#2 「水族館」
僕は、極端に”恋愛経験”が少ない。
いわゆる”恋”(新海監督の言うところの「孤悲」)というものは学生の頃から嫌というほど経験してきているが、どれも進展無く終わってしまうので、付き合ったり同棲したりといったいわゆる”恋愛経験”は皆無と言っていい。
だからこそ昔から、ベタなデートへの強い憧れがある。それは例えばお揃いの服を着てテーマパークに行くだとか、温泉旅行に行くとか、海で遊ぶとか、ドライブで夜景のきれいなスポットに行くとか、スワンボートで池を一周するとか。まあスワンボートに乗ってくれる人などなかなかいないだろうが。
水族館デートもその一つだ。
水槽に入った魚を見て、ペンギンを見て、イルカを見て、魚を見て…
いや待て、これ本当に楽しいのか?
慣れないデートでただでさえ緊張しているのに、ただ魚が泳ぐ様を観て楽しむことができるのだろうか…
にしてもさっきから、デート、デートと連呼していることに我ながら寒気がする。こうやって、普段抑えている自分の隠れた願望を思い知らされる瞬間は、なんとも不快だ。
その日も、僕が5分ほど遅刻し、謝りながら歩き始めるところから一日がスタートした。うん、平常運転だ。申し訳ありません。
正直言うと、僕は水族館そのものにさほど魅力を感じていないわけだが、先月、ペンギンの赤ちゃんが誕生したというニュースを見た彼女たっての希望で、今回のデート先をすみだ水族館に決めた。
水族館から近いということで、午前中は浅草寺付近を散策した。「せっかくだから食べ歩きがしたい」という話になったが、僕は、緊張してあまり食欲がなかったので、何も食べなかった。
彼女も、「朝ごはん食べ過ぎたから食欲ない」とのことだったが、それにしては人形焼き、揚げ饅頭、手焼きせんべいと常に何かしら食べていた。見かねて少しあきれた視線を送ると、「何か言いたいことあるの?」と強めの視線を送られたので、僕はすぐに視線を逸らす。
それから昼食を済ませ、歩いてすみだ水族館のあるスカイツリーまで向かった。地図上ではさほど距離もないと思っていたが、歩くと存外時間がかかる。彼女に申し訳ないなと思いつつ、左側に目をやると、楽しそうにお気に入りのフィルムカメラを構えていた。たまにはこういうのも良いか。
ようやく到着すると、館内はさほど混んでいなかった。なんだかんだ浅草寺のあたりでゆっくりしてしまったので、時計は17時を回っていた。
水族館なんて久しぶりに訪れたが、思いのほか夢中になる仕掛けばかりで驚かされた。水槽と一口に言っても様々な形状があり、全体的に暗いからこそ照明に遊び心を加えているなど、飽きさせない工夫が目白押しだった。
特にあのペンギンの展示はすごく面白かった。とても広い飼育スペースに数えきれないほどのペンギンたちが暮らしていて、それぞれに個性や人間関係(強いて言うなら「ペンギン関係」)があることを、ボードにうまく相関図でまとめて紹介していた。
綺麗にまとめられた図を見ると興奮してしまう、特殊な性癖を持つ僕は、ボードを見ながら10分、いやもう少し長く、あーだこーだと彼女に話しかけ続けていた。彼女は僕の話を聞いている間、いつにも増して穏やかな表情をしていたが、恐らくあれは話し半分に聞いていただけだろう。
彼女は彼女で、お目当てのペンギンの赤ちゃんを見つけた時、他にも変わった生き物を見つけるたびに、いろんな言い方の「かわいい」を連呼していた。
あと、クラゲの展示。360度をクラゲの泳ぐ水槽に囲まれ、ところどころ淡い光が差す、そんな幻想的な雰囲気に包まれた彼女はまるで
まあそれはいいか。大切な、宝石のような思い出だから、胸にしまっておくことにする。
ペンギンの水槽には、オットセイも一緒に暮らしていた。
アシカとオットセイはとても似た容姿をしている。二つを見分けるには、オットセイの方が毛の量が多く、前ヒレが長いことに注目すると良いらしい。
まあ日本にいる限り野生のアシカとオットセイなんて見ることないだろうから、違いなど見分けられずとも、水槽の前の説明を見れば一目で見分けがつくわけだが。そういう冷めた意見は、それこそ胸にしまっておく。
そんなことを考えていると、隣で彼女がひどく真剣なまなざしでオットセイを見つめていた。気になって声をかけてみると、
「なんかあんな感じのお笑い芸人いなかったっけ、叫びながら漫才する…」
「もしかして、トムブラウンのこと?」
「あーそう!トムブラウンのみちおっていう人に似てる!!」
なるほど、言われてみれば似てる気がする、何だか全体的に(頭が)丸っとした感じや、目が細くなって線みたいになるところとか。
想像したら可笑しくて、二人でクスクス笑ってしまった。
「言われてみれば隣の布川さんはアシカみたいだよね、よりシュッとした感じで」
あー分かる!と言いながら彼女はさらに笑った。オットセイを見ながらゲラゲラ笑っているのだから、傍から見ればおかしな二人だろう。(トムブラウンさんごめんなさい)
それから水族館を後にして、夕食は、併設されているソラマチの中のイタリアンでとることにした。本当はスカイツリーの展望台に行きたかったのだが、時間もあまりないので次の機会にしようということになった。
彼女を見送った後の帰りの電車で、僕はまたオットセイのくだりを思い出し笑ってしまった。これからテレビでトムブラウンのお二人を見かけるたびに、きっと笑ってしまう。(もちろんネタが面白いからだけども、重ね重ねすみません)
結論から言えば、水族館自体はとても楽しい。はっきり言ってなめていた。水族館の関係者の皆様申し訳ありませんでした。(何だか今日は謝ってばかりだ)
でも、それ以上に、彼女と一緒ならどこに行っても幸せな時間だと、改めて思う。
今日だってそうだ。何か面白いものがありそうと入った裏路地には何もなかったし、歩いて向かうには浅草寺ースカイツリー間は意外と長かった。チケットの列に並ぶ間も別にやることはない。
でも、二人でいれば、何となく会話が生まれて、何となくふざけあって、それだけで雑多な景色もカラフルに感じる。少し前までの自分は知らなかった感覚だ。
この関係がずっと続くには、宝物みたいな彼女が幸せでいるためには、今の自分に何ができるだろうか。
緩んだ頬にも気づかない間抜けな僕を乗せて、半蔵門線は軌道を走る。
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