否定的なレビューに関する一考察
何でもかんでもレビュー社会になってしまったとつくづく思う昨今ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
Amazonしかり、食べログしかり、Googleマップしかり。
やれ品質が悪いだの、コスパが悪いだの、店員の態度がどうだの、好き勝手に書いているレビューで溢れているではありませんか。
もちろん中には好意的な意見もありますが、どうしたってネガティブな意見というのに目が行きがちです。
褒め称える→評判が上がる→多くのユーザー獲得につながる→俺が行ったときに混んでてイヤ、という思考もありましょうが、何ですかねー、このインディーズ時代から応援していたバンドがメジャーデビューして、それはそれで嬉しいハズなのに素直に喜べない古参のファンみたいな感覚は。
そんな神セブンのようなファンだけに限った話ではないでしょうけど、好意的なレビューを書く必要性は高くなかったりしませんか。
つまり、満足したからそれでいい。で終わってしまうんです。
対して何か引っかかる点があった場合、よしコレは晒上げてやろうず!という心情が産まれてしまっているように思います。
よく「悪評はすぐに広まる」というような話を耳にします。
たぶん真実なのでしょうが、しかし悪いレビューを書いている本人には、まったく責任は無いものでしょうか?
接客業の経験がある人なら分かってもらえると思いますが、売り言葉に買い言葉っていうのは実感としてありますよね。
横柄な態度の客には最低限の応対をして、一方で感じの良い客にはちょっとプラスアルファの対応をする、みたいなケースです。
ふだん100%の接客をしているけど、上客には120%です!という配分の場合は良いのですが、最初から喧嘩腰で来られると、どうしたって「そういう態度」になってしまいませんか。
先日レンタカー屋に行く用事があって、最寄の店を調べてみました。
するとレビューには「〇〇という店員の態度が最悪。二度と行かない」と名指しで批判する内容がありました。
果たして私が訪問した時にはその〇〇という店員さんが対応してくれましたが、別段問題のある対応とは思えませんでした。
そのレビューを見て反省した、という可能性も捨てきれませんが、ヒトってそうそう変わらないですよね。
すると、やはりレビューした者の側に問題があったという可能性に行きつくわけですよ。
そりゃあ接客業ですもの。
お客さまに対して失礼が無いように、というのは当たり前です。
だけどそれは「お客さまと呼ばれるに足りる者」だったら、の話です。
私は「お客さまは神さま」という考え方は変だと思っています。
しかるべき対価を支払い、それに見合ったサービスを受ける。サービス提供者とお客とは対等な関係であるべきだと思っています。
対価として高額であると思えば他の選択肢を選べばいいだけのこと。
それを、さも当然のように「〇〇が高すぎる」などと、根拠も示さずに頭ごなしにこき下ろすレビューをするやつが居るんですよ。
「相場だと〇〇円ぐらいだと思っていたから、ちょっと高いかな?と思いました」だったら分かるんですが、直感的かつ感情的に否定的な部分だけを強調した文章が並ぶレビューをするやつが、居るんですよねえこれが。
実際にその通りだとしたらグウの音も出ませんが、それだけの事を言われるほどの店員だったら、むしろいちど見てみたい気もします(笑)
そして多くの場合、こちらがまともな対応をしている限り、レビューで晒し上げられるほどの事件は発生しないでしょう。
それから、みんないつからそんなに偉くなったのでしょうか。
予約の時間が数分遅くなったとか、予算をちょっと超えたとか、その程度の事を許容できないような人生ということは、さぞかし厳格かつツマラナイ育ち方をされてきたのでしょうね。
先日観たロザンの楽屋というYoutubeチャンネルで「誹謗中傷する人」についてお話されていました。
誹謗中傷することでストレス解消、という話の説得力たるや(笑)
しょこたんこと中川翔子さんも誹謗中傷に関して声を上げているし、何か対策が必要なのは明らかでしょう。
ネットニュースやSNSがソースということで根拠が甚だ脆弱ではありますが、「俺様はザ・人柱!」っていういびつな英雄気取りで気に入らない店や人を吊るし上げてストレス解消している連中が世の中にはゴマンといるのでしょうから、実に恐ろしい世の中になってしまったものです。
ここはひとつ、ヒトやモノやサービスに関して「良い部分だけを書けるレビューサイト」でも立ち上げてみたらどうでしょうか。
どこまでが良い部分で、どこからが悪い部分か判断が難しいところではありますがネ。
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