あなたと一緒に見てるからだよ
夜、23時を迎えようという頃。
「(ZOOMで)飲んでるw」
その日は20時くらいからオンライン飲み会をしていて、サワーを2缶と梅酒ロックをたぶん3杯くらい飲んでいたので、勢いでそんな雑なLINEを送ってしまった。
「お邪魔しよっかな」
ラフな返信。おいでおいでと、ZOOMの招待リンクを送る。
普通にお喋りしながらのんびり飲んでいたら、上着を2枚ほど着込む友人の姿が映ったあと、カメラがオフになった。次にオンになった時、友人の背景は落ち着いた部屋の壁ではなく、街頭がぽつぽつと灯る夜の街並みだった。
同居人が寝たから、起こしてしまわないように外に出た、とのこと。きらめくやさしさ。
オススメのお店を教えてもらいながら、「自粛明けたら行きたい」と話したり。
唐突にからあげクンカルボナーラ味を推したり。
コンビニで買い物する音声を聞きながら、レジのガイド音声を復唱したり。
某・深夜の街を徘徊する番組よろしく、夜の街を歩く友人を、呑んでる三人が見守る。周りから見たらよく分からない風景かもしれないけど、これが意外と面白い。
友人が帰宅しそろそろ閉じようかという頃、すかさず「また散歩しながら話してよ」と付け加える。
「もちろん」と答えた友人は、なんだか不思議そうで、でもなんだか楽しそうに見えた。
***
散歩に出たのは、わたしではない。
コンビニのから揚げを食べたのも、地元のラーメン屋をプレゼンしたのも、わたしじゃない。
でもあの時、あの約1時間、わたしたちは確かに散歩していたのだと思う。
「コンビニ寄る?」「レジ前は迷うね」「つまみコーナーはやばい」「食べたいものはぜんぶ買っちゃえ」
そんな会話をしながら、公園かどこかに立ち寄って、だべって、家に帰る。
知らない街で、画面越しだけど、友人の散歩を通して、わたしは夜の街を歩いていた。
***
人と話すことが減った。人と会うことはもっと減った。人と空間を共有することはもっともっと減った。
ひとりの時間が増えて、それはそれで充実しているのだけど、なんだか唐突に寂しさを覚える瞬間がある。他の人が生活している音を聞いたら、手を合わせたら、隣に座ったら解消できそうな、ちっちゃな寂しさ。
たぶん、みんなが抱えてる。ちょっとずつ、でも確実に。
「ああ、ひとりじゃないんだ」
友達のお散歩配信は、そんな当たり前のことを思い出させてくれる気がした。
***
「月が綺麗だよ」
「あなたと一緒に、観てるからだよ」
わたしは、家にいる。
でも、わたしは散歩してる。
ちっちゃな寂しさは、いつの間にかいなくなっていた。
***
友人の、すてきなnoteに寄せて。
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