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おばあちゃんは何を思ったか


私が保育園に入る前、お隣に、おばあちゃんが住んでいた。

平屋の長屋の、一番端のおうち。うちは、長屋と隣接していたのだ。玄関から庭に抜ける土間があって、昔ながらの竈と、井戸、ぼっとん便所があった。

おばあちゃんはいつも、上がり框の上の畳の部屋で、堀こたつに入りながらニコニコしていた。

私は、隣の家に住んでいたおばあちゃんが大好きだった。
お隣のおばあちゃんは、優しくて、いつもニコニコしていて、私の祖母とは大違いだった。

おばあちゃんが本当に私のおばあちゃんだったらいいなと、何度思ったことだろう。毎日私の話を聞いてくれて、毎日私にいろんなことを教えてくれて、毎日一緒に笑ってくれて。
独り暮らしのおばあちゃんは、いつもラジオを聞きながら編み物をしていることが多かった。その編み物の手を止め、新聞紙やチラシを正方形にカットしたもので折り紙を作ってくれたり、毛糸をむすんであやとりを教えてくれたりした。

「おやつをおあがり。」
「ありがとう!」

おばあちゃんは、遊びに行くといつもおやつをくれた。

新聞紙に包まれた、裸のお菓子。それは時にあられであったり、飴玉であったり、クッキーであったり、セロハンで包まれたゼリーであったり。
私の家では、お菓子をほとんど食べさせてもらえなかったので、おばあちゃんのおやつはかなりおいしいものとして認識していた。おやつは飴玉二個だったり、せんべい二枚だったり、三分の一に割られたチョコだったり、小さな子供のおなかが膨れない程度の量だった。

おばあちゃんのくれたおやつを食べながら、おばあちゃんの入れてくれたお茶を飲んで、いっぱいおしゃべりをして、夕方に家に帰る、それが私の日常だった。

ある日、私が保育園から帰ると、いつも開きっ放しだったおばあちゃんのおうちの引き戸が閉まっていた。

「おばあちゃんの家、どうしてしまってるの。」
「あの婆さんは老人ホームに入ったんだよ。」

私は、おばあちゃんにお別れをいう事ができなかった。

それから何年かたって、おばあちゃんが亡くなっていたことを知った。

私の大好きなおばあちゃんは、もうどこにもいないのだと知った。

おばあちゃんの記憶がずいぶん薄くなった頃、おばあちゃんのいた長屋が壊されることになった。老朽化が進み、取り壊しとなったのだ。

窓枠が落ち、野良猫やカラスが住み着いていたこともあって祖母が大喜びしていた。

「やっと汚らしい建物がなくなってスッキリするわ!!」

おばあちゃんの事を言われているようで、心が痛んだ。

長屋のあった場所は駐車場になり、ずいぶんきれいになった。

「井戸も潰しちゃったんだね。」
「あんた井戸あったこと覚えてるの。」

就職が決まり、家を出ることが決まったとある日の午後、私は久しぶりに自分から…外掃除をしていた祖母に声をかけた。

「昔ここにおばあちゃんが住んでいたでしょう。」
「そんなことも覚えてんの?あのクソババアね…。」

普段から口の悪い祖母の言葉が、やけにとがって…聞こえた。

「よく遊んでもらったよ。」
「そりゃ遊ぶしかできなかったからだよ!年金暮らしの貧乏人が!」

私の知らない大人の生活があったようだ。

「編み物してたの見たよ。」
「うちが捨てた古いセーターをわざわざほどいて、へたくそなマフラーや帽子にして売ってたんだよ!みっともないったりゃありゃしない!」

あれは生活費のために編んでいたのか。

「新聞紙で折り紙作ったことがあって…。」
「うちの新聞だよ!!うちがゴミの日に出したもんをゴミ捨て場から拾ってきて一か月遅れで読んでたんだよ、気持ち悪い!」

あれはうちの新聞だったのか。

「お菓子もらったよ。」
「はあ?!まさかうちがババアにやってた賞味期限切れのせんべいとか飴のこと?!あんたそんなの食べてたの?!」

あれはうちがいらないと思って捨てた食べ物だったのか。

「もらいもんのまずい贈答品とか溶けた飴とかしょっちゅう貰いに来ててさ、いっつも恵んでやってたんだけどあんたが食べてたってこと?!」

あれはうちが恵んでやったと思っていた食べ物だったのか。

「こんなまずいもんよく食べるねって言ったらさ、美味しいおいしいっていっつも言っててさ、惨めったらしいのなんのって!」

あれは確かにおいしいと思って食べていたんだけどな。

「あんなの食わされてよく死ななかったね!あんたもう知らない人からものもらって食べちゃダメだよ!いい大人なんだから、人なんてみんなだます事しか考えてないんだから!どうせあのババアも不味いもんばくばく食べるあんた見て蔑んでたのさ!ヤダヤダ!ホントこんなんで一人暮らしなんてできるのかね!できるわけないよ!一週間で出戻りだよ!どうせ簡単に騙されて一文無しだわ、あーあ、無駄な事ばっかする、大体あんたはね…。」

ああ、祖母の機嫌が悪くなってしまった、大失敗だ。

夕暮れまで愚痴を聞かされた私は、もう二度と祖母に声をかけようとは思えなかった。

引っ越しするまで、なるべく祖母に話しかけずに、平穏な日々を過ごした。

余計なことを考えず、ただただ平穏に過ごして、家を出た。
余計なことを考えず、ただただ、おばあちゃんが大好きだったことを、思い出して、新しい車が並ぶ駐車場を見てから、家を出た。

ずいぶん時がたった今、私が思い出すのはいつだって、隣のおばあちゃんだ。

どんな思惑があったのかはわからないけれど、私は隣のおばあちゃんが大好きだった。
どんな思惑があったのかはわからないけれど、私は今でも、隣のおばあちゃんが大好きだ。

思惑があったかもしれないと疑う心を、私に持たせた祖母は…もういない。

思惑などなかったはずだと信じたい自分がいる。
思惑などなかったと信じていこうと思う自分がいる。

余計なことを考えず、ただただ、おばあちゃんが大好きだったことを、思い出していけばいい。

そのうち、不愉快なことは、すべて忘れてしまう、はずだから。

ずいぶん忘れっぽくなったわたしなら、きっと都合よく忘れるににちがいない。

私は、食べるのを忘れていた賞味期限切れのカステラをつまみつつ、ぼんやりとそんな事を思った。

そういえば、おばあちゃんの名前…覚えてないな。

思い出せない事が、どんどん増えていくのだな。

早く、不愉快なことが思い出せなくなればいいのにな。

いろいろとぼんやり考えていたら、すっかり夕方になっていた。

買い物に行くのを忘れていた事に気がついた私は、あわてて財布を持って、家を飛び出した。


こういう感じの長屋が実家の隣に建っていたんですよね…。


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