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都市化社会におけるアーバン・デザインの方法 ~街づくりに立ち向かう方法は科学や技術の複雑な論理ではない~ その2

掲載誌:商業建築年鑑(昭和46年5月)
髙野が当時関わった「津田沼北口地区再開発計画」での経験を基に書かれた論考。

再開発の原型

 再開発はいわばステレオアンプの買い換えや、在宅の改築のようなもので、その規模の大きくなったものと考えて間違いない。
 今まで使っていたものが、いつのまにか、古くなって不便を感じたり、不都合を生じたり、好みに合わなくなったり、取り替えてしまおうとすることである。この場合には、必ずその「古くなったもの」とそのものの「主人」とその家族など、利用者がいる。
 取り替えや作り替えには金もいるし、また頭を使ったり、体を動かしたりする労力もいる。時間もかかる。新しく取り替えようとするものがはたして自分の欲求を満足させるものであるかどうか考えたうえ思い切る決断がいる。リスクを感じる。また「古くなったもの」に対する長年の愛着から執念や未練が残る。感情の整理も必要である・・・・・いろいろ考えるうちにめんどうになり、何で新しいのに取り替えなければならないのか、疑問を持つようにもなる。「このままでもよいのではないか・・・・・?」

 そこで、また怪物君の登場である。この都市化の怪物君は、この社会に寄生している。4次元あるいは、5次元的生物で、ちょっと油断していると、ためらいや、逡巡にお構いなく、人々の計算や夢、期待等・・・・・を喰いものにしてしまう。よほど用心しないとだめだ。つまり「再開発」の成否はこの怪物君との付き合い方いかんにかかっていると思ってよい。
 ステレオアンプの場合は主人は1人である。結果的には主人1人の意志によって決定される。住宅改造の場合は、家族とその一家のボスが主人である。実は、その後だてに金持ちのオジイさんがいて、いろいろ面倒を見てくれているのかも知れないが・・・・・とにかくアンプや住宅の場合、前述のさまざまな感情の葛藤は、比較的容易に整理され「再開発」もまとまりやすい。

 都市改造や市街地再開発のむずかしさは、それぞれ違った感情と価値観を持った「主人」が多勢集まって一つの「新しいすまいのかた」を勘案するところからはじまるからである。だいたい人は自分のことを、他人にとやかくいわれたり、わずらわされることは苦手なのだ。現代の社会では、人間のこうした場合の意識や感情の関係を、法律や制度、あるいは貨幣などによって整理しようとし、そしてたいていの場合、その制度や法律のエスプリは、人間関係を相互不信の立場で捉えている。だからややもすると、人とわずらうことの嫌いな人は、法や制度の”城”に逃げ込んでしまうこともできる。人のことにそっぽ向くこともできる。なかなか「感情の整理」がまとまらない・・・・・そんなことをやっているうちに「都市化」の怪物君がどんどん身の周りにせまってきている。怪物君は、人々の万事やりくり金もうけの手伝いもするが、その人の「生きがい」も喰いつぶしてしまうかもしれない。まさに怪物君は、その恐るべき魔力と不思議な魅力を、十二分に発揮できるかっこうな場としてこの再開発の舞台をちゅうちょなく選んでくる。

 そこで、私共が頼りにできるものは、法や制度の”域”ではない。そんなものは今となっては単なるヌケガラ便法でしかない。また協力とか、相互信頼とか、甘いことばではない・・・・・こうしたまぎらわしいことばや概念はなるべく白紙にもどすようにして、使わないほうがよいようだ。われわれはもっと、幼児のような心にかえって、じっくり自分の身の周りを眺めまわすことからはじめなければならないのだ。少なくとも自分の周りにいる人たちとはゆっくり話をして行かなければならない。

 私共が何か共同で仕事をしたり、また依頼主からたのまれて、計画や設計を行う時、それぞれ、何らかの「立場」を持って、その仕事にかかわっている。例えば、建築家と依頼主(施主)、コンサルタントと経営者、などというように、それぞれの立場でものをいい作業をすすめる。再開発がむずかしい理由の一つとして、こうしたいろいろな「立場」の人たちがかなり多く、複雑にからみ合ってすすめて行かねばならない点である。かかわり合う機関や組織が、大きければ大きいほどまた多ければ多いほど、その意志やニュアンスの流通が複雑になり、外部から見ている人はもち論内部で仕事している担当者自身、その拡がりと深みの中に埋れややもすると、もののありさまを見失いがちである。「都市化」の傾向はこうした内部組織にまで浸透してきているのである。すでにもうこの場で、怪物君の迷路に落ち込んでいるのかもしれない、そこで、こうした混乱を少しでも避けるために、再開発計画における人間関係を、もう少し、素直な形にまとめて、それぞれの立場や役割を明確にして置く必要がありそうである。住宅の改造も、市街地再開発も、その基本において、それほど変わるものでないから・・・・・(再開発における人間関係図)をご覧願いたい。

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 まず私共の立場から説明させてもらおう。店装や建築の仕事の場合、その「主人」から仕事の依頼があってはじまるのであるが、今度の津田沼の場合、今までの処、直接の依頼主は「主人」ではなくて、「オジイさん」である。この「オジイさん」は金をたくさん持っているのか、また息子?である「主人」にどれだけの援助をしてやるつもりなのか、私共大いに気になる処であるが、いったいこの「オジイさん」が、がんこ者なのか、話のわかる人なのか、また「オジイさん」と「主人」の関係も、長男か、次男か、養子かそれとも孫であるのか、まだよくわからない現在このへんの処からじっくり見きわめて行かなければならない。そしてこの人間関係を大事にして行かないと、住宅改造も再開発もうまくいくはずがない。途中で計画が挫折したり、せっかくでき上っても怪物君にあけわたすようなことになったら、私共としてもねざめの悪い思いをしなければならないからだ。それにしても私共はいつか、こんなセリフをいわなければならないのだろうか「この柄でしたら奥様、ピッタリお似合いですよ」と。

(つづく)

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