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ヴィレッジ

藤井道人監督の長編映画としては前作にあたる「余命10年」は興収30億円を記録する大ヒット作品となった。というか、藤井作品で興収10億円を突破したのは同作だけだ。そして、同作ほどの規模で公開された作品もそれまではなかった。

ちなみにそれ以前の4作品を並べてみるとこんな感じだ。

「デイアンドナイト」
「新聞記者」
「宇宙でいちばんあかるい屋根」
「ヤクザと家族 The Family」

日本アカデミーの最優秀作品賞を受賞した「新聞記者」を筆頭に左翼思想・政権批判思想の入った社会派作品だらけだ。

つまり、作風の点から見ても「余命10年」は異例の作品ということになる。
もっとも、本人は熱心にテレビニュースを見たり、新聞を読んだりするタイプではないらしいので、たまたま、左寄りの作品のオファーが続いただけってことなんだろうね。
だから、「余命10年」のようなシネフィルが興味を持たないような題材の作品でもオファーを受ければ監督するってことなのかな。

そんな、いつもとは違う路線でヒットした「余命10年」に続く本作は、通常営業に戻った自称・社会派路線だ。

とはいえ、予告編に騙されてしまったという感じだった。

予告を見る限りでは、怪しげな祭りの様子を見せながら、“この村やばい”とか“犯罪者の息子”といった感じのキーワードが出てくるので、てっきり、カルト教団に洗脳された村の話なのかと思ってしまった。要は「ミッドサマー」とか、最近、清水崇が東映で撮っている村もの・島ものみたいなやつ。

年が明けてから、岸田政権もマスコミもまるで、統一教会問題なんてなかったかのように統一教会批判をやめてしまい、一時期はエホバの証人叩きにシフトしたりもしたが、それもすぐにやめ、気付けば新興宗教・カルト教団問題が忘れ去られかけるようになってしまった。

統一地方選で自民が票を得るためには宗教票が必要だし、宗教問題を突き詰めていけば、自民と連立政権を組む公明の支持母体である創価学会の否定につながるから、やっているフリをすることすらやめざるを得なかったってことなのだろうか。

なので、2022年のうちに公開されていれば非常にタイムリーだったのに、4月公開、しかも、統一地方選の時期であるためにマスコミが特定の政党の批判につながるような新興宗教ネタの映画のプロモーションには協力できないから、完全に旬を逃した映画になってしまったかなと思い込んでしまっていた。

でも、実際は環境に優しいごみ処理場をうたっておきながら、村役場とヤクザが裏でつながっていて、そこで不法投棄をして儲けているという話だった…。

しかも、ステレオタイプのごとく、その処理場で働いているのはワケありの者ばかり。
主人公は犯罪者の息子という理由でまともな職に就けず汚れ仕事をやっているという設定だし、母親はギャンブル依存症、村人は主人公の陰口を本人に聞こえるように言うし、同僚は主人公をいじめるしとテンプレだらけ。

さらに、話が進むと、この村では処理場の建設計画が発表された当初は反対派も多かったものの、結局、長いものに巻かれて賛成派になびいていき、反対派は主人公の父親など少数になってしまったことが明らかになる。そして、村八分にあい、ガマンできなくなった父親は過度の反撃をしてしまったということが提示される。

この辺の展開は、東京五輪にあれだけ反対していたのに、いざ始まると、“感動をありがとう!”とか言い出す日本人に対する皮肉が効いているし、みんなと同じでいいやという理由で自民党に投票する人たちへの批判にもつながっていて、「新聞記者」など左寄りの思想の作品で知られる藤井道人らしいという感じではあった。

犯罪者の息子というだけで人権がなくなるのは、ヤクザにだって人権があると訴えた「ヤクザと家族」にも通じるメッセージだろうか。

個人的には、ヤクザは反社会的な存在で世間に害を与えているのだから人権なんて与える必要はないし、犯罪者の子どもだって犯罪者が違法行為で得た金品で生活していたんだから責められて当然だとは思うが、左の連中はやたらと犯罪者の人権を守れと言うんだよね。そのくせ、右の政治家の汚職追及はしつこいんだからダブルスタンダードもいいところ。どちらも問題視しろよって思う。

そして、終盤になるとはっきりとは明かされていないものの、主人公の父親は処理場建設を進める上で邪魔な存在だったから、村長を筆頭にした村人やヤクザたちにワナにはめられて犯罪者に仕立て上げられた(その上で死に追いやられた?)ようなことが示唆される。

結局、ほとんどの村人がグルだし、主人公もそうだけれど被害者側だったはずの人間もいつの間にか悪事に加担するようになっているし、主人公に救済の手を差し伸べた幼なじみの女性ですら自分をレイプしようとした別の幼なじみを殺害している。そして、主人公ですら金のためとはいえ不法投棄に加担していたし、自分の地位が向上してからは幼なじみの女性の弟を脅したり、不祥事を隠蔽したりするし、挙げ句の果てには父親の恨みもあり村長まで殺害してしまう。

数少ない良識派といえば村長の弟をはじめとする警察と、村長の寝たきりの母親、そして、真実を警察に告げた幼なじみの弟くらいだろうか。

本当、胸くそ悪い作品だ。

というか、村ぐるみで悪事を働いているのに警察が良識派で、この処理場関係者を素早く取り締まっているのも謎だ。普通、ここまで村ぐるみなら警察も真実をもみ消すのでは?

やっぱり、リアリティないよね。ニュースを見ない、新聞を読まない人に社会派気取りの映画を作らせてはダメだよ。
マスコミの描き方もテンプレだしね。それから、ニュース番組で“今日”のことを“本日”と言ったりはしないし、ワイドショーの生中継で現場ディレクターが“カット”と言ったりはしないよ!藤井道人は映画のことしか知らないんだろうね。

あと、作中にたびたび、能が出てきたけれど、もう少しこれを効果的に使えなかったのかという気もしたかな。それこそ、ベタだけれど、不法投棄していた連中の素性を明かさないために能面をつけさせるとかね。

そういえば、昔、能の取材をした時に演者のアップを取るなと関係者に言われたことを思い出した。
能は面だけでなく全身で表現しているから特定箇所だけを見せるなというのがその理由なんだけれど、舞台なら観客はステージ全体が視野に入っているからその理屈も通じるが、カメラで撮影した映像だと、特にテレビ画面で見たりすると小さくなってしまうから、ずっとフルショットでは何が映っているか分からないんだよね。だから、アップでも見せる必要がある。それが能の関係者には理解できないんだろうね。そういう古い固定観念にとらわれている業界に未来はないよと正直思ったかな。まぁ、四半世紀ほど前の話なので、今は多少は意識改革されているのかも知れないけれどね。本作でもアップで映っているシーンがあったからね。

そういえば、藤井道人のはやくも登場する次回作「最後まで行く」の予告編だけれど、普通、映画の予告編で監督名につく枕詞的な代表作には賞レースを席巻したような作品を入れるのにこの作品の予告では「新聞記者」のタイトルが入っていなかったのは、ネトウヨのご機嫌を損ねると映画はヒットしないという配慮かな?

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