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「なんとなく」を愛でる

会議や打ち合わせで何か理由なり根拠を求められて「なんとなく」と答えることはなかなかできないと思います。むしろNGの部類に入ります。

とはいえ、日々の生活を見渡せば「なんとなく」で決めている、もしくは選んでいることが多い。中には理由を説明できるものもあるかもしれないけれども、掘り下げていくと「なんとなく」の感情が起点になっていることが多い。

というかほとんどの場合そうなのではないでしょうか(僕だけかもしれない)。

乱暴に言ってしまえば、仕事の大部分は、なんとなく良さそう、なんとなく面白そう、こんな感じで起点となる感情に、データや専門家などの声を加え、理由をこしらえてロジックにして「わかりやすく」してより多くの人から賛同をとることでしかないとも思うわけです。

もう少し言葉をスリムにすれば「抽象から具体」のアプローチということになるでしょうか。

この「なんとなく」を省く(殺す)仕事の進め方を推奨する、いやむしろ当たり前になっている組織やチームが多いのですが、上記を鑑みれば「抽象」にこそ企画のタネはあると言えるし、さらに言えば「なんとなく」を仕事の上から抹殺してしまうとリスクがあるとすら、僕自身は思っています。

リスク。

そのひとつは新しい施策が出てこないという点。面白いと思うこと、新しいものにはまだ言語化が追い付いていないものも多分にあります。しかしながら「なんとなく」が殺された現場では、発案者がその話をすると「よくわかんないから」と突っ返されます。

その繰り返しに疲弊した結果、「無難に流行っているこの企画でいいか、過去にもやって数字も出てるし」と自分の中で溜飲を下げて提案をしてしまうということが起こります。

こうして世の中から飽きられていく流れに乗ることになります。

もうひとつは炎上というリスク。企画の中では(特に世の中に発表するもの)なんとなく違和感を感じることもあります。でもその違和感はうまく言語化できないことが多い。一旦動き出したスケジュールに水を差すようなことはしたくないから、とりあえずこのままでいいか、と世の中にリリースしてしまう。

こうしてSNS上で炎上が起きる火種がまかれることになります。

飽きられること、炎上が起きること、そんなリスクが「なんとなく」をないがしろにした組織やチームに降りかかっているのだと思っています。

ではそれを防ぐために何ができるか。

とてもアナログで場当たり的で「まぁそうだろう」という答えになりますが、「なんとなく」をしっかりすくいあげるだけの風通しの良さを作ること、そしてそれをメンバー間で共有し、言語化までのアプローチを可視化できるようにすること(ここは結構体力が必要)でしかないのかなと。

そしてそれ以上に大切なのは、その言語化を促し、言語化を手伝えるだけの知性をもったリーダー・マネージャーが今一番求められているということです。

社会人経験は15年になる僕ですが、今ほどビジネスが不確実性に満ちている時期はなかったような気がしています。とてもエキサイティングなことなのではありすが、故に言葉にならないことから言葉にする技術が求められている時代とも言えると思うのです。

そんな中でOne on Oneミーティングを取り入れたり、それに類するようなコミュニケーションに力を入れているチームや企業を見ると、先述した点に自覚的でいるように思えるし、僕の見えている範囲で言えば、そういったチームが機能し、うまく自社のサービスの価値を言葉にして「外」に向けて表現しながら賛同者を集めているようにも見えるのです。なんとなく。

そういうチームをこれからも応援していきたいし、僕もそんなチームにいる人の話を聞いていきたい。




ありがとうございます。 サポートって言葉、良いですね。応援でもあって救済でもある。いただいたサポートは、誰かを引き立てたたり護ったりすることにつながるモノ・コトに費やしていきます。そしてまたnoteでそのことについて書いていければと。