾く貴婦人"のような、環境や歴史背景も含めたイメージ作りだったのではないかと思います。こういった、普通の綺麗なお姉さん的なヴィジュアルは何の文脈もなく、唐突に登場することがあります。プログレではないですが、KATZEの尾上賢などはその典型でしょう。

話を戻します。このビジュアル系の流れはメタルシーンの中に受け継がれていきます。まずは44MAGNUMです。これはモトリー・クルーの影響ですね。というか、これはデビュー決定後に<和製モトリー・クルー>を狙ってスタッフの主導で作られたヴィジュアルだともいいます。何にせよ、これもまたグラムロックの流れと見ていいでしょう。しかし、彼らはそれとはまた別の影響力を後に発揮することになります。

その進化系がJAPANがつく前のXです。初期は完全にモトリー・クルーの延長線でした。ここで重要なのが、Xのヤンキーイズムです。日本のエンタメ界において、Xの後を引き継いだのはEXILEだと僕は思っているのですが、その裏に通底しているのが"ヤンキー的感性"です。それをビジュアルの中に探ると、"デコ感覚"というのがあります。つまりデコレーションですね。例えば、昔の暴走族のデッパ、竹ヤリなどの"デコ車"やトンガリ靴、などがそうなのですが、ポイントは"尖っていて左右対称"です(ちなみに、YOSHIKIのウニが片側だけだったのは、ライヴの時に髪を立てる準備が間に合わなくて、それがそのまま定着したというのは有名な話です)。Xのメンバーたちの髪を立てる感覚はまさにこれです(YOSHIKIはこれを"ウニ"と呼ぶ)。このヤンキー感覚は、ビジュアル系の方向性の1つとして、主にXのExtasy RecordsとColorのFree Will Records周辺のバンドたちに受け継がれていきます。お立ち台ギャルたちの<トサカ>も感覚的には同じですね。
その中で異彩を放ったのがHIDEで、インドやエキゾティズム的な感性をビジュアルに持ち込み、押しの一手だったバンドのビジュアルに"引き"の要素を加えました(この先駆けとして、ストリート・スライダーズの蘭丸がいます。蘭丸も一時は女性ホルモンを打っているという噂があったなど、女性的な感性の持ち主だと言っていいでしょう)。これがビジュアル系の自由度を広げたことは間違いないでしょう。ちなみに、YOSHIKIのビジュアルがどんどん女性化していくのは、澁澤龍彦的な中世ヨーロッパの価値観とナルシシズムでしょう。YOSHIKIの美的感性は女性的な儚さと暴力性の2面性ということなのかもしれません。

さて、ここでやっと本稿の主役、D'ERLANGER(デランジェ)です。

中学卒業後、44MAGNUMのJIMMYのローディーをしていたギターのCHIPER(サイファ。成田美名子の同名の漫画から拝借したものと思われる)こと瀧川一郎を中心に、83年、京都で結成。その出自からも分かるように、当初はもっとメタル寄りの音を志向していたと思われます。ちなみに、バンド名を付けたのは初代ヴォーカルの宮平薫で、ショーケンのアルバム・タイトルから拝借したもの。
84年にヴォーカルとしてDIZZYこと福井祥史が加入(後にStrawberry Fieldsを結成)。しかし、活動はなかなか順調にはいきません。まぁ、10代半ばのヘタクソなガキどもがどんなに声を上げても、そんな簡単にいくもんじゃないってことでしょう。それでも地元の京都をベースに地道な活動を続けていきます。この頃のデモテープで聴ける音は、正直なところ44MAGNUMの二番煎じといったものでした。87年に初のシングル「GIRL」をリリースします。こもった音質と粗っぽい演奏はデモテープの域を出るものではなく、まるでヴェノムのように混沌とただ突っ走るだけのもので、お世辞にも褒められたものではありませんでした。ただ、このシングルの直後に後に『La Vie En Rose』にも収録される「Sadistic Emotion」をデモテープで発表しており、この頃はまだ表に出していなかったCIPHERのメロディ志向やSHEELAの音数の多いベースは、既に後の個性を発揮し始めています。

そんな彼らに転機が訪れます。メタルシーンの盛り上がりと共に、多くのライヴイベントが行われるようになり、87年頃からそれらに出演するようになると、雑誌などにも採り上げられるようになり、京都のローカルバンドからその知名度は一気に全国区に広まっていきます。CIPHERの妖しい魅力はこの頃から相当なものだったようで、音よりもヴィジュアルから人気が出たというのが本当のところでしょう。この頃は既に派手なヴィジュアルが売りのバンドもそれなりに登場してきましたが、ただ派手さを競うだけのものが多かった中で、D'ERLANGERのダークで妖しいヴィジュアルは、メタルの文脈とは少し違うものがあったのです。

同年、メンバーチェンジは唐突に行われます。87年10月にドラムのTETSUが加入。当時18歳でメンバーで最年少ながらそのキャリアはなかなかのもので、サーベルタイガー(横須賀)で後にXに加入するHIDEと一緒だったのは有名な話ですが、その前にDEAD WIREというバンドでやはりXに加入するTAIJIと一緒でした。その時のヴォーカルが後にD'ERLANGERに加入するKYO(当時は狂)で、KYOがサーベルタイガーに移ったのを追うかのようにTETSUもサーベルタイガーに加入します。その後、サタニックメタルのMEPHISTOPHELESを経てD'ERLANGERに加入。実はTETSUも44MAGNUMのローディー出身で(ちなみに、REACTIONのヴォーカル、加藤純也もそう)、それがCIPHERとの接点だったようです。
TETSUの加入後もバンドは好調をキープし、人気はますます上昇。ライヴではワンマンもこなすようになります。しかし、翌88年6月、ヴォーカルのDIZZYが脱退します。それと入れ替わるように、サーベルタイガーの後、Ba-Rraというバンドを経たKYOが加入(Ba-Rraでは、後にJusty Nastyに加入する辻たけしと一緒でした)。正確には、CIPHERがKYOを半ばムリヤリ説得し、DIZZYが抜けたわけですが。これで役者が揃ったD'ERLANGERは、より大きなイベントにも出演するようになり、その知名度はもはやメジャー級というほどに上昇していました。

そこで89年にリリースされたのが『LA VIE EN ROSE』でした。初回盤の3000枚は黒地にシルバーのエンボス加工がされたパッケージに入ったもので(ちなみに、当時のCDはまだ特殊パッケージは少なく、インディーズでそんなものを作るバンドは88年のG-Schmitt「Altenative Garnetの初回盤くらいでした)、なんと通販と予約で完売してしまい、店頭には並びませんでした。そしてあっという間に1万枚を突破。その人気たるや凄まじいものがありました。ちなみに、このオリジナル盤は44MAGNUMの事務所レーベルであったDANGER CRUEからリリースされているのですが、当時のD'ERLANGERは別の事務所と契約していたはずで、一体いつ移籍したのでしょうか。

ここで聴かれる音は、もはやメタルではなく、BOOWYなどに代表されるようなビートロックと呼ばれるような高速8ビートのロックンロールに攻撃的かつ耽美的な要素を加えたものになっています。そして、楽曲は非常にメロディアス。なぜこういった変化が起きたのでしょうか。理由は2つ考えられます。

1つめはバンド内の環境の変化です。TETSUの加入によって演奏は格段に安定しました。重いサウンドと気合いの入ったハイハット捌き、意外とタイム感が後ろにあるリズムキープは、バンドの演奏に安定感をもたらしました。D'ERLANGERがただ速い曲ばかりをやるバンドから脱却したのは、TETSUの貢献度がかなり高いと思われます。少なくとも、バンドの演奏に一つ頼れる柱ができたことは確かです。実はTETSUは、そのバンド遍歴からは意外ですが、レコーディングはおろかデモテープさえ作ったことがなかったそうで、それなのにこのアルバムのレコーディングでは、ドンカマなしで叩き切ったそうです。どうしても前のめりになりがちな8ビートのロックでしっかりと後ろにアクセントを置いた、しかし攻撃的なリズムを自分の感覚だけで提供できる18歳というのはなかなかすごいものがあります。それによって調性を解体していくようなSEELAの変態的なベースラインがより自由度を増し、活きてきました。そして、ある意味ロマンティストなCHIPERに対し、混沌とした曖昧な世界観を好むKYOの加入は、これまでCHIPERができなかったことを可能にしたのです。それがBauhaus~Love & Rocketsのポジパン~ゴシック趣味の導入です。Daniel Ashが好きだというCIPHERは、兼ねてからその退廃的な世界観を取り入れたかったんだと思います。しかし、まだそれほどの技量がなかったにも関わらずバンドの音をほぼ1人で作っていたため余裕がなかったことや、周りの環境がメタルだったこと(当時はメタルとポジパンは相容れないものでした)、内輪でも、DIZZYというシンガーはバッドボーイズロックというか、もっといえばスティーヴン・タイラーを意識したようならところがあったなど(それは、87年に作られた「Sadistic Emotion」のデモを聴くとよく分かります)、CIPHERがイメージしていた音を実現するには難しい環境があったのだと思います。それがKYOの加入によって一気に現実味を帯びてきた。当時のKYOはハードロックやヘヴィメタルを脱し、Lords Of The New ChurchやSisters Of Mercy、The Missionなどのゴシック・サウンドや、4ADのCocteau Twins、さらに、日本人ではポジパンのマダム・エドワルダなどを聴いていたといいます。さらに、KYOがゴスやポジパンの雰囲気を分かっていたことで、よりメロディアスな方向性でも必要以上にポップにはならないとCIPHERは踏んだのかもしれません。ハーモナイザーを強めにかけたギターのサウンドも、当時の流行だったとはいえ、メタルのドンシャリなサウンドとは一線を画す(もう一つ、ヘタクソなギタープレイをごまかす)意図があったように思えます。そして、メタルとの決別宣言といえるのが、<Sadistical Punk>というキャッチフレーズでした。

もう1つは44MAGNUMの転身です。CIPHERのルーツであり、ジャパメタを代表するこのバンドが、87年の「LOVE or MONEY」からメタルを捨て、オシャレなスーツを見に纏い、軽やかなロックに転身したのです。その理由を「メタルはダサい」と言い放ったことは裏切り行為だとファンからひどくバッシングされましたが、ロックを洗練させてブレイクしたBOOWYを頂点とした時代に、今となっては自然な方向転換に思えます。それと少し時間差はあるものの、モトリー・クルーの延長線上にあるようなグラマラスなファッションだったD'ERLANGERが、89年から90年にかけてエレガントなスーツを着るようになっていきます。サウンドの方向性が変わってきた時点で、やはりBOOWYの存在を目標に置いていたところはあるでしょうから、44MAGNUMの転身こそがCIPHERを後押ししたような気がするのです。ここで、グラマラス路線からエレガント路線へと舵を切ったわけです。メタルの激しさとより内省的なポジパンのサウンド、スーツを着たオシャレ感覚。これらの変化を総合して、サウンドを含めて<美装>したのがD'ERLANGERだったといえるでしょう。XやCOLORのようなオラオラ感覚のヤンキー系のビジュアル系とは違ったスマートさとしなやかさ。ここが現代ビジュアル系への転換点だったのかもしれません。

ところで、このアルバムには1曲だけ異様に明るくポップな曲があります。それが「LULLUBY」なのですが、実はこの曲には、CIPHERの師匠である44MANGUMのギタリスト、JIMMYが絡んでいるようなのです。JIMMYは「1999」にも共同アレンジャーという形でクレジットされていますが、「LULLUBY」の方では役割は不明です。メンバーたちもこの曲の仕上がりには違和感を持っているようで、元はもっと違う形だったといわれるこの曲をこんなにポップに仕上げたのはJIMMYなんじゃないかと想像できます。BOOWY的な洗練されたポップ感という部分では共通する44MANGUMとD'ERLANGERですが、内省的な部分のベクトルがまるで違うので、そこにズレが生じてしまったのかもしれません。この曲がメジャーでリメイクされたり、代表曲の1つのようになってしまっていたことも、葛藤の原因になったことでしょう。ちなみに、"Candid Girl”という言葉が出てきますが、これは浅香唯のファンだったCIPHERらしい言葉選びといえそうです(浅香唯の「C-Girl」は"Candid Girl”という意味)。

この後、多くのビジュアル系(当時はまだそんな言葉はなかったけど)バンドがスーツを着るようになり、このスタイルは髪型も含め、センターGUY(書いてて恥ずかしいw)~お兄系のギャル男を経由した現代のホストに受け継がれていきます。90年代を通してヤンキー的な感覚は少しずつ変化をしながら再びビジュアル系に回収され、コスプレという感覚を通じてオタク文化ともリンクしながら、再び細分化をしていきます。

ちなみに、日本のロックバンドは、なぜこんなに化粧することに抵抗がないのか。答えは簡単。みんなKISSが大好きだったからです。彼らはその最後の世代なんですよね。

【収録曲】
1. UNDER THE PRETENSE
2. LA VIE EN ROSE
3. 1999〜Shyboy Story〜
4. DEAR SECRET LOVER
5. SADISTIC EMOTION
6. an aphrodisiac
7. INDECENT-TWO-PERSONZ
8. LULLABY
9. I CAN'T LIVE WITHOUT YOU
10. LAZY SLEAZY

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