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エッセイ

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映画、アート、その他のエッセイ。的なもの。
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【エッセイ】ミクシ病(2006年に書いたものを掘り起こした)〜或いは交流病

【エッセイ】ミクシ病(2006年に書いたものを掘り起こした)〜或いは交流病

ミクシ病(ネット)

書こうと思ったんだったかな。
雑記だったんだが。書こうと思ったものは。

忘れること自体が凄いな。ほんの一瞬前に思ったことだ。

思い出した、ミクシ病だ。

ミクシ日記をつけている人間は、人によってはミクシ病になる。
足跡機能が引き起こす快感にはまるのだという。

俺は多分ミクシが嫌いだ。
ICQが流行し始めた最初、俺はそれを試した。
オンライン機能は俺には邪魔だった、足跡機

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エッセイ:徒然にゴールデンロッド

エッセイ:徒然にゴールデンロッド

たまの雑文でも良いかと思って書き出した。
終着点は決めていない。

特に隠しているわけではないけれど、高齢の親がいて、ここしばらく対応で忙しかった、いや、現在形で忙しい。
それで、その関連のことをnoteに日記として書いているのだが(このアカウントではない)、その日々の中で、直接的に親や介護のことではなく感じた一部のことを、ただの日記、一応エッセイとして放っておこうと思った。

なんの飾り気もない

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エッセイ:仮想現実と現実の齟齬

エッセイ:仮想現実と現実の齟齬

仮想現実と現実の齟齬(ネット徒然)
2004-01-19

思うのだが、現実世界の情報量を全てヴァーチャルに取り込むことは現代会では到底できない。ゲームであったりシュミレーションが面白いのはそれが現実のあるファクターを取り出し強調した姿で配置しているからであって、ゲームが現実そのものを体現しているからではない。それで表される物は象徴あるいは部分に過ぎず全てではない。それを現実ではなく仮想現実の比重

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エッセイ:国立西洋美術館所蔵 ヨーロッパ美術の精華〜神々と自然のかたち:姫路市立美術館(2007年12月7日)

エッセイ:国立西洋美術館所蔵 ヨーロッパ美術の精華〜神々と自然のかたち:姫路市立美術館(2007年12月7日)

本人以外には興味の持てなさそうな試みだが、自分がかつて行った美術展などを気ままに振り返ってみたいと思って日記を漁っていたら、2007年のこの展覧会が目に止まった。

記憶もおぼろげだったが、写真を見ると、図録もちゃんと買っているらしい、記憶にないぞ!?と思ったら本棚にはちゃんと鎮座していたなんてこった。

ともあれ、既にインターネットがかなり普及していたためか、探してみると、国立西洋美術館に当該の

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エッセイ:レオナルド・ダ・ヴィンチ─天才の実像:東京国立博物館(2003年4月22日)

エッセイ:レオナルド・ダ・ヴィンチ─天才の実像:東京国立博物館(2003年4月22日)

おそらく大抵の人は、他人が美術を鑑賞しに行っただけの日記などには興味がないだろうと思う。正直なところ、読み応えのある批評ならともかく私本人はそうだ。

しかし、今回は敢えてそれを取り上げてみようと思う。何故ならば、何気なく当時の日記(ブログ)を見ていたらこの写真を見かけたからだ。

レオナルド・ダ・ヴィンチの作品を見るべく「詰めてください」と言われながら並んだ長蛇の列。今の時勢では許されるべくもな

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エッセイ:書物を読み解く方向性の話

エッセイ:書物を読み解く方向性の話

歴史的な事実や、当時の物語を、振り返って現代に活用するのとは別の意味で、単純に現代の倫理規範や価値基準に当てはめて断罪したり、こうすべきだったと決め付けるタイプの読み解きが割と苦手なのだが、何が一番苦手って、そういう読み解きはだいたい浅い善意に基づいているのが苦手。

勿論、中世の医療や宗教の価値観、日本でも封建時代の倫理をそのまま現代に持ってくるべきではないのは当然承知しているし、そんなつもりは

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エッセイのような散文:死にゆく蝉

エッセイのような散文:死にゆく蝉

「死に逝く蝉。」

 最近、よく通路に蝉が落ちているようになった。コンクリートよりもせめて土、と脇に避けてやろうとすれば最後の力を振り絞り喧しく鳴いて僅かに飛んだ、その距離も近くて切ない。
 蝉の寿命は短い。
 ほぼひと夏、それを過ぎれば桜が散る如くに屍を晒す。
 だが実のところ、それに特別の感慨があるわけではない。なんとなれば所詮定命、せみのひと夏、ひとのももとせ、いかばかりの違いならん。
 む

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エッセイ:敢えて、現代の利便に支配されないでいこうと言うこと

エッセイ:敢えて、現代の利便に支配されないでいこうと言うこと

思うんだが、我々はすぐ便利な現状に慣れる。

今は誰でもスマホを持っていて、ありがたいことに個人単位で通話も文字情報の交換もできる。

だが、実際、私の学生時代までは携帯電話的なものは、映画で見るような車に備え付けられた黒電話のイメージだったし、個人で携帯など持っていなかった。

信じられないだろうが、中学時代買ってもらったワープロ専用機はディスプレイが1行しかなかった。
パソコンは高価すぎて学生

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【エッセイ】 バリ絵画〜2003年のバリ旅行にて

【エッセイ】 バリ絵画〜2003年のバリ旅行にて

2020年の年末の大掃除をしていたら出てきたので上げておく。

 2003年8月バリ旅行の際に購入。の写真。
 B4ほどのサイズ。
 ネットは普及し始めていたが、まだまだ国外のものをインターネットで通販するのはハードルが高い時代のことだ。

 そもそも私は、元々地元の美術館でやっていたバリ絵画展を見て、その濃密さに触れ、いつかバリに行って、自分でもそういう絵を一枚は欲しいと思っていたところがあった

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【エッセイ】 ユーロ元年のパリの思い出話

【エッセイ】 ユーロ元年のパリの思い出話

 これは平成14年の正月ころ、パリで買ったB5程度の観光土産。

 ありがちな話と言われたらその通りなのだが、あの時は、ちょうどユーロに切り替わる年だった。
 12月年末から行って、正月明けたらフランがユーロになっていて、あちこちで便乗値上げがあったのを目の当たりにした(悪意ではなくユーロの端数が面倒だったのだろう)

 平成14年の新年、パリ。

 フランスで買ったものは他にもある。
 これもそ

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【エッセイ】 レプリカントの夢〜ブレードランナーとロイ・バッティに寄せて

1980年代初頭、リドリー・スコット監督が、フィリップ・K・ディックというSF作家の文章『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を元に、「ブレードランナー」という映画を製作した。
まあ正直原作とは言うが、小説と映画は似ても似つかない。
それがどちらもが傑作でない理由にもならない。
映画は素晴らしかった。理解できさえすれば。
酸性雨の降り続ける陰鬱な未来都市、高層ビル、雨天、映像は当時としては非常に先

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Arctic MonkeysのWhatever People Say I Am, That's What I'm Notというアルバムについて

Arctic MonkeysのWhatever People Say I Am, That's What I'm Notというアルバムについて

発売が、2006年ごろのことらしい。

正直に白状すると、私はそこそこ音楽は聴くものの、音楽オタクとは到底言えないし、詳しいわけではない。

Wikipediaで今回調べるまで彼らがこんな有名人で、こんなビッグネームだということすら知らなかった有様なのだが、好きという話だけしたい。

※Arctic Monkeysについて、Wikipediaの解説はこうなっている。

アークティック・モンキーズ(

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