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ふとやってくる虚無感との付き合い方

急に、どうしようもなく不安になる時があります。

大抵は夜ですが、朝の出勤途中や夕方の休憩中にやってくることも。気付いたらいなくなっている時もあるし、さもずっといたかのように居座り続ける時もある。

具体的な悩みがあるわけでも、しんどい状況にいるわけでも、悲しいことがあったわけでもないのに、なんだか心臓のあたりが、ぎゅうううっとなる。

この漠然とした不安感、虚無感をどうしたものか、ずっと考えていたのですが、最近ようやく付き合い方が分かってきた気がします。

ぽっかり空いた穴を無理やり埋めようとすると、新たな穴がうまれるか、デコボコになってしまう

たいら~~~~~~~な地面をイメージしてください。主成分は土です。

ここを誰かの「心」とした時、不安感や虚無感を抱えているというのは「地面にぽっかり、1つの穴があいている」状態です。本来あったものが、ない。

この穴、あるだけならいいのですが、周りの地盤がゆるくなっているとどんどん土が引きずり込まれて穴が広がってしまうんですね。それで焦って埋めようとするのですが、埋めるのに使うのは周りの土。気付いたら新たな穴がうまれているか、全体がデコボコになってしまっているんです。

地面は「たいら」がスタンダートではない

穴が余計に大きくなったり、増えたり、デコボコになったりするのは、「穴があるのはダメなこと」「穴は埋めなければならない」と思っているからです。つまり、「たいらな地面」が理想だと思っているということ。

でも、本当にそうでしょうか。

わたしたちの心って、そんな分かりやすいかたちをしているのでしょうか。

わたしは、違うと思うんです。「たいら」と「穴がある」の間に大きな差はなくて、どちらも単なる「状態」に過ぎない。

実際の地面だって、ぴたーっとたいらなところなんて中々ありません。だいたいは、ちょっと傾いていたり、凹みがあったり、石ころがまじっていたりします。

傾きを直したほうが、歩きやすい。凹みがないほうが、転びにくい。石ころがないほうが、怪我しにくい。

それは真実なのだけれど、すべての地面がまったいらで何のまじりっけもない地面になったら、たぶんすごく違和感があります。それは、自然のありのままの姿ではないから。

心には、コントロールしないほうがいい部分がある

わたしたちは、行動や思考によって、心をある程度コントロールすることができます。

会議中などに嫌な発言があっても、急に怒鳴る人は少ないですよね。大抵の人は流したり、気持ちにグッと蓋をしたりして、やり過ごすと思います。

そのコントロール術がないと社会はとても生きづらいし、この社会で生きていくために培ってきたスキルでもあると思います。大人になればなるほど、我慢することや見て見ぬふりをすることが増えていく。そうじゃないと、こんな世界、生きてなんていられない。

だから、ある程度のコントロールはしょうがないと思っています。わたしだって、「その発言はどうなんだ?」とか思いながらニコニコしてること、普通にある。何度もね。

でも心って、コントロールしすぎるとどんどん鈍くなる気がするんです。いっつもコントロールして封じ込めてばかりいると、そもそも動かなくなる。ちょっとしたことで傷つかなくなる。

心が鈍いって、けっこうしんどいです。小さな傷をスルーするのは便利そうかもしれないけれど、実際には適切な処置がおこなえないからどっと悪化してしまう。気付いた時には、もう手遅れ。崖の淵の淵まで追い込まれてしまいます。

心には、コントロールしないほうがいい部分があるんだと思います。コントロールせずに、自分の気持ちを無視せずに。いつまでも敏感に振れられる部分が。

ぽっかりあいた穴は、きっとこの、コントロールしないほうがいい部分なんです。

やっと分かった、穴との付き合い方

わたしは、これまでずっと「穴を埋める方法」ばかり考えてきました。

焦燥感を持たないように常に余裕をもって仕事をしよう。
定期的にメンタルとフィジカルをケアしよう。

もちろん、そういう日頃の気遣いは大切だと思います。今もずっと続けていることです。

でも、一番大切なのは穴を作らないことでも穴をはやく埋めることでもないんです。穴があいても大丈夫にしておくことだったんです。

上でも書きましたが、穴があいた時、周りの地面が緩いと、総崩れになりやすくなってしまいます。いつもギリギリの状態では、小さな綻びが致命傷になるということです。

逆に、いつも余裕のある状態であれば、少し穴があいてもグラつかなくなります。たくさんの木々が土砂崩れを堰き止めてくれるように。

わたしに必要なのは、「もうこれで穴はあかないぞ」というガッチガチのバリケードではなく、「これでいつ穴があいても大丈夫だよ」というフッサフサの林だったんです。

そのことに気付いてから、ふとやってくる不安感との付き合い方が、なんとなく分かってきたんです。

心は海。無理に泳ぐと溺れてしまうから、いっそ力を抜いて浮かんでみよう

ここまで心を地面に例えて話してきましたが、心は海のようでもあると思っています。本人も気付かないうちに、ずっと遠くへものを運んでしまうような。

海は、いろんなものの影響を受けます。波が立ったり、凪になったり、冷えたり、あたたまったり。一瞬たりとも同じ表情を見せません。でも、どんな時だって、海は海なのです。

同様に、どんな時だって、あなたの心はあなたの心です。どれだけ荒れていようと、どれだけ穏やかでいようと、どれだけはしゃいでいようと、根本は変わらない。

どれだけ荒れた海も時が過ぎれば凪ぐように、どれだけ荒れた心も時が過ぎれば落ち着きます。

荒れた海で泳ぐのはしんどいもの。そういう時は、身一つでどうにか陸へ辿り着こうとするのは愚策。それよりも、何かにつかまってやり過ごしたほうが現実的です。

いざ溺れた時、焦ってもがくと、身体に力が入ってどんどん沈んでしまいます。力を抜けば、面白いくらいに人の身体は浮かびます。

心も一緒。いざしんどくなった時は、もがかずにじっとするのが良いのです。じっとしていれば、自然と身体は浮いてきます。そして波が落ち着いたら、また元気に泳ぎだしたらいいんです。ポカポカの日差しを浴びながらね。

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