原っぱと駄菓子屋と瓶のヨーグルト。

昭和の半ばごろ。僕としてはまだ鮮明な記憶を保っている思い出の領域なのだが、多くの人にとっては歴史に属する時代になってしまったあの頃。

小学生の僕は、学校が終わると自転車で原っぱをうろうろして遊び仲間を見つけては、その時々でいい加減な遊びに興じていた。まあ、全然社交的なタイプではなかったので、だいたいお決まりの連中を探すのだが、それでもうまく輪に入れず一人ぼっちで家に帰るなんてこともよくあった。

運良く仲間に入れたときは、なにかしら自分たちで遊びをつくって夕方まで遊んだ。そしてそれに疲れると、「うさぎや」という、駄菓子屋というには少しばかりためらわれる店に行き、友だちとヨーグルトを買って店先で食べることがよくあった。大体いつもその相手はヤマグチくんだった。

当時、35円だったような(まったく自信はないのだけれど、そんな気がする)。50円の小遣いを握りしめ、ヨーグルトを買って15円の釣りを貰っていたように思うのだ。

ガラス瓶に入ったハードな?タイプのヨーグルト。牛乳瓶よりも口が広く、紙のフタがしてあり、更に口全体が緑やピンクの薄いビニールで覆われていた。フタは先の尖ったキリのような栓抜きで刺して開けるのだ。人によってはビニールと紙のフタを一気に刺して得意げに開けていた。そして薄っぺらい木の匙で食べた。

どちらかが誘ってうさぎやに行くのだが、不思議なことにたいていどちらかが35円を持ち合わせていなかった。もっている方が相手の足りない分を出して、次回、返してもらう。そんな繰り返し。そのことが遊びのあとにヨーグルトを食べるというルーティンを生み出したのかもしれなかった。まぁ、とにかく今風に言えばマイブームだったのだろう。子どもが何に熱中するかなんてたいていの場合はわからないし、本人たちでさえ理由なんかわからない。そんな類のこと。

とにかく二人して、瓶にくっついたヨーグルトをできるだけきれいに食べるということにこだわっていた。なぜだかわからない。今から思えば、甘さのあるヨーグルトだったはずだが、当時はそれでも舌の付け根がキュンとするような酸っぱいおやつだった。

数年後。我が家の食卓で明治ブルガリアヨーグルトに出合う。プレーン!これはもう本当にびっくりした。そのまま食べると酸っぱかった。ホエー(当時はそんなこと知らない)が浮いていた。顆粒状の砂糖がついていた。

小鉢にブルガリアヨーグルトを移し、付いてきた砂糖をかけて食べる。それはあのヨーグルトではなく、全く別のヨーグルトだった。

ヤマグチくんとは偶然にも高校まで同じ学校に通ったが、もちろん、ヨーグルトの話などすることはなかったし、いっしょに食べることもなかった。僕たちは、きっと、ブルガリアヨーグルトに出合ったき、もうあの頃には戻れないということに気づいてしまっていたのだ。

でも、ほんのたまに、“あの”ヨーグルトをもう一度食べてみたいと思う自分がいる。あの原っぱは駐車場になってしまったけれど、記憶の中のヨーグルトは、今食べても美味しいままなんじゃないかと思うのだ。

#ヨーグルトのある食卓 #エッセイ #散文 #放課後 #ヨーグルト

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