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母、家出をする

我が家は55㎡、中高生の息子・娘のいる家族4人。
都心に近く便利なものの、なんといっても狭いし密な空間。
私はそんな空間を一時的に離れました。
離れて見えてきたものについて書いてみようと思います。

なぜ家出をしようと思ったか

理由は3つありました。

1、家の中が「密」な状態
2、「タイムシフト」という名の「リビングの奪い合い」
3、非日常の日常化

1、家の中が「密」な状態

夫婦ともに家で仕事をするようになると、今までにないくらい家族と共に過ごす時間が長くなります。夫は寝室、私はリビング、子供たちはそれぞれの部屋へ。仕事中はお互いに遠慮して物音を立てないようにしたり、部屋から出るにも気を遣う状態。
密度が高まると熱が籠り、暴発しやすくなります。
なんとなく不満が溜まってトゲトゲした空気になり、スペースを空けて密度を下げる必要を感じてきました。

2、「タイムシフト」という名の「リビングの奪い合い」

リビングは時間帯で自然と「誰が使うか」が決まってきました。
テレビはあれど家族全員で見ることはなく、それぞれがyoutubeだったりAmazon primeをTV画面で見る状態。
昼間は私が仕事で使い、夕食時は夫が、その後は子供たちが使う時間でした。夫が寝室で寝始めると子供たちはリビングでTVを見始めます。
「ママは昼間使っているんだから夜は譲ってよ。リビングでパソコンやらないで」と子供たちに追い出され、私は廊下で本を読んだりネットをつないだり。共同スペースは譲り合い。そりゃそうだよなぁと思っていました。

3、非日常の日常化

学校の休校が始まった3月から約半年。最初は「非日常」に感じていたオンラインでのコミュニケーションが次第に日常に。
以前は「仕事場」と「家」という2つの異なる日常を行き来している感覚があったのに対し、今は日常である「家」に仕事が入り込んでくる感覚。
物理的な移動や場を移ることでいかにラクに切り替えができていたかに気づきました。
「非日常」を作り出さないと倦んでしまう、そんな危機感を感じました。

リモートワークがあるならリモート家族もあるのでは。
それを試してみたくなりました。

どうやって実現したか

きっかけは半年前くらいの、あるワークショップでした。
「〇年後のなりたい自分を書いてみる」というワークで「住まい」の欄に
「旅するように暮らしたい」と書いた私。
それを覚えていてくれた友人が、「こんなサービスあるよ」と紹介してくれたのが「ADDress」でした。

定額で全国泊り放題。家具や寝具など生活に必要なものや、wifiや個室など仕事ができる環境も整えられており、首都圏にも拠点が多数あるのでちょっとした出張感覚で使えます。

興味を持った私は夫に「このサービスを利用してみたいと思う」と伝えたところ、「面白そう。いいんじゃない。やってみたら?」と。子供たちも「いいんじゃない。行って来たら」とすんなり。ちょうど夏休みだったので「一緒に海に近い拠点に行ってみる?」と娘を誘ったものの、「行かない。一人で行ってきて」とツレナイ(悲)

我が家は子供が小さいときも、実家に預けて夫婦で海外に旅行に行ったりと自由に動いてきたので「やりたいことには反対しない」ムードがあるのですが、それにしてもこの自由度は珍しいかもしれない。家族の度量の広さに感謝しつつも、(もしかしたら厄介払いと思ってない?)と一抹の不安も感じつつ、まずは試してみることにしました。

ADDress、多拠点生活の始まり

ADDressを利用してみて、どのようだったかをご紹介します。

1、サービスの内容
2、魅力その1:家守さん
3、魅力その2:滞在者との交流

1、サービスの内容

1か所7日間まで、最大14日まで予約が可能です。ネット上で予約ができるので簡単。会員が、より多くの拠点に滞在できるように考えられています。ホテルと違うところは清掃やベッドメイキングなどがセルフサービスなこと。キッチンやお風呂も共有なので滞在者同士のコミュニケーションが自然に生まれます。

2、魅力その1:家守さん

各拠点には個性的な家守(やもり)さんがいて、拠点の管理や案内、拠点周囲の情報提供、滞在者同士の交流を促してくれたりします。家守さんのカラーがその拠点に出ているところも魅力です。
私が滞在した拠点の一つ、「鶴巻温泉」では「親戚の家に来たように寛いでくださいね」と言われましたがまさに「親戚の家」という感じ。落ち着くとともにちょっと新しい出会いもある、そこに楽しさがありました。

3、魅力その2:滞在者との交流

シェアハウスに近い感覚なので、ダイニングや共有スペースで自然と滞在者と顔を合わせることになります。若者からリタイアした人まで様々な人が利用していますが、みなさん人当りがよく、「適度な距離感」を大切にしている人が多い気がします。
ダイニングでお茶を飲んでいたら、ちょうど通りかかった人とおしゃべりが始まったり。夜の居間で静かに身の上話が語られたり。
偶然居合わせて仲良くなったけど、またどこかの拠点で偶然会えるかもしれない。そんな楽しみな感覚を持てる関係です。

拠点滞在時に何をしていたか

ひたすら一人の時間を謳歌していました。
平日は静かな環境で仕事ができます。
小田原、茅ヶ崎など海に近い拠点の場合は、朝や夕方に海に散歩に出かけてしばらくの間眺めていました。
ただひたすら海をぼーっと眺めることで、バランスが戻って心が落ち着いてくるのを感じます。

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そして時間があれば街を歩き回ります。これは何よりもワクワクする経験。地図が体の中で再現されていくような感覚。
わざと知らない道を通って街を体の中に納めていく。
街と親しくなるための、儀式のようなものです。

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家族と距離を置いて見えてきたもの

いくつか気づいたことがあります。
結論としては「母親が数日不在でも、困らない」ということがわかりました。むしろ、家族としてのコンディションが上がっているかもしれない。
5点ほど、気づいた点を列挙してみます。

①娘(中学生)は、父親がやる家事を自ら手伝うらしい
(私がいるときは全く手伝わないが)
②娘は直接よりもLINEのほうが優しい
(こちらの写真を送ると「イイネ!」と返してくれるのは娘だけだ)
③息子(高校生)は一段と親をアテにしなくなった。
(以前は朝起きれないと「起こしてくれない」と不機嫌になったがそうではなくなった)
④息子&娘の仲がとみに良くなった
(親に対しての共同戦線?!)
⑤旦那はオンラインでのやりとりのほうがなぜか「読後感爽やか」に感じる
(会話が短めに終わるからかもしれない)

帰宅したときの家族の反応はというと。

「ただいまー」(私)
「え、もう帰ったの?またリビングでドラマ見る時間がなくなる」(娘)
「お土産は?」(息子)
「おかえり」(と普通に言うのは旦那だけ)
つまり、歓迎ムード、限りなくゼロ、ということです。

娘がガラリとドアを開けて部屋から出てきたと思ったら
「ママ家にいるとなんか存在がうるさい」
「会議での声大きいし。笑い声デカいし」
「ついでに顔もデカいし。私のほうが小顔だし。」
「部屋入らないでって言っても無視してドアあけるし」
「自分で話しかけておいて、話聞かないし」
「私機嫌悪いから話しかけないで、ってさっき言ったよね?ねぇ、聞いてた?」
畳みかけるような文句シャワーの圧、圧、圧
ガミガミな言い方が誰かに似てるような気もするが、、ハテ誰かしら。

きっとこれは「加圧トレーニング」というものなのかもしれません。
心の加圧トレーニング」。
うん、心の筋力が上がるヤツなんだな。
と思うことにしました。

飼い主がしばらく外出して帰ってきたら、お留守番していた犬が興奮して噛みつくとかあるじゃないですか。(あくまで想像ですが。)
きっとそうなんだなと。興奮して愛情表現がちょとオーバーになっちゃったんだなと。

コメント 2020-09-04 120232


ストレングスファインダーで「ポジティブ」1位の私は、そう思うのです。
娘からは「捌け口が来た」と言われた気もしますが、たぶん「じゃれ口が来た」の間違いでしょう。

家とは、家族とは何か、を考えてみた

どこにいても仕事はできるし
どこにいても家族は家族だし。
となったとき、

家とは何だろうか、と考えました。

家とはベースキャンプのようなもの、だと思っていました。
そこから各自の場所に出かける起点の場所。

これからはベースキャンプも流動的になるかもしれません。
待ち合わせ場所のように。
あるいは、交差点のように

家族も拡張し、「関係性の中で役割を担う」ものになるかもしれません。
今までも存在していたけれど。関係性によって変わる役割。
大人っぽい娘。子供っぽい母親。母親のような父親。父親のような友人。
そして「〇〇のような」の〇〇は人によってイメージが異なることもあるから、そこに会話が始まります。「母親って、なんなん?」と(笑)

今の私にとって「母親」とは、
子供のことを心配してしまう存在」かなと思っています。
いくらウザがられても、やはり心配してしまう。あれやこれや言いたくなってしまう。

物理的な距離を置く。
そのことで「心配圧」が弱まって密度が薄くなり、ノビノビする。
「圧」をコントロールするための「距離」と「空間」。
今は、そこに注目しています。

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家族から逃げている、という捉え方もあるかもしれません。
それはそれでかまわない。
近づいて壊してしまうくらいなら、逃げたほうがよいと思います。

だから、母である私は、ときどきポジティブな家出をしています。

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