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コンプレックスのお陰で [6/6〜6/12の日記]

12週続いたこちらの日記。
以前よりも仕事の内容の割合が増えてきている。少しずつ日常を取り戻しつつある。

それでは今週の週報。

6/6(土)

物件探しを再開することにした。今住んでいる場所も目の前が大きい公園で穏やかに時間を過ごすという意味では大きな問題はないのだけれど、いわゆる「街」を感じられず楽しさが少ない。もう少し街が近接している場所にしようというわけだ。

今日内見に行った場所は少し物足りなかった。街としてはいいのだけれど。改めてなにがマイナス点だったかを挙げ出してみると数ヶ月前とは少し選ぶポイントが変わってきていることに気づく。

中華屋、パン屋、コーヒー屋などの小商いをしているお店が並ぶ安心感を求める反面(ここは変わっていない)、大きなスーパーも求めてるようになり、カフェなど寛ぐ場所への興味は薄くなりリビングの広さが大事な点になった。

要は家で過ごす時間を整えたいという欲が強くなっているということだ。カフェなんて、少し前は必須の条件だったのに、コロナは住まう心理すら変えてしまった

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物件内見にいった街でカレーを食べ、ドイツソーセージとドイツビールを売っている肉屋さんでソーセージとビールを買って帰宅。こういう楽しみがこれから僕が住む街に必要だ。

6/7(日)

昨日買ったソーセージもビールも本当に美味しかった。

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さして何もしない日曜日だった。
本読んだりギター弾いたり。

6/8(月)

新しい企画をスタートした。

メディア運営の楽しい部分でもありしんどい部分でもあるのは、こうして新しい記事を出したときの反応がハッキリとわかることだ。今日もひたすらSNSを追いかけては反応を見ていた。こんなことだから記事公開日はほとんど仕事にならない。

反応が出なければ自分のセンスのなさを責めるし反応がよければ少し有頂天になったりする。記事は僕一人で作るものではないのだけれど、やはり発起人としての重みは感じる。胃が痛くなる瞬間だ。

滑り出しは上々の反応だった。寄稿していただいた方にも企画を一緒に作り上げたメンバーにも感謝。

6/9(火)

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今日も昨日の記事の反響を追いかけるような1日だった。
とは言え新しい企画は続いていく。来週以降また忙しくなりそうだ。

6/10(水)

今月も眼鏡屋さんのコラムを公開できた。

人は知らず知らずのうちに、相手を斟酌したつもりの身勝手な「思いやり」をかけてしまうことがある。「彼(彼女)はこう思っているはずだ」の思い込みが対話を断絶させ、余計に関係がこじれてしまうことだってある。
身勝手な思いやりを捨て、対話を試みてみること、そしてその方法に歴史や専門家の声(時にインターネット)を頼ることは、結果はどうあれ「ひとつ前に進める」には大事なのではないか、そんな基本的な社会人としての姿勢を猫は教えてくれた(大袈裟すぎる気付きかもしれない)。

夕方友人からメロンのお裾分けをもらうためにでかける。数分だけ話し、メロンをもらって帰路につく。

最寄りの駅近くの公園の伝染には椋鳥の群れ。
椋鳥の群れがくるときはその年は「大雨の災害はない」という言い伝えがあるというのを、小学生の頃何かの本で読んだのを思い出した。

昨日やっていた仕事なんかすぐに忘れてしまうのにこういうことは憶えているもの。不思議だ。

電線にとまる椋鳥を見上げていたら夕焼けが綺麗なことに気づく。思わず写真を撮る。

家に帰りSNSにあげれば同じような人がちらほらと。「同じ時間を共有している実感」は嬉しいもの。先日上空を駆け抜けたブルーインパルスや同時刻に全国で上がった花火なんかが胸にくるのは(僕は両方とも見ていないけれど)、そうゆうことなんだろう。

夜は小沢健二さんのライブ配信を聞く。黒人問題について。「考えは変えるために考える」と強い口調で話されていたのが印象に残っている。

歴史や現地の生の声に触れることは、自分の中で積み上げた思い込みがガラガラと音を立てて崩れていく気持ちになる。ちょっと恐ろしさはあるのだけれど、そういうことを肯定しないと未来は変わっていかないんだろうなと、ざっくりとした感覚が残った。

6/11(木)

なぜかふとコンプレックスについて考えていた。そして僕はコンプレックスと向き合っては逃げてを繰り返して今があるんだということにも気づいた。

大学生の頃にimode(世代…)がリリースされて、簡易的な掲示板のようなものも乱立し始めるのを体験していた。ただ僕はいわゆるインターネットを介した「簡易的な」コミュニケーションはすごく苦手だった。

それでもなんとなく、この世界には足を突っ込まなくてはいけないのではないか、という気持ちがあったのだろう(たぶん)。新卒で入社した会社はweb制作会社だった。

そこではインターネット広告の営業をやっていた。僕は子供の頃から電話が本当に苦手で、出足は最悪だった。なぜあいつはクライアントにホイホイと土足で上がるような神経の太い営業ができるんだろう、なぜそれで売り上げた立っているんだろう。コンプレックスだった。

慣れない営業を6年つづけ、それなりに成果を上げて転職。2社目は出版社だった。なんでそんなにいろんな人と知り合いなの?なんでそんなに世の中のこと知ってるの?と一生かかっても追いつけない知識量の前に愕然とした。コンプレックスだった。

現職でもコンプレックスを抱えている。その地頭の良さはなんなの?どれだけ大局で物を考えられるの?どれだけ英語ペラペラなの?どれだけ研究してるの?など…

ひとつ新しいことをするたびにコンプレックスが増えていく。それでもそのコンプレックスのお陰で「やれることがある」と思わせてくれる。

コンプレックスを感じられなくなった時、たぶんその時が成長の踊り場なんだと思う。そしてコンプレックスを感じられる場所を避けるようになったら引退しようと思う。

そんなことをぼんやり考えた1日だった。
仕事はそこそこ忙しかった気がするのだけど。

6/12(金)

沖縄が梅雨明けしたらしい。夏はそこまで来ている。たしかに暑い。日中少し外を歩くだけで汗が滲む。

午前中はチームメンバーの2時間みっちりブレスト。制約の中で最適解を出す気持ちよさもあるけど、制約を越えて理想を掲げ合う場も必要だと改めて。

夜SNSをひらけば、以前僕が仕事で書いた記事が批判されていた。思うところもあるから「まぁそう考える人はいるよな」と思った。

誰かがやった物事に対する批判の内容は大抵、すでに当人は考え尽くして通った「点」であることの方が多い。「わかります。それは考えました」という感想しか出てこない。

僕が誰かが行った仕事の成果物に対してSNS上などで批判を口外しないのは(身内ではする。それはそういった批判対象を一緒に見ることで自分たちのアクションを考える研究対象になりうるから)、文脈を知らずに振り上げた批判は大抵「間が抜けてしまうこと」がわかるからだ。何より、自身が毎日のように胃の痛くなる思いで世の中に対峙していたら、誰かがやったことをぬけぬけと批判などできない。

とはいえ、僕自身も批判を口外していた時期もあった。ただ振り返るとそういう時は大抵手元にボールがない時だった。そして批判は同意を得やすい。そうして不満の隠れ蓑ののような言葉に合意をしたフォロワーが集まってくる、それがまた気持ち良くなってくる、という悪循環をしている時もあった。今思うととても恥ずかしい。

言えるのは、身も蓋もないけれど、何事も経験ということだ。



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