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物憂げな6月の[6/20〜6/26の日記]

二日酔いって軽い風邪だと思う。
それでは今週の週報。

6/20(土)

3ヶ月ぶりくらいに散髪するため勝どきまで。
ここまでの遠出する「おでかけ」も久しぶり。移動の疲労と、髪を切った気持ちよさで帰宅後3時間も午睡をしてしまった。

いい休日。

6/21(日)

物件探し。

築10年から40年とさまざまな物件を見てきて思うのは、住宅にも「世代」はあるのではないかと感じる。

個人的に30年以上前の物件が面白い。それは過剰さはないけど、ちょっとしたオリジナリティに温かみを感じるからだ。タイルの使い方とか小窓のユニークな形とか。ただ20年前くらいの物件から「同じ物感」が増す。それはそれで安心なのだけど、どうもソワソワしてしまう

今日行った物件も僕と同い年の築年数だったけど、小窓の上半分が丸く切り取られてて可愛らしくて、そこから小庭が見えてるのが良かったし、建物のタイルの貼り方に良心みたいなものを感じた。タイルに良心を感じるって変な感覚だ。でもそういう感覚の総和が「心地良さ」なんだとも思う

夜SNS上でとある作品が絶賛されている。「これはすごい。みんな見るべき」。最近そうゆう「すごい」が刺さってこない。反射神経的な反応の連鎖を見るとどうしても一歩引いてしまうところがある。そこに乗ることが「作品を消費する」ことに加担するような気がしてしまう。

だからそうやって目の前に差し出されたものを冷静にも前のめりにも見ることができなくて、結局「刺さらない」ようになってしまう。

「作品は消費されるべきものではない」だなんて理想を掲げるつもりはない。遅かれ早かれ消費されてしまうものだという前提にすら立っている。

ただ「乗る」のが肌に合わないだけなんだと思う。それはそれで困った。「乗せなくてはいけない」立場でもあるのに。

久々に10km走ったらすごい達成感だった。身体の内側が喜んでるのがわかる。疲れたけど。いつも走る時はクラシックとかエレクトロニックをイヤホンで聴くのだけど、なぜか今日はミスチルの『アトミックハート』を聴きたくなった。「物憂げな6月」だし。

全編を久々に聴いたけど、「あれ。こんなにテンポが遅かったっけ?」と思った。ちょったモタつくような感覚すら憶えた。

音楽のテンポにも時代性はあるのかしら。

6/22(月)

仕事が多岐に渡ってくると、判断のスピードを上げる必要が出てくる。はじめは大変なのだけど、ゾーンに入ったようにこなすことができるようになってくる。

怖いのは、そこにも慣性の法則は効いてしまうことで、判断のスピードアップは、熟考する時間を自ら遠のけ、目の前の諸問題を「オールオアナッシング」の思考で切るようにこなしていくようになるってしまう。こねなきゃいけない問題をバッサリと切ってしまう。

この「判断の快楽」には注意が必要だと改めて思う。やりとりをないがしろにし、粘りが効かなくなり最終的なクオリティや人間関係に落とし穴が待ってるから。

6/23(火)

マネジメントについて考えていた。

徹頭徹尾行動を監視し、重箱の隅をつつきながら監視(マイクロマネジメント)するのか、バッターボックスに立たせバットを振らせ、結果空振りしても「ありがとう」と伝え、次のアクションに期待をかけるのか。

どちらの方がビジネスマンとして成長するかは、両方経験した身としては、圧倒的に後者だと思っているのだけど、ひとつ付け加えなくてはいけないのは、マネージャーは、マネジメントされる側がどんなにバットを振っても「追いつけない境地にいる」と思わせることなのかなと。それがないと「甘え」と「自由」を履き違えてしまう。そうなってしまえばマネジメントする側もされる側も不幸が待っている。

要は、マネージャーこそ走り続けなくてはいけないということ。実はマクロマネジメントの方がタフなんだとは思ったり。でもそちらの方が未来は明るいよな、とも思ったり。

6/24(水)

先日とある部門の方から相談を受けた。その方の話を聞いて頭を抱えてしまった。それは彼の話が、彼の立ち位置としての「やらなくてはいけないこと」が前面に立ち過ぎて、主体的に「やりたい」と思っていることが伝わってこなかったからだ。

資料としての体裁は整っているのだけど、いまいちぼんやりしていて、彼が本当にやりたいことなのかもわからなかった。

どうしたものかと悩み、僕は彼にひとつのお願いをした。この仕事をドキュメンタリー仕立てにした場合、そのイントロダクションとなる文章を書いてみてください、と。

誰かを動かすために必要なのは、その人自身が持つ熱量を言葉にすることと、客観的に見てワクワクする魅力をわかりやすく並べることの両面で、それはいわゆる「フレーム」に当てはめるだけでは出てこないことがある。

それから1週間経って、今日彼からメールが来た。

熱量のこもった彼自身の言葉としての「やりたいこと」と、丁寧に調査された結果得ることのできた、その仕事における「魅力」が並んでいた。

それを見て、ようやくこの仕事の全体像がクッキリとしたものになった。「いける」と思った。いいものにしよう。

6/25(木)

午後久しぶりに出社した。3ヶ月ぶりに会うメンバーと、今僕が抱えている仕事の次のアクションについてブレストをする時間をとった。

ひとつのアイデアを出す時のその人から発せられる空気のようなものに纏う熱量やニュアンスが、隣の人にインスピレーションを与え新しいアイデアが出る。

その間の聞いてる人の間合いは息遣いで「刺さっているか」がわかる。その空気が全体を前向きにさせるのか、議論はまた熱量を帯びる。

対面している安心感から出る「脇道」。その脇道に新しいヒントが眠っている。とかく大きな組織で資産が山のように積もっているならなおさら、その脇道は大きな役割を持つ。

リモートになり、オンラインで仕事をするようになって不足したもののひとつが露呈したし、「面と向かう役割」も見えてきた。

6/26(金)

午後出社し、今日もじっくりとアイデア出しをした。ひとつの方向にだんだんと向かっていく気持ちよさをその場にいた全員が感じているのがわかるような、いい議論になった。

リアルに会って話をすることの希少性が上がるからか、その場に対する熱量は以前よりも上がっているようにも思う。

リアルとオンラインをうまく掛け合わせていくやり方が少しずつ見えてきたようにも思う。

そのままメンバーと久しぶりに外で酒を飲んだ。やはりリアルな乾杯は嬉しい。距離の縮まった心地よさ(と酔い)を引きずりながら帰宅。

ありがとうございます。 サポートって言葉、良いですね。応援でもあって救済でもある。いただいたサポートは、誰かを引き立てたたり護ったりすることにつながるモノ・コトに費やしていきます。そしてまたnoteでそのことについて書いていければと。