「推し活」って何だ?

 昨今よく耳にする「推し活」って、いったい何だ?

 特定の対象者について、個人的に好意を抱いていたり応援していたりすることを、昔は「ファン」とか称していたように思います。今もそうか。
 それが色々と変化したものが「推し」であり、その「推し」のためにアレコレするのが「推し活」ですね。

 「私=ファン」に対して「推し=対象者」なので、主体が変わってきたとでも言えばいいのか、あるいは「推薦する」という意味合いが含まれるため「私はこの人のことを応援しているんだけど、あなたも一緒にいかが?」といったニュアンスを帯びている気もする。

 だとすると「推し活」のコミュニティの中においてある種のヒエラルキー構造が成り立っているらしい事を耳にするのが不思議なことであるように感じられる。
 オススメするという意思表示を伴った言い方が「推し」であるならば、「推さない」と「無関心」以外は同じベクトルを向いているのではないかな?
 たとえばより多くの商品を買ったから、より多くのコンサート会場に足を運んだから、実際に本人と会ったことがあるから、だから私の方がより熱心なのよ!という主張は分からないでもない。

 だけれども本質的には対象者を「推し」ているという点において、年に何度も「推し活」をしている人と、ときどき「推し活」をしている人で、どれほどの違いがあるというのでしょう。
 経済波及効果の大小?それとも「推しへの愛」?

 本人が楽しければそれでいい、という側面もありましょう。
 ですがファン同士でよく分からない基準を設けて恣意的に上下関係を作って「お山の大将」に変貌するって、傍から見ていて実に格好悪い。ゲー出るほどダサい。同じ人を推しているっていうのが恥ずかしい。
 という風になってしまわないのかな?

 ファンならCD10枚以上買え!みたいなノリは昭和の時代に絶滅したと思っていたんですが、意外とそうでもないのでしょうか。
 自己顕示欲とか承認欲求とか、そういうものを満たす手段としての「推し活」は「推し」に対しても失礼だと思うのだが、しかし「お山の大将」って可処分所得が少なくない傾向にある気がするので、当の推される側からしたら「ファン同士のいざこざなんか知ったこっちゃねーし、金を使ってくれるのならそれで構いやしねえ!」っていうスタンスでもぜんぜん不思議は無いわけです。
 そもそも、そんな守銭奴みたいな奴に大勢のファンが付くとも思えませんが。

 というわけで、推し活は節度をもって取り組むことにいたしましょう。

 えっ私の推し活?
 うーん、劇場に足を運ぶことと円盤をきっちり購入することぐらいかな。
 啓蒙活動はしんどい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?