川口貴史
廃村八丁、京都奥地の山々を歩く
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廃村八丁、京都奥地の山々を歩く

川口貴史

 写真家・星野道夫(1952-1996)の名著『旅をする木』にこんな一文がある。

頬を撫でてゆく風の感触も甘く、季節が変わってゆこうとしていることが分かります。アラスカに暮らし始めて十五年がたちましたが、ぼくはページをめくるようにはっきりと変化してゆくこの土地の季節感が好きです。

『旅をする木』星野道夫

 第一章・「新しい旅」にしたためられた書簡風のエッセイが好きで、二十代のころから何度も読み返している。星野道夫が伝えたアラスカの広大な自然とはスケールこそ違うが、同じ理由で、四季をはっきりと、五感で感じられる日本の里山の緑が僕は大好きだ。そうして休日の早朝、『旅をする木』を読み返しながら電車に揺られ、これから向かう京都の奥地に広がる、里山の風景を思い描いている。

 廃村八丁。

 現在の京都市右京区京北にかつて存在した集落だ。

 豊富な森林資源の産地であったがゆえに弓削村と知井村との間で約六百年にわたり境界紛争が続いた。明治に和解が成立したものの、昭和九年の豪雪を期に全戸離村し、廃村となった。

 廃村八丁には今なお屋敷跡や立派な石垣、それに当時の生活が垣間見られるような遺構が残されている。苔をしっとりとまとった遺構は美しく、悠久の昔——というほどではないにせよ、京都から小浜に抜ける西の鯖街道のいち集落として、住人が山とともに暮らしていた面影が見て取れる。周辺の里山は、現在はハイキングコースとして人気だ。

 今回の山旅では、小塩民宿から越木峠、トラゴシ峠を経て八丁で一泊し、翌日は品谷山から佐々里峠、そして名も無き小さな山々をつなぎながら小野村割岳へと歩く、ロングコースをゆく。JR京都駅からバスで京北合同庁舎へ向かい、そこからタクシーに乗り換え小塩民宿へ。午前十時三十分に旅がスタートした。

 暑かった夏もようやく過ぎ去り、秋の長い陽光が差し込む林道は、透過光に照らされた木々の葉っぱが美しく輝いている。林道のすぐ脇を流れる小川は、桂川の源流のひとつだ。よく清んだ流れの中には、イワナだろうかヤマメだろうか、渓流魚がたくさん泳いでいる。「パックロッド(釣り具)でもあれば、今日の夕食が豪華になるのに」などとメンバーと話しながら、林道から谷筋を詰め、越木峠に到着した。

 ここから整備された林道を離れ、本格的な登山道を歩いてゆく。この先は一応、地図に記載されているコースではあるが、踏み跡の薄い不明瞭な道が続く。おまけに急な尾根を直登ときた。普通、急峻な尾根は少しでも傾斜が緩くなるように、つづら折れに道が付けられる。が、ここは「つづら折れなど生ぬるい」と言わんばかりの、まっすぐな道が続く。場合によっては両手両足でよじ登るような傾斜だ。テント泊装備を背負いながら、よやく小ピークにたどり着く。

 だが、あれ、おかしいぞ。

 この先は倒木とヤブだらけじゃないか。

 道はあるのか?

「もしかして、このヤブを突っ切るんですか」

「何言うてんねん、当たり前やろ」そう笑いながら答えるリーダーからのお返事をありがたく頂戴し、僕は意を決してヤブに突入したのである。

 全体重をヤブにのせ、ヤブをかき分けルートを開く。折れ曲がった杉の葉が顔面むかって跳ね返る。ウエアやバックパックを容赦なく切りつける。蜘蛛の巣。そんなものにかまっていられない。指を切った。ブーツの中に杉の枯れ葉が入り込む。痛む。倒木を越える——くぐる——左右から巻く。ヤブに視界を遮られ地形が分からない。稜線を外さないように進めばいいのだが、ええぃ、こんなときはGPSで切り抜けよう!

 越木峠を出発してからヤブと格闘すること約二時間。

 たどり着いたトラゴシ峠には、日に日に深くなってゆく爽やかな秋が展開していた。

 2020年にも訪れたこの美しい場所は、当時と何も変わっていない。トレイルには赤や黄色の落ち葉の絨毯が広がり、踏みしめると、秋の乾いた空気の中にサクッ、サクッと小気味よい音が木霊した。

 あたりにいるのは僕たちだけだ。遠くに見える京都北山の稜線は幾重にも重なり、雑木林には紅葉の海が広がっている。こんな景色を求めて、僕たちははるばると歩いてきたのだ。

 ——一生のうちにあと何回、心に残る秋を味わうことができるだろう。

 訪れては去ってゆく時の流れを、名残惜しく過ぎてゆく季節の移ろいによって、僕たちは感じることができるのだ。星野道夫の、受け売りですけどね。

 本日の幕営地、八丁には清んだ沢が流れ、そこに暮らした人々の生活を偲ばせる痕跡が数多く残されている。八丁の入口には崩れかかった鳥居の跡があり、そこを登ってゆくと、祠の跡がある。「ひと晩、使わせていただきます」と手を合わせ、村のお地蔵様にも合掌し、そうしてそれぞれテントを設営する。夕食を済ませ、ちびちびとお酒を楽しむうちに、日足のはやい秋の日暮れが過ぎ去っていった。よく晴れた空には星がまたたいている。明日も、晴れだ。

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トラゴシ峠
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廃村八丁の三角トタン小屋
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本日の別荘

 翌朝はよく冷え込んだ。凜とした秋の空気が漂う清々しい朝だ。朝食と撤収を終え、品谷山、佐々里峠へと歩いてゆく。

 昨日からここまでのルートで、出合った人はひとりだけ。しかし佐々里峠はにわかに賑わいを見せており、20名ほどのパーティーと出合った。先頭を歩くリーダーはネイチャーガイドの腕章を付けている。どうやら、芦生原生林のトレッキングツアーのようだ。

 これから僕たちが向かう小野村割岳周辺には「芦生研究林」が広がっている。芦生の森の原生林には、冷温帯林に属する西日本屈指の天然林が広がり、約4,200ヘクタール(東京ドーム約898個分)の面積を有するという。入林は事前に許可申請が必要で、残念ながら僕たちは入れない。それでも、原生林の外とはいえ、森の境界線である稜線には美しいブナ林が広がり、杉の巨木をいくつも観察できた。

 標高点832メートルの先にある雷杉は、その名のとおり脳天から雷を直撃したらしく、内部はすっかり焼かれて空洞になり、それでも堂々とした佇まいで鎮座している。

 通称「エイリアンの木」は、なんと説明したらよいのだろう。杉の大木に、おそらくブナだろうが、根を何本も何重にも絡ませて、まるで寄生しているかのように杉を乗っ取っている。その姿がどこか不気味で、なるほど、見方によってはエイリアンのように見える。僕たちは人智を越えた自然の力に圧倒されながら、秋を感じる涼しい風吹く稜線を、小野村割岳へと歩いていった。

 それにしても『山と高原地図』で破線ルートに分類される小野村割岳の稜線は、小さなピークが連続し、ピークを読み違えると現在地を見失いそうになった。2万5,000図とコンパスは常に手にしてはいるが、GPSで細かく現在地を確認しながら進む。このような場所では2万5,000図でも縮尺が小さい。さらに拡大した地形図を携帯してもよいかもしれない。

 僕は内心「稜線をたどるだけだから」と、高をくくっていたところがあった。が、油断すると人里から遠く離れた場所に迷い込みそうだった。心奪われる自然の景観に見とれていると、思わぬところで足をすくわれてしまうだろう。

 山旅ではいつもいつもそうだ。

 最後のピークを踏み、あとは下山するだけとなると、名残惜しくて仕方がない。場所によってはもう二度と訪れることがないかもしれないからだ。小野村割岳は、また訪れる機会があるだろうか。日本百名山のような華のあるピークでは決してないが、二日をかけてようやくたどり着いたその場所は、思い出と相まって特別な場所となる。まだ帰りのバスまで十分に時間があった。お湯を沸かして、のんびりと休憩しよう。

 休憩を終え尾根を下り、早稲谷川に沿って林道を歩いてゆくと、その先にポツリ、ポツリと電柱が立っているのが見えてきた。すっかり廃道となったその林道は、やがて整備された現役の作業道へと変化し、ぬかるんだ地面についた足跡も、獣のものから人の足跡へと変わっていった。

 あぁ、人里に帰ってきたのだ。

 下の町バス停は、静かな秋の夕暮れに包まれていた。

 2020年の山行と併せて、これで廃村八丁周辺の山々をぐるりと一周したことになる。それでも、僕はまた来年も飽きずに訪れることだろう。この美しい京都北山の自然がたまらなく好きだ。こうしてnoteを公開しているとはいえ、あまり有名になりすぎて、大勢の登山客でごったがえす場所にはなってほしくないなぁ。

 そんなワガママを通したいと願う、あまり人に教えたくない秘密の場所——それが僕にとっての京都奥地にかつて栄えた、八丁という廃村です。

旅のデータ

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  • 標高:931.7m(小野村割岳)

  • 距離:約21.4km

  • コースタイム:約10時間

  • コース:小塩民宿→西谷→越木峠→稜線経由→トラゴシ峠→八丁(1泊)→品谷山→佐々里峠→雷杉→小野村割岳→下の町バス停

  • アクセス:行き・JR京都駅からJRバスで「京北合同庁舎前」下車。周山タクシーで小塩民宿へ|帰り・下の町バス停から京都バスで「出町柳駅前」へ

 京北合同庁舎前から周山タクシーを利用するが、2021年現在、ドライバーがひとりしかいないという。必ず予約しておこう。

 また本コースは地図に記載されている登山道を歩くが、道や道標が必ずしも整備されているとはいえない。初心者だけの入山は控え、経験者と同行すべし。

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川口貴史
大阪市在住・WEBライター / 靴用品アドバイザー。ライティングのご依頼を承るかたわら、靴業界での経験をもとに、靴用品の開発にも携わります。旅、山、日々の暮らしを発信します。