人柱伝説、首なし軍勢、落城と亡霊……歴史にまつわる怖い話
世の中には、不思議なことがあるものです。たとえばすでに亡くなって、この世にはいないはずの人の姿が見えたり、何かを伝えてきたり。そんな話は昔からあり、今なお増え続けているようです。怪談というと納涼のイメージもありますが、今回は怖がらせるためのエンターテイメントではなく、そこから歴史の一側面が見えてくるような不思議な話を、体験もまじえつつまとめた記事を紹介します。こうした話が嫌いでない方は、お読みください。
城跡の撮影
歴史に関わる仕事をしていたため、かつては取材で寺社や古墳、城跡、古戦場によく出かけていました。私は「霊感」といったものはありませんので、何かを見たりした経験はありません。ただ感覚的に「何となく嫌な感じがするな」とか、「拒まれているのかな」と思うことはありました。
記事中にも出てきますが、私が生まれ育った場所の近所にあった城跡を、学生の頃、撮影したことがあります。当時はまだ十分に整備もされておらず、草むらの中に、たくさんの古い石仏が無造作に置かれていました。その城は北条(ほうじょう)氏のもので、豊臣秀吉(とよとみひでよし)の小田原征伐の際に、浅野長政(あさのながまさ)らの軍勢に攻められ、激しい戦いの末に落城したといわれています。城主の奥方が近くの寺に逃れ、自害をしたという伝承や、「血の出る松」があったという言い伝えもありました。たくさんの石仏は、鎮魂のために安置されたものだったのでしょう。
当時の私はあまり気にもせず、普通に写真を撮り、写真屋さんに現像に出したのですが(当時はまだスマホやデジカメではなく、フィルムのカメラでした)、後日、受け取ると城の写真が一枚もないのです(城跡以外の写真は正常でした)。お店の方に尋ねるとネガを見せられ、「ここからフィルムの状態が良くなくて、現像できませんでした」と言うのです。ネガは城跡のところから前後の画像が重なったり、空白になったりしていました。カメラが壊れたのかとあわてましたが、カメラに異常はなく、原因はわからずじまい。今思えば「撮影拒否」だったのでしょうか。その後、仕事で別の場所での取材中に、カメラのシャッターが下りないという現象も何度かありました。
家にあった刀
古い刀を大切に子孫に伝えている家も少なくないでしょう。私の母方の実家は九州ですが、さほど古いものではないと思われる刀が一振りありました。言い伝えでは、人を斬った刀らしいというのですが、詳細は誰も知りません。伯父がその刀を置いた部屋で寝ると、非常に寝苦しく、時に金縛りのような状態になることが続きました。別の部屋で寝ると何ともないということで、これは伯父の体調の問題ではなく、刀のせいではないかという話になり、懇意にしている寺に預けました。
以来、伯父は金縛りにあうことはなくなったということです。後で寺から聞いたところによると、たまたまその寺に修行にきていた若い僧が霊感の強い人だったらしく、刀を保管してある場所に3人の人影があるのを見たそうで、いずれも日本人ではない様子だったということでした。そこで刀について改めて調べたところ、太平洋戦争の際、大叔父にあたる人が軍刀として戦場に持って行ったものであることがわかったそうです。
余計な前置きをしてしまいましたが、歴史にまつわる不思議な話をまとめた和樂webの記事「ぞぞっ!歴史にまつわる怪談が怖すぎる!でも読んじゃうんだな、これが」をぜひお読みください。
敬意を忘れずに
さて、記事はいかがでしたでしょうか。古墳にしろ、城跡や古戦場にしろ、かつてそこで生涯を終えた人が多数いる場所です。決してレジャー気分で出かけて騒ぐような場所ではありませんし、ゴミを捨てて汚すようなことは論外です。記事中にも書きましたが、出かける際には、先人への敬意と鎮魂の気持ちをもって訪れたいものです。そして、もし嫌な感じがしたり、拒まれているような気がした時には、決して無理をしないことをお勧めします。
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