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都市化社会におけるアーバン・デザインの方法 ~街づくりに立ち向かう方法は科学や技術の複雑な論理ではない~ その2
掲載誌:商業建築年鑑(昭和46年5月)
髙野が当時関わった「津田沼北口地区再開発計画」での経験を基に書かれた論考。
再開発の原型 再開発はいわばステレオアンプの買い換えや、在宅の改築のようなもので、その規模の大きくなったものと考えて間違いない。
今まで使っていたものが、いつのまにか、古くなって不便を感じたり、不都合を生じたり、好みに合わなくなったり、取り替えてしまおうとすることである。この場合
【発表論文】都市化社会におけるアーバン・デザインの方法 ~街づくりに立ち向かう方法は科学や技術の複雑な論理ではない~ その1
掲載誌:商業建築年鑑(昭和46年5月)
髙野が当時関わった「津田沼北口地区再開発計画」での経験を基に書かれた論考。「都市化」という課題に対して、トップダウンの「論理」で進めるのではなく、地域の身近な悩みを聞くことから解いていく必要があることを、独特の論調で説いている。
前文津田沼は東京と千葉市の中間にある中くらいのターミナル駅である。私がこの総武線を利用して通学していた10数年前までは、どこにで
マヌ50周年を迎えて その3
アトリエ「千駄木村」で豊かな青春時代を過ごす髙野の元に、建築設計の仕事が次々と舞い込みます。設計料の余ったお金を使って、髙野は仲間とヨットを購入します。
そして― いよいよ旧・マヌ設計連合の帆が上がります!
(本稿は、2014年のマヌ都市建築研究所50周年にあたり故・髙野公男が書き溜めていた原稿をまとめたものです。)
(7)会計士・森助紀さん 力量不足を「参加することに意義がある」という理
マヌ50周年を迎えて その2
東京大学の博士課程に進んだ髙野は、生産技術研究所、本郷キャンパス、アトリエを構えたアパート「千駄木村」で、多様な価値観・感性に触れる豊かな青春時代を過ごします。
「街の在り様は人々の感性を育てるのだろう。」
(本稿は、2014年のマヌ都市建築研究所50周年にあたり故・髙野公男が書き溜めていた原稿をまとめたものです。)
(3)東大生産技術研究所 当時、星野研究室の所属する東大生産技術研究所(
マヌ50周年を迎えて その1
故・髙野公男は1964年4月に一級建築士事務所マヌ設計連合(現マヌ都市建築研究所)を設立し、1992年東北芸術工科大学教授に就任、2015年に他界するまで日本の建築・まちづくりの実務・研究・教育に尽力しました。
本稿は、2014年のマヌ都市建築研究所50周年にあたり故・高野公男が書き溜めていた原稿をまとめたものです。
1.はしがき 1964年4月東京オリンピックの年に建築事務所を開設して50年