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モンターニュのつぶやき「全ての職業が嫌いな人がすることとは」 [令和3年4月26日]

[執筆日 : 令和3年4月26日]

 オタワにも桜があって、2017年にはその桜を愛でながらのガーデンパーティにお呼ばれしたこともありましたが、その桜が開花したという知らせを受けたり、あるいは、アフリカのゴルフ友から朝7時からゴルフに興じて、後ろを気にしないでプレー出来たおかげで安定したスコアーを出したという、なんとも泰平の世を物語る海外とのメールのやり取りというのは、時差を気にせずとも出来る便利なものだなあと思う訳です。
 そういえば、ゴルフ友、ショットを記憶するというよりも、思い出すのではないかというコメントを付しておりましたが、私の言葉を正確に表現すれば、ガルシア・マルケスの言葉「人生は何年長く生きたかではなく、どんな思い出をもっているかであり、その思い出を如何に思い出すかである」にあるように、「ゴルフとは、どんなスコアであったかではなく、誰とそしてどんな楽しい思い出(素晴らしいショットもあれば、とんでもないミスショットもあったとか)を持てたかであり、その思い出を如何に思い出すかである」と(座布団1枚かな)。
 人は成功体験は覚えているものですが、失敗体験は忘れるもので、それは脳がとにもかくにも、合理的なこと、楽(らく)なこと、楽しいことを追い求める性質があるからですが、先日のゴルフの失敗から私が思うのは、脳(意識)に支配されてはいけないのではないかということです。一打目のショットが上手く行くと、どうしても、パーを取りたくなるというか、欲望が、煩悩が目覚めて、それによって心が洗脳というか支配されます。そして、良い結果を想定して、出来るだけ距離の出そうなクラブを選択したり
、最短のルート選択をして、自ら墓穴を掘っていることが私のミスの殆どです。そういう意味では、私はある程度は何故ミスをしているのかを自覚していて、真我、鈴木大拙の禅でいう本当の自分ですね、が煩悩をコントロールできるかが課題となっています。技術的な課題は課題としてはありますが、目下の課題はそう、脳の問題なのです。
 そういえば、日本の政治も脳に問題を抱えているような。参議院選挙、与党は全敗したとか。この数年の政府与党の対応を見ていたら、さもありなんですが、政府与党というのは、日本の脳でありますから、その脳の言うことを身体として存在する国民は反対!と声を挙げたということで、とても興味深い現象だと思いますね。
 元々日本人は、バランス感覚はあって、時に政府与党を懲らしめるための行動に出る訳ですが、反省を促すだけで終わるのか、それとも政権交代までを日本人の脳は考えているのか、その辺は今後のコロナ禍の状況次第かもしれません。私にも先週末、区からワクチン接種の予約に関する案内が来たので、区のホームページにアクセスしたら、予約サイトは立ち上がっておらず、こういうのは「泥縄」的というような感じがして、お役所仕事はどうもいけませんなあ。その点で、感心したのは、上野で開催される予定の国宝の展示会(鳥獣戯画展)の事前チケットを購入したものの、緊急事態宣言で中止となったのですが、すぐに返金の手続きの案内がきて、なんとも民間のサービスは迅速だなあと。 結局、自分のことなら必死でやるけれども、そうでない仕事はお役所的(競争の原理が機能しないこと)になるのかなあと。これも脳の仕業なんでしょうが、税金で仕事をする人、公務員や政治家等の脳をこの際、よく調べた方がいいかもしれませんね。アリバイ作りだけは確かに上手ではありますが。

 さて、今日の本題のつぶやきはドナルド・キーンKeen,Donald(1922-2019、96歳で逝去)さんについてです。彼は1922年ニューヨーク生まれの元米国人で、戦後コロンビア大学、ケンブリッジ大学の学業を経て、1953年に京都大学大学院に留学。帰国後はコロンビア大学教授に就任し、日本文学が国際的に高く評価されることになった功労者で、2011年の東日本大震災を契機に、東京に転居し、2012年に日本国籍を取得し、数多くの文学賞を受賞し、文化勲章も授与された方でありました。
 たまたまブック・オフで見つけた彼の本ですが、「日本人の質問」(朝日文庫)があります。この本は、1982年、3年頃に書かれた文章が収録されていますが、令和の時代でも多分、日本人なら外国人に対して質問するであろう質問に対してキーンさんが答えた文章も収録されているのですが、その質問とは次のようなものです。
「日本語を勉強するようになった動機は何ですか」
「日本語は難しいでしょうね」
「漢字でも仮名でも読めますか」
「俳句を理解できますか」
「トロロやコンニャクをどう訳しますか」
「初めて日本に来たころ、一番驚いたのは何ですか」
「日本の生活を不便だと思いませんか」
「お刺身を召し上がりますか」
「どうしても食べられないものがありますか」
「日本のどこが好きですか」
「日本の女性をどう思いますか」
「日本の文化は世界でただ一つしかないユニークなものだと思いませんか」
「外国にも義理人情はありますか」
「いつお国へ帰りますか」等々。
 こうした質問自体もそしてキーンさんの解答も興味深かったのですが、一番興味深かったのは、彼の「入社の弁」という1982年の文章です。人の職業や仕事がその人の才能なり、志向に合ったものであるのかという疑問に対する一つのヒントを与えてくれる文章だと思います。時既に遅し、という人が多いかもしれませんが、こういう話を知っていると、若い人に多少はつぶやくことが出来るかもしれません。
 文章は、キーンさんが客員編集委員として朝日新聞に入社した際の話です。彼は大学一年生の時は、すべての職業が嫌いだったのですが、父親は「なんでもいいから職業は選んだ方がいい、決めないと飯が食えなくなるぞ」と言ったので、心理学の教授に「すべての職業を嫌う人間には何か望みがあるのでしょうか」と聞いたそうです。で、その先生の答えは「自分は大学一年生の頃には、何になりたいかは分かっていた。宣教師になるつもりだったが、計画が途中で狂ってしまった」と。しばらくして、再度その先生に助け舟を求めたところ、最新のテストの話をして、そのテスト(心理学的な)をやってみたら良いと言われて、そのテストを受けたそうです。変な質問だらけだったようですが、彼の解答を見た先生は「赤十字社の社員には向いていないようだ」「建築かジャーナリズムがいいでしょう」と答えたということです。キーンさんが生まれた時に父親は「この子には絵描きになってもらいたい」と言っていたようですが、学校で一番点数の悪いのは図画で、建築家にもなれないと思っていたところ、ジャーナリズムの線が出てきたので、ジャーナリズム部の部長に相談します。キーンさんは当時短編小説を書いていたので、それを見せたようですが、それを見た部長は「ジャーナリズム以外の職業をちゃんと考えたか」と、才能がないことを暗示させる返事が返ってきます。結局、キーンさんは自分にはいかなる職業にも向いていないことを理解するのです。
 それでも彼は一時的ではありますが、ニューズ・ウィークの東京特派員として日本に滞在したことがあるようで、色々な原稿を書いたようです。石原慎太郎の「太陽の季節」を紹介する原稿も書いたりしたけれども、すべての原稿がボツになったという、ジャーナリストとしてはかなり先行きの暗いスタートだったようです。そんな彼が朝日新聞に入社することになった訳ですが、当時、海外で日本文学を研究する人は皆同じ人であるという変な常識があったようで、川端康成の作品なぞ一度も翻訳したことがないのに、「川端康成がノーベル文学賞を授与できたのは、キーン氏の素晴らしい英訳のおかげである」といった発言がしばしば聞こえたそうです。そうした誤解がまことしやかに流布していて、朝日新聞社は人選を誤ったのではないかと思ったようでもあります。
 さしたる才能がある訳でもなく、仕事にありつけない可能性もあったと低姿勢で語るキーンさん(彼は16才でコロンビア大学文学部に飛び級で入った秀才ではあります、念のため)ですが、結局のところ、米国人で、日本文学の研究者として先駆者的存在になれたのは、日本文学も含めて日本への思いが純粋であったからではないかと思うのですね。
 お金を儲けようとか、生活のためにといったことではなくて、利害とは無縁な立ち位置をずっと続けることが出来るというのは、日本文学を本当に素晴らしいと思って、それを広めたいという、見方を変えると、日本文学の宣教師的な人だったのかもしれませんね。こういう人がいるから、日本の文化は、日本人にとっても、より客観的に理解が出来るでしょうし、何事も、内と外からの視線は大切だと思います。
 豆腐が大好物だったようですが、東京よりも京都の方がより美しく、住みたい都市であると思っていたようで、それは京都は、山に囲まれた場所、山が市内から眺めることが出来るからだということのようです。ここは私もアグリーですねえ。永井荷風がいた頃の東京は、至るところから富士山が見えたようですが、今は都心では、超高層のマンションにでも住まない限りは富士山は見えないでしょう。山を毎日眺めて育った私のような人間には、山が見えない東京という空間は、どこか嘘くさい(本物ではない)気もします。
 東京の魅力は、残念ながら本物だらけの京都には敵わないのだろうと思います。永井荷風以降、東京の町を賛美する小説家はいません、少なくとも私の知る限り。京都については、梅棹忠夫さんの「京都の精神」もありますし、鷲田清一さんの「京都の平熱」もあるし、それと嫌いなのか好きなのかよく分からないけれども京都について色々と書いている井上章一さんもいますが、東京を愛でる本はさっぱり見ません。部分的にはありますよ、銀座界隈だとか、六本木や渋谷が登場する小説、あるいは浅草や下町を扱った観光的な本は。でも、東京全体についての本はないと思います。東京が日本を代表する都市であるとすれば、その都市の全体像を把握していなければ行けない訳ですが、それが多分、為政者もそして都民も出来ていない、しかし、それが令和に生きている日本(人)の脳の姿をも顕していることなのかなあと思うのです、残念ですが。誰かが全体を把握しないといけないのに、皆個々のパーツだけにしか気が回らない。全体を見渡せる山のような為政者の出現と、そして、同時に日本人の脳の改造もしないといけないのではないのかなあと。コロナ禍はそういうことも気づかせてくれている、そんな気がします。 (了)

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