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銀英伝をテーマにいろんなことを考えてみた4~常識人という役回り~

前回までのお話

今までの銀英伝記事では、作中によくでてくる頻出ワードの解説を行ってきた。暦のお話、軍の階級のお話。今回からは、僕が銀英伝を愛でている中で非常に興味をもった人物たちに焦点を当てながら、現代社会への教訓になりうるものを導き出していこうと思う。

天才を補佐する平凡参謀長

銀英伝には2人の天才が登場する。「常勝の天才」ことラインハルト・フォン・ローエングラム。そして「不敗の魔術師」ことヤン・ウェンリー。両者ともその軍事面における才能は、まさに「智謀湧くが如し」である。

そして2人ともその驚くべき才覚を活かし、大軍の指揮官として活躍している。ラインハルトは宇宙艦隊司令長官、帝国軍最高司令官を歴任し、最終的には銀河帝国皇帝として軍を指揮統率した。

ヤンも初登場時こそ、その作戦立案能力を買われて幕僚として司令官を補佐するポジションだったものの、その後は第13艦隊初代司令官、イゼルローン駐留艦隊司令官(兼イゼルローン要塞司令官)、同盟軍の事実上の最高司令官として強大な銀河帝国軍と戦った。

ラインハルトはもはや戦術・戦略上の補佐・助言を必要としないほどの軍事の天才である。しかし彼の幕僚・参謀となったものは、ラインハルトに負けず劣らずの、軍事・戦略の俊英が揃っている。

ラインハルトの副官でありその分身とも言えるジークフリード・キルヒアイス、宇宙艦隊参謀長を経て主に謀略・政略面での補佐役であるパウル・フォン・オーベルシュタイン、ラインハルトの皇帝就任後に統帥本部総長(帝国軍の作戦立案・指導の最高責任者)となったオスカー・フォン・ロイエンタール。どれも逸材である。

しかし面白いことに、ヤンを支える参謀長は今出てきた俊英たちとは少し違う特徴をもっている。すなわち「極めて平凡」であるという特徴が。そしてこの人物こそ、おそらく僕たちが多くのことを学び実生活に活かせる教訓にあふれている。

不敗の魔術師を支える「歩く叱言」

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『銀河英雄伝説Die Neue These 』 ©田中芳樹松竹・Production I.G

「不敗の魔術師」ヤンを支えるのはこの人物、ムライ。本伝では、ヤンが第13艦隊の司令官となったのち、艦隊の参謀長として初登場している(階級は准将)。その後もヤン司令官のもと参謀長としてつきしたがい続け、最終的には中将にまで登っている。

でどんな人物かというと、一言で言うならば「事務処理能力の高い、常識論を掲げ、秩序を重んじる、口うるさい中年」とでも言えるだろうか。毒舌と皮肉が満載のヤン艦隊幹部(アッテンボローやポプラン)からは「歩く叱言」と影で言われているような人間だ。

こういうタイプの人間、だいたい組織の中に1人ぐらいいるのではないだろうか?そんな気難しいムライ参謀長の様子がよくわかる場面を1つ引用しよう。

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『銀河英雄伝説Die Neue These 』 ©田中芳樹松竹・Production I.G

こちらは銀河帝国軍で名将の誉れが高いウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ上級大将。メルカッツは帝国内でラインハルトと門閥貴族との間で内戦が始まった時、ラインハルトの才覚を高く評価し中立を保とうとしたが、家族を人質に取られやむなく門閥貴族連合軍の司令官となった。

内戦でラインハルトに敗れたのち、自殺を試みるものの副官のシュナイダー少佐に止められ、彼の勧めで自由惑星同盟に亡命し、その後数奇な運命を辿ることになる。

さて、メルカッツはヤン・ウェンリーを信用して亡命を試み、ヤンもそれを受け入れようとするのだが、疑問を呈する声はそこそこ大きかった。無論その筆頭は常識人・ムライ参謀長であった。

ヤンは幕僚たちを集めた。キャゼルヌから直接話を聞いたムライ少将が信用しがたいと感想を述べると、ヤンは訪ねた。(中略)
「私はメルカッツ提督を信じることにする。それに、私の力のおよぶかぎり、彼の権利を擁護する。帝国の宿将と呼ばれる人が、私をたよってくれるというだから、それにむくいなければなるまい」
「どうしてもそうなさいますか」ムライはやや不満顔であった。「私はおだてに弱いんでね」そう答えて、ヤンはイゼルローンとのあいだに直通超光速通信の回路を開かせた。(『銀河英雄伝説2 野望篇 第9章』より)

ヤンの気さくさ、懐の広さと対照的にムライの融通の効かなさと頑固さが目立つ場面である。ムライ参謀長は、たいていの会議の席でヤンの提案や作戦にこのような常識論を開口一番述べる。まさに「歩く叱言」なのだ。

天才があえて参謀長を置いた意図

では「不敗の魔術師」とまで言われ、おそらくは軍事面での幕僚の助言などほとんど必要としないであろうヤンは、どのような意図でムライを参謀長にしたのだろうか?

第13艦隊編成時にヤンがその幹部人事についての意図が第1巻に描かれている。

ヤンは幹部の人事に意をもちいた。副司令官には第四艦隊で善戦した老朽のフィッシャー准将をえらび、主席幕僚には独創性は欠くものの緻密で整理された頭脳をもつムライ准将を、次席幕僚にはファイターとされるパトリチェフ大佐を、それぞれ任命した。
ムライには常識論を提示してもらい、作戦立案と決断の参考にする。パトリチェフには兵士への叱咤激励役をひきうけてもらう。フィッシャーには堅実な艦隊運用を、というのがヤンの意図だった。(『銀河英雄伝説1 黎明篇 第5章』より)

ここがバランスを考慮したヤンの人事の巧妙なところだ。彼は謙虚に「自分にしかできないこと」と「自分にはできないこと」を理解して、徹底して後者を人に委ねていたのだ。なんでも自分1人で完結させることが名将なのではない。

個人的な意見だが、「平凡な人が天才の側に仕え続ける」って結構しんどいと思う。常に天才的なリーダーと比較されるし、発言するたびに自分の凡才さが際立つ。並みの人間なら相当な劣等感をもつはずだ(ましてムライは普通に優秀な事務処理能力をもつのだから、より一層そうだろう)。

自分ごとで恐縮だが、僕も教育ベンチャーで強烈な性格とずば抜けた才能をもつ社長のもとで働いていると、時々自分の存在価値を揺るがされることがある。自分の才能のしょぼさ、至らなさ、どう頑張っても追いつけないであろう感じが嫌になるのだ。

平凡さゆえにできること

だが平凡な人にも、平凡な人にしかできない役割も存在するのだ。そしてムライもそのことをよく承知している、とわかる場面が作中でてくる。ヤンの被保護者であるユリアン・ミンツがフェザーン駐在武官として着任するため艦隊を離れる時、ムライ自身がユリアンに語っている。

「まぁ、いまだから言うが、私の任務はヤン提督のひきたて役だったんだ。いや、そんな表情をしなくていい、別に卑下したり不平を鳴らしたりしているわけではないんだから…」
(中略)
「ヤン提督は、指揮官としての資質と参謀としての才能と、両方を兼備する珍しい人だ。あの人にとって参謀が必要だとすれば、それは他人がどう考えているか、それを知って作戦の参考にするためだけのことさ」(『銀河英雄伝説4 策謀篇 第5章』より)

あまりにもずば抜けた才能をもつ人は、時に「普通の人」がどう考えるものなのか?ということに極めて鈍感なことが多い。どう考えているのかを周囲の人に聞けば良いのかもしれないが、天才肌の人は得てして口下手ないし丁寧な物言いができないのが常だ(ヤンは前者)。

参謀長の一般論は、司令官であるヤンにとって「普通の人が何を考えているのか」を知るために必要不可欠な存在なのだ。

「だから私としては、エル・ファシルの英雄に参謀としてのぞまれたとき、自分のはたすべき役割はなにか、と考えて、すぐには結論を出せなかった。(中略)で、私は役割をわきまえて、ことさら常識論をとなえたり、メルカッツ提督には一線をひいて対応したりしたわけさ。鼻もちならなく見えた点もあろうが、わかってもらえるかな」(『銀河英雄伝説4 策謀篇 第5章』より)

この記事でムライの役割について書き始めた時、少し前に読んだ記事を思い出した。

ベテランである分野では優れた知見をもつにも関わらず、なぜか会議やMTGの冒頭で、大体「まず最初に見当違いのことを言う」老エンジニアについての記事。

この老エンジニアの意図はズバリ「あえて最初にトンチンカンなことを言えば、その発言を「間違いだ」と指摘するところを皮切りに、議論が活性化する」という、かなり高度なものだ。

記事中にもあるが、人間は絶対評価より相対評価の方が理解しやすい。なので最初に間違った物差しがあると、それを基準に様々な意見やアイデアを出しやすい

これを思い出した時、「この老エンジニアってまさにムライ参謀長じゃん!!」と感じた。

しかもさらに重要なのは、「ヤンのアイデア・発想は天才的すぎて、普通の人が結論を一回聞いただけでは、その意図やそこに至った経緯・過程がさっぱりわからない」ということなのだ。

軍事作戦は当然ヤン1人でできるものではない。艦隊を動かす司令部、作戦参謀、各分艦隊司令官などが、司令官の作戦意図をしっかり理解して動かなければ、どれほど壮大稀有な作戦も机上の空論で終わってしまう。

しかし口下手なヤンは司令部全員が納得いくように、最初から噛み砕いて(かつ波風立てないように)説明することが、できないとまでは言わなくてもかなり苦手なはずだ。

だからこそ、あえてムライ参謀長が司令部内の「普通の人がヤンの作戦を聞いて最初に抱いた感想や意見」を代弁し、それに反論する形で意図や経緯を表明する。こうして司令部全員が作戦意図を理解することができる。

それに、人はそもそも「自分の意見が的外れで間違っている」という指摘を正面から受けたくはない。もしもムライ以外の人間がヤンから反論を受けたら、それだけで反感や反発を買ってしまう恐れもある(ヤンの物言い的にそんな可能性は低いとは言え)。

だが、先陣切って常識論を発言し、反論を浴びるのがムライ1人で済めばその心配もない。やや貧乏くじだが、周りの幕僚・高級士官も「ムライ参謀長は堅物で気難しいからな〜」と言っていれば司令部も一つにまとまれる。

そしてこれは、「ごく普通の人はどう考え、感じるのか?」というのを理解したり察したりすることができる「ある意味平凡な人」でなければできない所業だ。

それにもしもヤンと同じくらい天才的な人物がこのムライと同じ言動をとったら、もしかしたら「この人あえてわかっててやってるな。俺たちをなめやがって!」とむしろ反感を買うかもしれない。周りに気づかれずにできることもまた重要なのだ(事実、ユリアンもムライからそれを聞くまでムライの考えやヤンの人事意図に気づいていなかった)。

そう考えると、ムライは様々な葛藤の末に「ヤンという天才に比べてはるかに平凡な自分にしかできないこと」を見つけ、それに徹したのだ。それゆえヤンという逸材は自由な手腕をふるって活躍できたのだ。ムライの功績は大きいと言わざるを得ないだろう。

またムライは物語の終盤にかけて、もう1つ大きな役割をはたす。しかしこれも周囲の評価とは裏腹に、極めてムライらしい意図を秘めた行動である(これも書きたいが、少しネタバレがすぎてしまうので、気になる方はぜひ本伝をお読みください)。

英雄列伝を見ると、人は英雄を賞賛し、憧れ、過度に凡人を見下してしまいがちだ。だが現代社会で重要なのは、実はムライのような役割なのではないだろうか?なぜなら僕たちの身の回りには、ヤンやランハルトに匹敵するような天才など、そういるわけではないからだ。

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