ゲームを作りたい

ゲームを作りたい。

主にTwitterとかで活動しているビジネス系に強い動画クリエイターという印象のある僕ですが
今年はそのポジションを抜けようと踠いている。
まあ映像?動画?を作ることは続けてもいいなと思っているのだけど、この界隈の映像を一手に引き受ける役目は誰かに引き継いで欲しいなーと思っている。

もともと映画がめっちゃ好きなわけでもないし、なにか思い入れがあるわけでもない。映像をやりはじめた理由とかやってる理屈とかいくらでも話せるけどそれらは所詮インタープリターが勝手に紡いだストーリーとロジックで、僕の中に強烈な想いがあるわけではないのだ。

それで最近は、ゲームを作りたいなと思うようになった。
ゲームが好きなので……。

じゃあどういうゲームを作りたいの?ということをここのところずーっと頭の中でフワフワと考えているんだけど、
頭の中で転がしているだけではいつまでも形になってくれないので、
別に何もまだ具体的なことは浮かんでないんだけど、それすらもnoteとかにしたらいいのかもって思ったのでこのエントリを書いております。
アウトプットして公開することで、研ぎ澄まされる作戦だ。

ゲームの話とは逸れるが、数年前から僕はずーっと「自我」について考えている。
自我ってそもそもなんなんだろう?と思って脳科学や進化心理学の本を読んだり、
自我という意味の言葉を胸にタトゥーとして彫ったりしているのだけど、
カナダから東京に帰ってきて、特に自我について考える時間が多くなった。

というのも、東京にいると自我が揺らぐ感覚があるからだ。
歩いている人たちの自我もみんな揺らいでいるように見える。なんというか、その洗練されたオシャレな見た目とは裏腹に、存在が希薄だ。

ふだん僕の歩いてる場所が渋谷とか新宿だからかもしれないが、
みんな自分がどういう人間であるかとか、うまく表現できないけど「価値ある人間ですよ」ということを必死にアピールしている、というか自分に言い聞かせている、みたいな感覚を覚える。

みんな何者かになろうとしてる。でもそれって自我の揺らぎだ。

インフルエンサーを追って彼らの思考法やスタイルを取り入れたり、何かの思想に染まろうとする。それは悪いことじゃない。
かといって染まりきってしまえばそれは自分自身ではなくなる。人類補完計画みたいなもので、形を保っていた自我がドロドロに液状化し、他と同一になってしまうのだ。海水の一部分に名前をつけることが不可能であるように、液状化してしまったものはもう自我としての機能を果たせない。

でも自我の形を保ったまま、自分自身として生きることはとても大変なことで、
自分が自分だからこそ痛いし苦しいし、生きることが辛いし、いっそ自分が自分以外の何かになれれば、苦しみから逃れられるのにとすら思う。
それでも自分のコトワリは譲れない。それが人だ。だから揺らぐ。

僕はそんな今の世の中で、足を踏ん張って自我を強力に保ち、足掻いている人のことがもうどうしようもなく大好きなのだけれど、
そういったことをテーマにしたゲームのシナリオや企画を作れないかなーと今はめっちゃ考えています。

どうしたらいいんだろうなあー。

例えばアンドロイドのような自我を全く持たない主人公が自我を得ていくストーリーとか?これはやり尽くされた話だな。

自我を数値化して、それをどうこうするゲームとか…?

マイケル・S. ガザニガ の著書「〈わたし〉はどこにあるのか」によると
自我というのは他者との関わり合いの中で生まれるものらしいので、そういう他者との関係性から自我を作っていくソシャゲとか…?これは設計が難しそうだが…。

全然考えがまとまらねえ〜。
でもゲーム作りたいのでがんばります。

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社会のルールは守らないが自分のルールは絶対です。
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