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JAPANESE ROCK 80's 名盤選

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79年から93〜94年頃までの日本のロックを盤単位で紹介。 音楽的な側面から検証・紹介していきます。
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2014年9月の記事一覧

24枚目 ダイヤモンズ「ダイヤモンズ」(1990年)

24枚目 ダイヤモンズ「ダイヤモンズ」(1990年)

 前回からの鴨下信吾つながりでいきましょう。

 1985年にザ・ブドーカンというバンドで1度メジャーデビューしている鴨下ですが、久しぶりのリーダー作品は、ダイヤモンズというトリオ編成のグループで実現しました。

 ダイヤモンズの名が知れたのはイカ天への出場がきっかけでした。残念ながら1週の勝ち抜きで終わってしまいましたが、審査員からの評価は高く、そのレベルの高さは疑いようがありませんでした。誰の

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23枚目 Replica「Tough & Free」(1988年)

23枚目 Replica「Tough & Free」(1988年)

 残念ながら、これを名盤と呼ぶことはできません。しかし、あえて採り上げてみましょう。
 個人的なことを書いておくと、僕はこのレプリカというバンドをデビュー曲の「Sugar Baby's Growin'」で知って、3rdアルバムの「ZERO & NOT for Rep's Baby's」まではよく聴きました。しかし、それ以降の作品はぽつりぽつりとは聴いていますが、ほとんど記憶にありません。ハッキリ言

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22枚目 ASTURIAS「Circle In The Forest」(1988年)

22枚目 ASTURIAS「Circle In The Forest」(1988年)

 前回、ヴィエナを紹介したので、ついでにアストゥーリアスをいってみましょう。そのつながりは何かって?ヴィエナのベーシスト、永井敏己がサポートしていたアフレイタスの後任のサポート・ベーシストが、このアストゥーリアスの中心人物である大山曜なのです。マニアックすぎますか?w

 アストゥーリアスは大山曜のソロ・プロジェクト。ここでの大山はベーシストである以上に、コンポーザーやアレンジャーといった方が正解

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21枚目 VIENNA「Overture -序章-」(1988年)

21枚目 VIENNA「Overture -序章-」(1988年)

 日本のプログレ・シーンは狭いので、同じプレイヤーたちがあっちでくっついたりこっちでくっついたり、ぐるぐる回っている印象があります。そんな中でもスーパーグループと呼ばれてデビューしたバンドがヴィエナでした。

 元ジェラルドの藤村"茶々丸"幸宏(Vo,G)、元アウター・リミッツの塚本周成(Key)、元ノヴェラの西田竜一(Ds)、西田の推薦で加入したアフレイタスなどのサポートをしていた永井敏己(B)

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20枚目 Teru's Symphonia「Egg The Universe」(1988年)

20枚目 Teru's Symphonia「Egg The Universe」(1988年)

クソ忙しかったり、パソコンが不調だったりで更新が遅れました。
ぼちぼちで更新していきますよ。

 元祖ビジュアル系といわれるバンドはたくさんいますが、個人的には彼らこそが元祖だろうと思っているのが80年にデビューしたノヴェラです。メンバーは全員(当時の)少女マンガから飛び出して来たかのようなルックス(多田かおる「愛してナイト」に出てくるビーハイヴのモデルが彼ら)。彼らが70年代のキモいオカマ風のメ

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19枚目 Z.O.A.「BURMMA」(1989年)

19枚目 Z.O.A.「BURMMA」(1989年)

 80年代後半に一時代を築いた北村昌士(YBO2)のトランス・レコード。ここに所属していたアーティストたちは、今でもトランスという枠の中で語られることが多いのですが、もともとは他で活動していて、また外に出て行く、つまり、生え抜きのアーティストは少なかったりします。そう考えると、トランス・レコードという名前は一種のブランドのようなもので、そのイメージがいかに強かったかが分かります。まぁ、トランス・ギ

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18枚目 GASTUNK「UNDER THE SUN」(1987年)

18枚目 GASTUNK「UNDER THE SUN」(1987年)

 80年代後半のアンダーグラウンド・シーンの中で、最も影響力を持ったバンド。その筆頭に挙げられるのがGASTUNKでしょう。特にBAKIの持つカリスマ性と個性的な歌い方は、後進に大きな影響を与えてきました。例えば、DEAD ENDのMorrieはその影響を公言して憚らないですし、Xも然り。Doomなどもそうでしょう。90年代には、L'Arc〜en〜Cielや黒夢らもその影響を公言しています。上記の

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17枚目 DOOM「No More Pain…」(1987年)

17枚目 DOOM「No More Pain…」(1987年)

 Doomは凄い。その言葉はキャッチフレーズのように僕の頭の中に記憶されています。雑誌などに載っている彼らに言及した記事には、常に"凄い"と書かれていました。もはや刷り込みともいっていいほど。彼らの音を初めて聴いたのはビクターから出た「SKULL THRASH ZONE」(1987年、Xを2曲収録していることで有名なオムニバス盤)で、そこに収録されていた2曲は圧倒的にカッコよかった。音楽的にはなに

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16枚目 GENOA「ONLY THRASH…BUT THRASH!!」(1988年)

16枚目 GENOA「ONLY THRASH…BUT THRASH!!」(1988年)

 たまにはマニアックなところいってみましょうか。
 スラッシュとスラッシュ・メタルは違うってわかりますか?または、ハードコアとスケーター・ロックは違うって分かりますか?もちろん、サウンドの共通点はありますが、それ以上にアーティスト自身のアティチュードや指向性の違いがあるのかもしれません。問題は、ここらへんのジャンルの人たちは恐いので(メタルの人は優しいけど)、ヘタなことを言うとぶっとばされるという

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15枚目 REACTION「INSANE」(1985年)

15枚目 REACTION「INSANE」(1985年)

 日本のヘヴィメタル・シーンにおいて、1985年という年は重要です。ラウドネスが「THUNDER IN THE EAST」をアメリカのATCOからリリースし、日本のロックを世界に進出させた年。聖飢魔IIがデビューして、一般層にヘヴィメタルの存在を知らしめた年。SHOW-YAがデビューして、女性ロッカーの存在をメジャー化させた年。つまり、これまでマイナーで一部のファンのものだったハードロック/ヘヴィ

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14枚目 COLOR「激突 !!」(1988年)

14枚目 COLOR「激突 !!」(1988年)

 かつて、70年代には西のファニカン(桑名正博がいたファニー・カンパニー)、東のクリキン(クリスタル・キング)なんて言葉もあったが、80年代も終わろうとする頃、東西対決が再燃する。西のCOLOR、東のX。もっとも、彼らはその派手な出で立ちを比較されていただけであり、音楽性はまるで違った。しかし、その同類感を認めたのか、お互い非常に仲が良かった。

 とまぁ、そういう感じで語られるバンドなんですね、

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13枚目 ちわきまゆみ「エンゼル -We Are Beautiful-」(1986年)

13枚目 ちわきまゆみ「エンゼル -We Are Beautiful-」(1986年)

 有名な、子供の頃にマーク・ボランに頭を撫でられたというエピソード。これを聞いた人は、だからグラムロック好きになったのかと思うでしょう。しかし、事実は違います。小学生の彼女は、ミュージック・ライフなどで見たボランに会いたくて、外タレならここに泊まるはずだと赤坂の東京ヒルトンに行き、グルーピーたちや警備員をくぐり抜け、ロビーに出てきたボランに遭遇したのでした。まさか、小さな小学生の女の子が、マーク・

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