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本当の子育て

今朝のニュースによれば、“政府・与党は、児童虐待防止に向け、
両親など家庭内での体罰を禁止する法改正の検討に入った。”とある。
懲戒権という “子どもを戒める権利” を親に認めた民法があるらしい。

“戒める”とは何か?
戒めるとは禁を犯したり失敗したりすることのないように、
前もって注意を与える。
同じ過失を繰り返さないようにしかる。咎める。と辞書にはある。

アトリエの講習会では、お母様たちにこんな話をします。
子どもは失敗やいたずらを繰り返します。
水をこぼしたり物を壊したりします。
なぜ、そんなことをするのか分かりますか?
そばにいる大人はその度に注意して、怪我が無いように心を配ります。
一緒に片付けをし、叱責を与えなくてはなりません。
正直疲れます。

ゲームでもして大人しくしてくれていたら、それは楽に違いありません。
しかし失敗をするということは、
それだけ何か新しいことにチャレンジをしていると言うことです。
繰り返し失敗するということは、
不注意なのではなく習得しなければならない何かがあるのです。
いたずらをしているということは、
それだけ好奇心を持って実験を試みているのです。
おしゃべりで生意気だということは、
自分の頭の中で独自の考え方を構築しようとしています。

もし叱られることで止められてしまったら、
好奇心の芽は摘まれ、何かに挑戦する意欲や勇気も無くしてしまいます。
頭で考えることも、心で感じることも諦めて無表情になっていきます。
経験値を高め本人しか持っていない才能の芽を育てる時間が、
その子の人生から奪われてしまうのです。
 
子どもをものすごく愛していて、
真面目な大人ほど一生懸命監視をして叱ったり怒ったりします。
大切に立派な人間に育てたいと思う大人ほど、
責任感を持って失敗しないようにと気を配ります。
成功させてあげようと転ばぬ先の杖を渡し、レールを敷きます。
恥ずかしい思いをしないようにと口うるさくなります。

産まれたのは親からであっても、
子どもは親と同じ人生を歩むために生まれて来るわけではありません。
親の価値観を踏襲してしまうと、
そこから先に冒険する勇気が育たなくなってしまいます。
親が正しいと思う人生へ導こうとすると、
未知の時代を生きるための、子どもの自分軸がどんどんブレ始めるのです。

「どうして自分は、自分のままでいてはいけないのだろうか?」と。
大切な子どもの笑顔が消えて、消極的になっていくと大人は慌てます。
そこで気がついて、過ちを詫びれば良いのです。
親だって子育てに関しては一年生ですから。
資質を伸ばし経験値を積む、子育てを一緒に楽しむことができます。

けれど、機嫌を取るためにおだてて物を買い与え、
レジャーに連れて行ってご馳走を食べさせて、
何とか親の思う通りに育てようとすればどうなるでしょう?
子どもは自分だけに与えられた人生の課題に挑戦する機会を失い、
不機嫌になればご褒美を得られる、
ニートやクレーマー体質になることを学んでしまいます。

また、「テストの点数が良かったら、ご褒美にゲームを買ってあげるよ。」とすると、子どもの中に残るのは「勉強はご褒美のゲームを買ってもらうために、頑張ってやらなければならない面倒なもの。」という解釈になります。
その循環にハマると、大人のストレスもどんどん増えていくのです。

「こんなに一生懸命やっているのに、何が悪いんだろう?
どうして気持ちが分かってもらえないの?」
「自分の買いたいものも我慢して一生懸命に働いているのは、
誰のためだと思っているんだ?」と。


けれど当たり前ですがお子さんに産んでくれと頼まれた訳ではありません。
親は自分の幸せと成長のために、
子どもを育てる体験をさせてもらっているだけです。
では、親も子も幸せになる子育ての方法はどうすれば良いでしょうか?

茂木健一郎先生のbotの中にこうありました。

「若い時は、ダメな性質が極端にでがちなものだから、特に注意せねばならない。」
「子ども達の根拠のない自信を育てよ」。と


アドラーの言葉にもあります。
「叱ることは、悪い習慣を身につけさせる最高のトレーニングなのだ。」と

怒りは感情です。
感情ではなく理性でコントロールして、子ども達を導くのが本当の子育てであると、誰もがそう理解する時代が来ているのです。

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