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オオシバタカノリ17歳、渋谷系と出会う

1993年、僕は高校2年生だった。友達に誘われてアルバイトを始めて、月6万円ほどを稼いでいた。高校2年生に月6万円というのは結構な大金である。であるが、その豊富な資金の多くはモスバーガー 慶応三田店(現在は閉店)に費やし、その見返りとして急激に太った。

モスバーガーと並ぶくらい資金を費やしていたのがCDだ。カラオケ全盛期だったので、Being系と呼ばれたアーティストのシングルなどに湯水のごとくお金を費やしていった。

さすがにもう少しお金の使い方を考えた方がいいのではないかと思い、ミニコンポ(死語)を購入することにした。ケンウッドのALLORAという、ちょっと高価なやつだった。その頃からラジオを聞くようになった。しかもFMですよ。中学時代に聞いていたニッポン放送などのAMではなく、おしゃれなFMです。特にJ-WAVEをよく聞いていた。自我への目覚め、遅れてきたオシャレへの目覚め。

年が変わって1994年。J-WAVEから一際オシャレな曲が流れてきた。それがICEの『MOON CHILD』。

オオシバタカノリ17歳、渋谷系との出会いである。

洗練された都会の音楽。これぞ渋谷系。まぁ最初は「渋谷系」なんて言葉は無かったと思うので、普通に「オシャレな曲」という認識であったが、なんとなくこのICEの登場により、一気に「渋谷系」というジャンルが確立したような気がしてる。フリッパーズギターとかピチカート・ファイヴから「渋谷系」が生まれたような記述もあるが、ICEが登場した1994年から翌95年あたりが「確立」の年のような気がしてならない。

94年の誕生日(4月)に後輩のアヤが「誕生日プレゼント何がいい?」というので「ICEのCDが欲しい」と言ったらICE BOXのCDを買ってきた...というのは良い思い出。結局ICEのCDは自分で買った。



『MOON CHILD』の次に発売された3rdシングル『SLOW LOVE』



96年発売の『BABY MAYBE』

ギターの宮内氏は2007年に43歳の若さで逝去されたが、ICEの楽曲は僕の心にずっと残ってる。今聞いても「懐かしさ」よりも「やっぱ良いなー」という気持ちになるのがICEの凄さ。


[次回予告 ピチカート・ファイヴ「受験勉強は夜の7時」]

街歩きで生計をたてて生きていきたい...