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#呑みながら書きました この涙の価値を決めるのはあなたじゃない

泣けば何でも許されると思うなよ
泣いてばっかりじゃ何も解決しないでしょう
また泣いた、俺が悪者にされるんだ

そんな言葉をぶつけられたことがあります。

感情が高ぶったり緊張したりすると、言葉や行動より先に涙が出てきてしまう。
泣いてはいけない場であればあるほど、ぽろぽろと溢れてきて止まらなくなってしまう。
本来は泣くようなものじゃない些細なものでさえ、ぐっと何かが込み上げてきて涙腺が緩んでしまう。

そんな自分が大嫌いで、どうして自分の感情すらもコントロールできないのか、みんなみたいにキチッとできないのか、ずっと悩んでいました。

泣くのは悪いこと。涙は弱さ。

泣くのは悪いことだと思っていました。
涙は弱さの象徴だと思っていました。

そんな弱さを人前で晒すことは幼稚なのだと、そう考えていました。

だから泣きそうになった時は少し席を離れて落ち着かせていたし、もし人前で泣いてしまった時は「すみません、すみません」と平謝りしていた。
目の前の人がいくら「いいよ」と声をかけてくれても、背中をさすってくれても、わたしはわたしを許せませんでした

「泣いちゃダメだ」と念じ続けていたら、本当に泣かなくなった

泣いちゃダメだ。
感情を露わにしてはいけない。
もっと冷静に、感情を抑えないと。

そんなことばかり考えて生きていたら、本当に泣かなくなりました。
そして同時に、自分が何を感じているのかも分からなくなった

嫌なことがあっても不快にならない。
嬉しいことがあっても喜べない。
ずっと痛かった心がちっとも痛くない。

愛想笑いは得意だったから、日常は滞りなく過ごしていたけれど。
わたしはいつだって、「笑いたいから笑う」んじゃなく、「笑ったほうが良さそうだから笑って」いた

どんどん自分の感情が置き去りになって、周りは進んでいって、それに置いて行かれないように必死で、必死で、とにかく走っていて、
でもどこかで、なんで自分がこんなことをしているのか、ずっと疑問で。

ある日突然、心から溢れてもまだ収まらないくらいの虚無感に襲われました

「泣きたい時に泣けるのは、幸せなこと」

そんな言葉をかけてもらった覚えがあります。

素直に泣けるのは、とても尊いこと。
誰かのために泣けるあなたは、とてもすてきな人。
泣きたい時に泣けるのは、とても幸せなこと。

泣けない、どころか泣きたいかどうかも分からなかったわたしですが、たくさんの方からあたたかい言葉をかけていただいて、どうにかまた泣けるようになりました。

多分、前より泣き虫になっています。
大好きだったアニメの劇場版を観に行って、開始5分、あらすじ紹介のところでボロボロに泣いてしまうくらい。

それでもわたしは、そんな涙もろいわたしが大好きです。

わたしが泣くのは、いつだって誰かのためだった

わたしは涙もろいけれど、自分が怪我したとか、自分がつらいとかではあまり泣きません。(悔しい時はよく泣く。)

わたしが泣くのは、誰かがしんどい思いをしている時や、誰かの頑張っている姿を見た時なんです。

なんの能力も持たなかったドン臭い主人公が、仲間を守るために敵に立ち向かう。
最初は相性最悪だった二人なのに、今は抜群の信頼関係で背中を任せ合う。
変えがたい未来をどうにか変えようと最後まで奔走する。

そんな姿を見せられたら、もうたまりません。
「泣く」どころの話じゃないです。
大泣きです。ぐしゃぐしゃです。ティッシュが何枚あっても足りない。

どうか、この人が幸せになれますよに。
お願いだから、もう無理しないで。
こんなに頑張ってるの、助からなきゃダメだよ。

そんな願いのような、叫びのようなものが、わたしの中で騒ぎ出すのです。耐えられないのです。

アニメの主人公のために、noteの向こう側にいるあなたのために、わたしは何もできない。
何もできないけれど何かしたくて、けれどやっぱり、泣くことしかできないんです。

だから、わたしが泣くのは、いつだって誰かのためでした。

こんなに綺麗な涙、嫌いになれるわけないじゃないですか。

「こんなに泣くほど、頑張ってないんですけどね」

高校3年生のとき。
高校最後の試合でボロ負けして、泣きに泣いた日がありました。

その日はダブルス(2対2ね)だったのだけれど、パートナーの部員に見られるのは情けなくて。
慌ててみんなからは離れて、声を殺して泣きました。

けれど、集合時間になっても全く治まらなくて。
仕方なく、涙でぐっしゃぐしゃになったまま集合場所へ戻りました。

「こんなに泣くほど、頑張ってないんですけどね」

――一瞬、言葉の意味が分からなかった。

顧問の先生が、運営スタッフの方に言った言葉

意味を理解してから、何を言っているんだろうこの人は、とやけに冷静に受け止めている自分に驚いた。

あの時の顧問の先生の言葉は、声までハッキリ、脳裏に焼き付いています。

この時にわたしが泣いたのは、もちろん勝負に負けた悔しさもあります。
けれどそれ以上に、一緒に頑張ってきた部員に申し訳なかったんです。

その日のわたしは、ヒドイものでした。
サービスはほとんど入らず、ストロークも簡単なミスばかり。前衛に立ってもボレーを決められなくて、ペアの子に迷惑をかけてばかりでした。

あの時、あと一歩動けていれば。
あそこでわたしがしっかり決められていたら。
もっとうまくフォローできていたら。

そうしたら、もっと、
もっと長く、二人で試合ができたのに。

調子の良し悪しも含めて実力だと思うから、言い訳はできません。
だからこそ、悔しかった。

泣くしかなかった。
泣くことでしか、この狂おしいほどの後悔を処理できなかったんです。

それなのに。

それなのに、何が、「泣くほど」なんて、どうして、どの口が、なんであなたが、
外から見ていたあなたに、言われなきゃならないの。

なんとか愛想笑いでその場は乗り切り岐路に着いたけれど、家に着いても尚、わたしの中はぐちゃぐちゃでした。

わたしの涙の価値を決めるのは、誰?

今思うと、あの時の先生は、「子どものことは大好きだけど人前で褒められるとつい謙遜しすぎちゃう親御さん」のような立場だったのかもしれません。

それでも、許せなかった。
こうして書いているだけで当時の感情が戻ってくるくらいには。

何が理由で「泣くほど頑張ってなかった」と言えるのでしょう。
どこまでやれば「泣くくらい頑張った」って言えるのでしょう。

それを決められるのは、わたし以外に誰がいるのでしょう。

いないんですよ。
泣くかどうかを決めるのは、その涙の重みを決めるのは、他ならないわたし自身なのだから

わたしの涙は、誰にだって否定させない。この涙は、わたしが何かに真剣に向き合った証だから

わたしは、自分の涙もろいところが大好きです。

この目から溢れる涙は、わたしが何かに真剣に向き合った証だから。

誰にも「泣くほど頑張ってない」なんて言わせません。
わたしの涙は、わたしだけのもの
誰が否定することも、誰が蔑むこともできないのです。

何かに真剣に向き合ってる人の姿を、涙を、バカにするなよ。
その涙には、目には見えないものがいっぱい、いっぱい、両手じゃ抱えきれないくらいに詰まってるんだぞ。

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#呑みながら書きました に寄せて。
お酒が入ると、いつもよりちょっと(だいぶ?)素直になれちゃうね。

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