見出し画像

地球上全てが仕事場「フツー」の自分がテレワークに出会って起業するまでー前編ー

株式会社ニットの代表をしている秋沢です。

バックオフィス系の業務(人事、経理、営業事務、資料作成など)をオンラインでアウトソーシングとして請ける「HELP YOU」というサービスを運営しています。フルリモートを前提とした会社運営やサービス運営を5年ほどやっています。事業を2015年からスタートさせ、現在は約400人のメンバーと会社を運営しています。

前回のnote以降、全く書けていなかったのですが、改めて、このnoteを通じて、今まで培ってきたテレワークのノウハウや会社への想い、これまで伝えきれていなかったことなどを書いていこうと思います。

今回は、改めて私という人間の生い立ち~事業を興すに至った創業までの話を前編と後編に分けて、お届けします。

きっかけ~「平均点」の自分が「経営」を志すまで~

私は東京生まれで、いわゆる「中流家庭」で育ちました。両親は大学職員でしたし、親戚も学校の先生や公務員が多いような環境だったので、割と真面目でお堅い家柄でした。そんな環境の中で、いつしか、家族への反骨心というか、両親とは違う道で生きていきたい。もっとビジネスの世界で活躍したい。みたいな気持ちが自然と出てきたような気がします。

 
よくよく自分の人生を振り返ってみると、全てが「平均点」な人生だったなぁと思います。勉強も、部活も、恋愛も、特に悪いところはないけれど、キラリと光る何かはない。「何者」でもない「フツー」の学生だった自分は、学校で目立っているような生徒会長や、成績が学年トップの友人、大学に進学せず自分の夢に向かって就職していく友人がとても羨ましかったんです。それは自分の将来の道は自分で決めていく、という意志があり、自分の人生に対して主体的だったからこそ、眩しく見えたんだと思います。当時の私は、「とりあえず大学に入っておくか〜。みんな受験するし。」くらいの意識しかなかった笑。自分の人生なのに、どこか他人任せ、常識に従っていたんだと思います。そんな何者でもない自分に焦りを感じて、大学では何かを見つけたいと思い、サークルを立ち上げてみたり、バイトを掛け持ちしつつ、ビジネスの基礎を学びたいと中小企業診断士の資格学校に通ったり、ベンチャー起業家や評論家が書いた本を読むようになりました。とにかく、自分がアツくなれる分野や事を見つけたいと色々なものに手を出していました。こうやって書くと全く一貫性がない笑。
大学1年生は必須科目は真面目に通っていましたが、サークルに入ってないと休み時間やランチは居場所が全くない。友達もいない。まさに孤独。

教室や学食には居場所がなかったので、追われるように必修科目以外の時間は図書館で過ごしてました。あまりに暇なので、次第に色々なジャンルの本をパラパラを読むようになったんです。

そんな中で、起業家の本が面白くて、没頭するように読んでました。
サイバー藤田さん、堀江さん、京セラ稲盛さん、パソナ南部さん、松下幸之助さんなどパッションを持って未来をつくる姿に憧れを持つようになりました。自分の意志で未来を創っていく、という事が何者でもない自分にはやっぱり眩しかった。

そのうち自分の中に「俺も将来こんな風になりたい!」という気持ちが湧き上がり、「もっとリアルなビジネスに触れたい」と思うように。     大学2年生に右も左もわからないまま、ベンチャー企業でインターンをスタートさせました。当時は社員数20人に満たない小さなベンチャー企業。  その後、そのまま就職することになるのですが、私が在籍した12年間で、上場前後を経験させてもらい、退職する直前にはグループ社員数400人を抱えるほどに成長し、そのプロセスに立ち会えたことは貴重な経験となりました。

インターンシップ時代~ゼロの自分から見えたコト~ 

最初に配属されたのは、人事部の新卒生採用チームでした。そこで3か月間、週5日、朝から夜遅くまで働きました。しかし、ほとんど役に立つことができず、上司からはいつも叱られてばかり。自分がいかに仕事ができないかを思い知らされて、落ち込んだものです。何度も辞めようかなぁ、俺には向いてないのかもなぁと自分へ言い訳をして、毎晩そんなことばかり考えてました。それでも、「ここで逃げたら逃げ癖がつく」と思い、インターンシップ期間を過ぎても働きたい、チャレンジしたいと希望を出して、継続して働かせてもらう事に。

次に配属されたのは新規事業の営業部門。新規事業であるインターネット広告営業を担当することになりました。メンバーは入社2年目の先輩、新卒入社したばかりの先輩、そして私の3人。全員が広告営業未経験者でした。何をすればいいかもわからない中、とりあえず電話で営業アポを取ろうと、「会社四季報」に載っている企業の代表電話に片っ端から電話しました。先輩が「俺は前のページからかける」と。「じゃあ、僕は後ろのページからかけます」といった感じで、一日100件は電話してました。

ですが、最初の3か月くらいは契約が全く取れなかった。いくつ商談をやっても全くうまくいかない。日中はお客様先への商談に明け暮れ、夜は次の日の提案資料作成とロープレ。寝るのはオフィスのソファか、椅子。    そんな中でも継続できたのは、上司がよく言っていた「俺たちは日本で一番おもしろいことをやってる。未来を作っている。」という言葉があったから。シンプルにワクワクしたし、大学の図書館で読んだ経営者の本で熱くなった事に自分も立ち会えてる気がして、嬉しくもあったことを覚えています。

そんな鳴かず飛ばずの自分でも、大学4年生になるころには、契約も順調に取れるようになり、1年で6000万円の売り上げを残せるまでになりました。もちろん、自分だけで出した結果じゃないし、ラッキーも重なった結果。 そんなときに、会社が海外展開の1つとして中国市場を開拓しようとしていたので、自ら手を挙げて上海に単身乗り込んで飛び込み営業を経験しました。中国語もろくに喋れないのに、「まぁ、なんとかなるだろう」くらいの気持ちで行ったので、今考えれば相当なアホだなと思います笑。

学生時代にインターンを経験できたことは自分の人生のターニングポイントになりました。まだ無い未来を創っていくことのワクワク感、チームで仕事をしていく事が好きなこと。すべてが普通で中途半端な自分が没頭できる「仕事」というものが単純に好きになってなっていきました。

スポーツでも、バイトでも、サークルでも没頭できれば、それはそれで良かった気もしますが、たまたまインターンシップで仕事に没頭した自分が何者かになれた気がしたことに、自分の中で意味を見出していたんだと思います。

前編は、ここまでです。次回の後編は、社会人になってからニット創業までを書いていこうと思います。

新しい働き方をつくり、世の中に選択肢を増やす会社 knit.incを経営しています。