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お城



僕は存外、単純な人間で、それまで嫌いだった人のことも、優しくされるとすぐに好きになる。

その反面、一度好きになったり慕った人への評価は、あまりにひどいことが無い限り揺るがない。

いつか人に騙されそうだから気を付けようと思う。

何ならそこのあなた、僕が危なかったら指摘してほしい。あなたがデッドラインというわけです。




そんな感じで単純な僕は、思い出に対する捉え方もコロコロ変わる。


例えば、中学の時、相性の悪かった友達への印象は、悪い思い出というカテゴリからずっと抜け出せなかった。

だけど、1年ほど前その子と飲みに行ったら、話してみると良いやつで、そいつに仕事を押し付けられたことも、しつこくからかわれたことも、何となく、なんとなく良い思い出になってしまった。

ただ、その後よくわかんないけどまた揉めて、そいつの印象はまた悪くなったんだけども。(案外、好きになったから嫌いにならないってわけじゃないのか)





たまに、小学校、中学、高校のことを思い出すと、全体的に灰色がかっているような感覚を覚える。

楽しかった、多分。良い思い出もたくさんあったような気がする。だが、辻堂ゆめさんの『あなたのいない記憶』を読んでから、自分の記憶と、実際に起きた出来事整合性がとれているのか、自信が持てない。

あと、元来の悲観的な性格のせいか、悪い記憶ばかり呼び起こされる。中学の修学旅行で大勢の前で叱りつけられた時とか、高校の体育祭で振られたこととか。

書道の授業!とか、受験期に隠れてボーリング行った日!みたくスポットであれは、良い思い出だったな~とはなるのだけど、俯瞰して見ようとすると、くすんだ靄がかかっているようで、なんだか悲しい気持ちになる。



そんな過去への仄暗いイメージに引っ張られて、次第に昔からの友人と距離をとろうとしてしまう自分もいる。

大学生になってからも遊ぶような人とは、今さらそんなことないけど、中学の時、高校の時は普通に話せたのに、今話そうとするとぎこちなくなってしまう人が一定数、いや、正直かなりいると思う。







今日は高校時代のクラスの人たちとのzoom飲みがあった。


出欠時は参加できない理由があり、まあ急遽それが吹っ飛んで参加できるようになったわけだが、欠席と伝えていた。

だが、実は、欠席の理由はそれだけではなかった。どこかで、高校時代ってあんまり楽しくなかったかもしれないという、灰色のイメージに引っ張られてしまった部分があったのだ。



そして今日、夕食を終えてうたた寝していた僕のもとに、「今やってるから」と、zoom飲み会へのお誘いのLINEが届いた。

元々参加しないと決め込んでいたわけだが、心地よい満腹感と寝ぼけた頭で気分が良かった僕は、深く考えず、参加することにした。(誘ってもらって嬉しかったのも、正直、ある




結論、楽しかった。参加してよかった。

私的なことなので内容はもちろん伏せるが、普段会えない人たちの近況やらが知れてよかった。まあこんなご時世だから、友達の安否が確認できるだけでも嬉しい気持ちになったりする




zoomが終わり、今日のnoteを書くためにPCを開く。(PCのカメラがガバガバなのでzoomにはいつもスマホを使う)

何を書こうか考えて部屋の中を見回していると、ふと、壁にかかった、高2の文化祭の時の写真が目に留まった。



アニメや漫画なんかの、青春ど真ん中な文化祭に憧れて、クラスの文化祭係に立候補した私だったが、やってみるとうまくいかないことばかりで、正直、思い出として良いものばかりではなかった


だが、久しぶりに高校時代の友達と話したら、やはり単純な僕なので、今日楽しかったという記憶が、あの頃の思い出までも肯定してくれたように感じて、とても温かい気持ちなった。

まあ、思い出なんて「黒歴史ばっか」って思うより、「良い日々だった楽しかった」と思えるほうが良いだろう。




もう少し、中学高校の友達や、大学入ってから知り合ったけどしばらく連絡取ってない人なんかと遊んでみるか。

それが暗い過去になるか楽しい思い出になるか、つまるところ自分次第だ




高2の時の文化祭で、僕らのクラスはでっかいお城を作った。それはもう僕らの背丈より高いくらいの、

段ボールを切って、白のペンキを塗り、組み立てた力作だ。

それ以外にじゃがバターを売ると決めるのには、かなり時間がかかったが、お城を作る手は、夏休みも、修学旅行先のホテルでも、止まることがなかった。



まあお城づくりを引っ張ってたのは僕じゃないので、自分の手柄みたいに言うつもりはさらさら無いのだけれど。



写真の中のお城は、誇らしげに輝いている。



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