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独自性は大事、でも他者から浮くのも嫌??パースペクティブ・テーキングという考え方

立教LDCでの学びログ_2020.06.14

日頃はなかなか読もうとしない論文や書籍に目を通すというのも面白いものですね。大学の授業で参考文献として紹介されたパースペクティブ・テーキングに関する以下の論文を読んでみました。

平田万里子(2009)「パースペクティブ・テイキング行為に関する研究-独自性欲求との関連から-」『立教大学心理学研究』(51)、立教大学

パースペクティブ・テイキング(Perspective Taking:以下PT)とは、著者がまとめている先行研究から定義をそのまま記載しますと「優勢で自動的、自己中心的な視点を離れ、それとは別の視点から出来事、他者、自己を眺め理解する認識作用」(58頁)です。専門の方からは怒られそうですが、ざっくり言えば「他者の視点に立って見る」ということでしょう。

独自性と共通性のディレンマ

当たり前ではありますが、私たち個人は他者と異なります。このように、自己と他者とが異なるという感覚のことを自己差異性と言います。こうした「自分は他者とは異なる独自な存在でありたい」という独自性欲求(57頁)を私たちは本来持つようです。

しかし、私たちは独自性を求めながらも、それが過ぎると他者から理解されないというディレンマに直面します。つまり、ほどほどの差異性という絶妙なスポットを狙うわけです。その際に他者の視点を意識するためにパースペクティブ・テイキングを私たちは行います。

独自性欲求が高い場合は他者との共通性は出発地点

本論考が興味深いのは、ほどほどの差異性を目指す上で、その人の独自性欲求の高低によってその方策が異なることを明らかにした点です。

「自分は他者とは違う!」と思うタイプの人は、出る杭にならないように自己制御するために他者を意識します。つまり、パースペクティブ・テイキングによって自分自身の独自性をコントロールし、他の人にわかってもらうように行動します。他者という存在は、独自性を発揮するための出発地点というわけです。

独自性欲求が低い場合は他者との共通性がゴール

他方で、目立ちたくないタイプの人は、自分自身が他者と同じになろうとして、パースペクティブ・テイキングを行います。他者と同じように行動しようとし、他者と同じようなものを買うことで、同質的になろうと目指します。つまり、他者という存在は、自分自身がそこに同化しようとする到着地点です。

考えたこと

日本社会では「空気を読む」という言葉がよく使われます。今の時代でも浸透している言葉でしょう。しかし、その意味合いは変わってきているのではないでしょうか。

以前は、他者と同じであることをゴールとする、いわば「一億総中流」を目指す社会でした。多くの他者と同じであろうとするために空気を読みます。これは独自性欲求が低い状態が多数派であった状況です。

他方で、現代は多様な社会と言われます。独自性欲求が高い人も増えてきていると言えそうです。このような状況では、自身の独自性を見出すために空気を読むという行為が増えます。たとえば、自身を社会へと開くためにSNSでの発言を調整するのもその典型例ではないでしょうか。

【今週の一冊】
『隠れた人材価値』(オライリー,フェファー、翔泳社、2002年)

企業理念からバリューへの落とし込みについて考えてまして、久々に読み直したのが本書。改めて読むと、感慨深かった書籍なのですが、思いのほか記憶違いのところも多く勉強になりました。


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